3-3. 梓恩、調査する

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3-3. 梓恩、調査する

奥さま(皇后陛下)は、どのような味つけがお好きでしょうか?」 「うむ! 知らぬ!」  清々(すがすが)しく言い切る巽龍君(皇太子殿下)。  まあ、母子でも後宮での生活はほぼ別だからね。当然か。 「なにをお好みか…… ご存じですか?」 「うむ! 知らぬ!」  ああ、タメイキ…… ではなく、深呼吸しよう。 「そういったことは気にしなくてよい! 母君は、普段の私の食事を召し上がりたいのだそうだ! だから梓恩も、普段どおりに腕をふるってくれたら、それで良いのだぞ!」 「はあ…… かしこまりました」 「うむ! よろしく、頼む! ―― では、武術の稽古に行ってくるぞ!」 「「行ってらっしゃいませ」」  私と寧凛(ネイリン)はそろって拱手し、巽龍君の背に向かって頭を下げた。  皇后陛下のこと、もっとリサーチしたかった…… けど、巽龍君になにを聞いても爽やかに 『知らぬ!』 を繰り返されそうな気もする。 「―― 梓恩(シオン)さん。明日の昼も気になるでしょうが…… まずは夕食と朝食だって、忘れてないでしょうね!?」 「あーと、寧凛さん。鱈魚(たら)の切り身を大量に作って軽く焼いて、白菜と大葱(ねぎ)と春菊と蟹味菇(ぶなしめじ)を切って、あと大根をとにかくすりおろしておいてくれます?」 「うわっ(へん)なニオイっ! 梓恩(シオン)さんてば、またしても、こんな不気味な魚を……!」 「軽く塩してでてきた水分を拭きとったあと、しばらく酒に(ひた)して両面焼けば、匂いはとれますから」  鱈魚(たら)から漂う、ほのかなアンモニア臭。寧凛は、あっというまに不機嫌になった。 「また(へん)なものを作ろうとしてるんじゃないでしょうね、梓恩さん!?」 「鱈魚(たら)雨雪鍋(みぞれなべ)ですよ。莉妃のご実家はいつも、季節の魚を献上してくれるので有難いですね」 「後宮の大部分で嫌がられて、残りが大量に農園にまわされて(肥料になって)ますけどね!」 「食べる習慣がないだけですよ。寧凛さんだって、魚、食べてみたらけっこう、いけたでしょ?」 「うっ…… 残したらもったいないから、いただいているだけです!」 「うん、えらいえらい…… では、行ってきます」 「どこにですか?」 「ちょっと調査(リサーチ)に」 「これだけの量を僕だけで、するんですか!?」 「大丈夫。半刻あれば、ばっちりですよ」  寧凛に包丁を手渡すと、厨房の外に出た。寧凛がなんか叫んでるけど…… ま、よろしくお願いします!  さて、皇后陛下のことを調べなきゃ…… とりあえず、桜実(オウジツ)さんにでもきいてみようかな。  白塀に囲まれた()宮の近くまできたとき。  珍しいひとが侍女を従え、こちらに歩いてくるのが見えた。細く小柄な体型に薄紫の上衣と、さらに淡い色合いの領巾(ひれ) ―― 莉妃だ。そして侍女は、桜実。  わたしは道をあけ、拱手して頭をさげた。  莉妃がつと、足を止める気配。 「梓恩さんね? 頭をあげてくださいな」 「…… 失礼いたします」  やわらかで細く、すこし聞き取りにくい声。  礼をとくと、垂れぎみの優しそうな目が、こっちを見ていた。   「先日は、とても助かりました。また正式にお礼をいたしますわね」 「あの、お気遣いなく…… お礼など、おそれおおく存じます」 「とんでもないわ。恩人ですもの」    思ってたとおり、莉妃、いい人……!  話すの初めてだけど、初めてな気がしない。控えめな雰囲気が、やっぱり癒し系というか。 「ところで、こちらに、なにか用事かしら?」  「ちょっと桜実さんに聞きたいことがありまして…… ですが、外出でしたら後でまた、参ります」 「少し時間がかかるかもしれませんわ。(ヘキ)妃さまがカゼだと聞いて、お見舞いに行くところなのです。珈琲(コーヒー)を、わけてあげたくて」 「あっ、カゼでしたら珈琲(コーヒー)はあまり良くないかもしれません」 「そうなの?」 「ええと症状にもよりますが…… 莉妃さまの体質にあわせて調合したものですので、碧妃さまの体質にあうかどうかは、ちょっと。あとですね、カゼなら鉄板で効くのは別のモノになるんですよ」 「なにかしら」 「大根おろし、生姜、蜂蜜、葛を緑茶でといて飲むんです。大根おろしと緑茶は熱をはらい、生姜と葛は寒気(さむけ)を取り、蜂蜜は痛みを止めるほか、滋養にもなります。咳のあるときは蓮根(レンコン)も」 「まあ、詳しいのですね」 「それとあともうひとつ、鉄板のものがあるのですが…… ここにはないし、あまり知られてもいないんですよね」 「そう…… 多すぎて、わたくしではとても、覚えきれないわ」  莉妃がほんのりと笑顔を浮かべる。  元気になったんだなあ、莉妃…… 本当に良かった。 「よろしければ、一緒に(ヘキ)宮におもむき、説明してもらえますか? もし、急いでいるのでなければ、ですが」 「大丈夫です。夕食の仕込みは、頼りになる助手がしてくれてますので」 「そうなのですね。では、歩きながらお話しましょう。梓恩さんは、なにを桜実に聞きたかったのでしょう?」 「はい、皇后陛下のお好みや性格など…… 明日の昼餐においでになるので、少しでも参考にしたくて」 「そうでしたのね」  桜実さんは女官だから、少しは皇后陛下のことにも詳しいかも ――  期待していたが、詳しいのは桜実さんよりもむしろ、莉妃のほうだった。   皇后陛下には、日ごろから良くしてもらっているのだそうだ。 「わたくしのさした刺繍が、あるかたに取り上げられて、後日にそのかたの自作として皇帝陛下に贈られたことがあったのですけれど…… そのときにも皇后陛下は、すぐに見抜いて、そのかたをお叱りくださったのですよ」 「はあ…… 立派なおかたなのですね、皇后陛下」 「ええ。素晴らしいおかたなの。わたくしと桜実が投獄されたときも、とても怒っていらしたそうです。そして、なるべく過ごしやすいよう、便宜をはかってくださっていたのですって」 「えっ、でも……」  助けてはくださらなかったんですか?  思わず、つっこんでしまいそうになって慌てて口をつぐむ。  桜実が、さっと目配せして 「お立場があるんですよ」 と短く説明してくれた。ですよね。  皇后ともなると、ひとりの妃に堂々と肩入れするわけにもいかないんだろう。  おしゃべりしながら歩いていると、大きな窓に(コケ)むした緑色の屋根と渋い赤の柱 ―― コントラストの美しい、四層建ての碧宮が見えてきた。 「(ヘキ)妃さまは冬になると、よくカゼを召すのですわ」 「莉妃さまは、碧妃さまと仲がよろしかったのですね」 「いいえ…… それがね、お見舞いに行くのも、これが初めてなの。わたくし…… みなさんから嫌われているので…… きっと不愉快な気持ちにさせてしまうでしょうから……」  莉妃が恥ずかしそうにうつむく。  なんか、身に積まされるなあ…… わたしも転生前は、そう信じこんでたときがあったっけ……  きっかけは、同僚の華やか女子グループに 「ダサい」 とか 「将来はお(ツボネ)確定」 とか噂されているのを聞いてしまったからだった…… あのときから、会社の女の子と話すのが怖くなって…… そして、ひたすら仕事しかしないブラック社畜へと成長 (?) していったんだったな。 「けれど碧妃さまなら、いきなり追い返したり、妙に誤解して悪い噂を立てたりはしないでしょう、と桜実が申しますので。ね、桜実?」 「はい。(ヘキ)妃さまは普段から宮に引きこもりがちの、変わったおかたですが…… そのぶん、野心や悪心(あくしん)などはお持ちでないかと。後宮じゅうに噂を流す暇があるなら、琵琶の練習をされるようなおかたです」   「なるほど…… それでお見舞いに?」 「まだ、少し、こわいですけれど…… でも、この天地のあいだには、味方がおおぜい、いるのでしょう? ね、梓恩さん?」 「そのとおりでございます、莉妃さま」 「ならば、失敗して少しくらい嫌われても問題ありません…… おそれるより、後宮(ここ)にも助けあえる知り合いを増やせるよう、努力してみましょう…… と、そうですね、桜実?」 「はい、さようでございます、莉妃さま」  うんうん。わたしは何度もうなずいてしまった。  なんだか胸がいっぱいになる ――  桜実は莉妃に伝えてくれて、莉妃はきちんと受け取ってくれた。養生やってて、よかった。  「梓恩さんの珈琲(コーヒー)のおかげね」 「桜実さんのお力と、莉妃さまの勇気ですよ」  桜実とわたしは、素早くやりとりして、ふふっと笑いあった。
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