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プロローグ
氷に閉ざされた北の大雪原から、香り高い果実のなる南の密林まで……
広大な大陸を統一したその王朝の名を 『永』 という。
偉大な永皇帝のもとには、各州から選りすぐりの美女が集められ、河のほとりに建てられた壮麗な宮殿に暮らしていた。
いわゆる後宮 ―― そこで起こることなど、いずれの世にも似たようなものである。
いまも、ひとりの美女が罪を濯ぐための毒杯を震える手で受けとったところ。
彼女 ―― 莉妃の罪は、寵愛No.1のライバル妃に呪詛をかけて病にし死なしめた、というものである ――
「いや、普通に伝染病でしょ、どう見ても」
ゲーム画面に、わたしは思わず、つっこんだ。
熱心にゲームをプレイしていた友人が、タブレットを置き、わたしをにらむ。
「ちょっと、萌! やっとザマァまで行ったのに、そういうこと言わないで。下がるわ」
「いやーだってさー。死んだ珠妃のあの症状、どう見ても痘瘡だし。それに莉妃って、悪い子には見えないじゃん。清楚地味美女」
「半世紀も前に絶滅宣言された病気の判断がひとめでつくの、萌、あんたくらいよ。それから昨今では、こういう庇護欲そそるタイプは実は悪女って決まってんの」
「へえ…… そういうのが、流行りか」
わたしは改めてゲーム画面を眺めた。
―― ブラック社畜をやってる間に、世の中は変わったもんだ。
友人の説明では、今、恋愛ゲームで人気のヒロインは、清楚でも地味でもドジっ子愛されキャラでもなく、キツめで一見、悪役にも見える女の子であるらしい。
友人は 『悪役令嬢』 と言っていた。あくまで役であり、真の悪ではないところがポイント。むしろ真のヒロインはこっちだそうだ。なるほどね。
ちなみに友人がプレイしている妃も、このタイプである。嵩妃という、キツめな美女だ。
「でも、わたしなら、普通に莉妃みたいな子がいいな。癒されそうだし」
「見た目はね。けど、莉妃でプレイすると、ステータスはマイナスからのスタートだよ」
友人が画面を切り替え、莉妃のステータスを出してくれる。
【キャラ:莉雨紗
位 :昭儀
年齢 :22歳
☆プロフィール☆
見た目は清楚だが後宮に入る前に3人の夫を亡くしており、 『夫殺しの妖婦』 と噂される女性。後宮では皇后に取り入っているが、ほかの妃からの評判は最悪。
バッドエンド回避のため、名声や人望の回復をがんばろう。
☆ステータス☆
寵愛/3位
容姿/ 95 知性/80 華/45
技芸/85 人望/-35 名声/-55】
「うわ…… ひど…… かわいそすぎる」
「かわいそうもなにも。そういう設定なんだから」
「うーん…… どう見ても、繊細で悩み多めで冷えやすい、ただの気虚タイプな子なのになあ」
「出た、漢方オタクが……」
友人の口調が若干げんなりしているのは、わたしがなにかというと、会話に漢方の知識を持ち出すせいだ。
興味がなければ、うざいだけっていうのはわかる。
だが許せ友よ。わたしはここ数年、仕事以外はネットの漢方コラム読むしか、してないんだよ。
通勤電車のなかでポチポチと、漢方薬剤師の先生がたのコラムを読みあさるだけの毎日だったんだよ。
「そういえば萌。ちょっとまえ、薬膳カフェでバイトするために、会社やめて資格とるっていってなかった?」
「うん。きのう、会社やめてきた」
「まじか。思いきったねえ…… ま、もともと料理好きだもんね、適職じゃない? 試験いつ?」
「今日。いまから」
「まじか! 行動力!」
「いや、ギリギリまで代わりの人がきてくれなかった、ってだけでね……」
「そっか。まあ、がんばってきなよ、試験」
「うん。ありがとう。行ってくるね」
はげましの声を背に、わたしは友人の部屋をあとにする。
わたしがこれから向かうのは、 『漢方食養士』 の試験会場 ――
深夜までのサービス残業続きで死にかけ寸前だったわたしは、いつからか 『養生』 に惹かれていった。
―― 自然と調和し、自分を大切にして心穏やかに過ごす……
これまでは忙しすぎて、できなかった。
けれど、今日、資格試験が終われば。
待っているのだ。
憧れの、薬膳カフェバイトと養生スローライフが……!
ひぃやっほぉぉぉぉう!
わたしが心のなかでバンザイをしたとき。
猫の鳴き声がした。
必死な感じがひしひし伝わってくる、その声は……
木の上から、かぼそく降り続けていた。
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