3-4. 梓恩、妃を見舞う

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3-4. 梓恩、妃を見舞う

 (ヘキ)妃は、印象深いくっきりとした目と通った鼻筋を持つ美女だった。目も鼻も口も大きい…… いかにも快活な顔立ちなのにそう見えないのは、やや乾燥ぎみの青白い肌と皮肉っぽい笑みからだ。  その手元にあるのは、描きかけの山水画。  ねじれた山道と花、清らかな渓谷。山道を連れだって登る人に花の下で談笑する人、彼らに背を向けて、ひとり崖にたたずむ人 ――  穏やかな春の景色を、細やかな筆遣いで描いているところだったのだ。  わたしたちが挨拶をすると、碧妃は筆を置き、軽く目をおさえて 『くふん』 と咳払いした。  さっき、案内の侍女が 『熱はなく症状は軽め』 って言ってたけど…… まさしく、そんな感じだな。 「()妃さまが、お見舞いにきてくださるとは。はてさて、今夜は大雪であろうかの…… くふん。カゼをひいた人間が珍しゅうて、くふん、見物にでも、いらしたのかえ?」 「あの、あの、ごめんなさい…… ご気分を害するつもりでは、ありませんでしたの」  少々かすれた声と、ダルそうなしゃべりかた。そして挑戦的な物言いに、はやくも莉妃は涙目だ。   「ただ、碧妃さまは、よくカゼを召されているので、おつらいでしょうと……」 「冬はカゼをひかぬほうが、くふん、おかしいのではないかえ? それともなにか? くふん、(わらわ)には、カゼをひく自由もないのかえ? くふん」 「…………」  助けを求めるように、莉妃が桜実とわたしを振り返った。 「いえ、カゼを召される自由も、おありと存じますが。実際、おつらいでしょう、碧妃さま」   素早く反応する、桜実。 「莉妃さまは心配されて、カゼの治療に詳しい宦官を連れてきて下さったのですよ。梓恩さん、碧妃にご挨拶なさって」 「梓恩(シオン)と申します」  テキパキと丸投げしてくれたな、桜実(オウジツ)さん……  わたしは拱手して頭を下げた。 「巽龍君(皇太子殿下)付きの料理官でございます」 「くふん、医官ではないのかえ? ―― ともかく、ふん。(わらわ)は、どちらの派閥に入るつもりもないわ、くふん」 「…… 派閥?」 「とぼけても無駄じゃ。(わらわ)(スウ)妃と雅雲(ガウン)殿下に肩入れせぬよう、巽龍君の側に取り込むつもりなのでは、ないかえ。皇后陛下の腰巾着が、不快なことじゃ」 「えーと。そうなんですか、桜実さん」 「まさか!」  碧妃の発言は、桜実にとっても意外だったようだ。くりっとした目が、ますます丸くなっている。 「()妃さまはたしかに、皇后陛下を尊敬していらっしゃいます。ですが、そのような気働きなど、できるはずもございません」 「…… まあ、ですよね」 「くふん、そうかえ。じゃが、ともかく、(わらわ)には、くふん。派閥など関係ないわ。わかったら、帰りゃ」  ぷい、と横を向いてまた咳をする碧妃。 「ダルいのじゃ。まったく、冬は楽しゅうないの」 「そのおカゼ、動かれたほうが、はやく良くなると思いますよ」 「なにを申すのじゃ。くふん」 「冷えによる重だるさと乾燥による喉の不調。たしかに、寒く乾燥する冬に出がちな症状ですが、ようは」  びしり。  わたしは脳内で(ヘキ)妃に、指をつきつける。見た目は宦官、頭脳はおとな、漢方食養士 梓恩! なんちゃって。  ―― 碧妃のカゼは、熱が出ておらず、症状は軽め。だが、とくに冬の間に繰り返す。  ということは、最大の原因はウィルスや細菌ではなく、体質。  ―― 乾燥気味の肌や軽い咳は、身体に潤いが不足していることを示していると思われる。  肌の青白さや身体の重だるさは、血の不足と、それによる冷えのためだろう。  くわえて碧妃は、楽器の練習や絵を描くことが好きなインドア派…… しかも、女官たちに世話されていたら、1日中ほとんど動かずに生活できてしまうのだ。 「碧妃さまのおカゼの主因は、運動不足です。動かなすぎて気血の(めぐ)りが悪くなり、身体の機能が低下した結果、食欲が落ちて栄養不足に。すると、さらに身体の機能が落ち、ますます(めぐ)りが悪くなって、栄養がより不足する…… その悪循環です!  つまり、碧妃さまのお身体はいま、気も血も足りてない弱々(ヨワヨワ)な状態。なので、冬の寒邪(かんじゃ)燥邪(そうじゃ)におかされやすく、しょっちゅうカゼを召されるのですよ」  気、っていうのは、中医学のことば。  身体の抵抗力と免疫力と酸素のことだと思ってもらえば大体OKかな (諸説あります) 。  中医学では 『気』 が血と水分をひきつれ体内を巡って臓器を動かし、かつ、身体の外に出て全身を守り、(じゃ)の侵入を防いでくれると考える。  ちなみに(じゃ)は身体に不調をもたらす外因のこと。  この考えかた、好きなんだよね ―― 自分の身体がひとつの城になったみたいで、ワクワクする。  『気』 は城を運用してる兵隊さんたちで、彼らが強いと 『(じゃ)』 というモンスターを撃退できるのだ。異世界まで行かなくても、身体のなかがファンタジー……!  ―― (ヘキ)妃は、ぷい、と横を向き、くふん、と咳をした。 「だって、ダルいんじゃもの。動きとうない。咳も出るし」 「ですからまず、栄養と潤いを補充しましょう。生姜と(クズ)蓮根(レンコン)…… 詳しい調合(レシピ)は、侍女のかたに伝えておきますね。それを1日2回、朝晩飲んでみてください。  そして、動けそうなときに、無理ない範囲で少しずつ動くようにされるといいと思います。あと、夜更かしは控えてくださいね。(たん)(かん)―― ひいては、全身の不調につながりますので」 「いやじゃ。くふん。どうして(わらわ)が、医官でもない、そなたの言うことを、聞かねばならぬのじゃ」 「まあ、そのとおりですね。実行するしないは、碧妃さまのご自由に」 「え…… あっ。そそ、そうじゃろう! では、もう帰りゃ」 「はい…… あの、莉妃さま、桜実さん」 「なんでしょう」 「なに、梓恩さん」  くちぐちに答える主従。  ふたりとも、碧妃の想定以上の難物(なんぶつ)ぶりに固まっちゃってたみたい。 「あの、わたし、これで失礼してもよろしいでしょうか…… 巽龍君(皇太子殿下)のお夕食の準備もありますし」 「そうね。わたくしたちも、これで失礼いたしましょうか、桜実」 「はい、雨紗(莉妃)さま……」 「ああもう。くふん。さっさと帰りゃ」 「はい、では失礼いたします…… ご自愛ください、碧妃さま」 「うるさいわ。菊明(キクメイ)、お客様がお帰りぞ。お送りしておやり」 「かしこまりました…… 莉妃さまがた、どうぞ、こちらに」  菊明は、最初にわたしたちを案内してくれた侍女だった。13~4歳くらいか。おとなしい顔立ちだが、しぐさがテキパキして活発そうだ。  碧妃の部屋を出たところで、わたしは菊明に珈琲のいれかたと、碧妃向けの風邪の処方を伝えた。 「―― 復唱しますね! おカゼのあいだは、枸杞(クコ)茶に葛と生姜、蜂蜜(はちみつ)をとき、蓮根の絞り汁を入れたものを朝晩。おカゼが治ったら、枸杞(クコ)茶でいれた珈琲(コーヒー)に牛乳と蜂蜜を混ぜて飲むといい! ですよね?」 「そうです」  わたしはうなずく。  珈琲(コーヒー)、最初は碧妃の体質に合うか心配だったけれど、莉妃のぶんとほぼ同じ調合で、いけそうだ。 「碧妃さまは、気も血も水分も不足ぎみで、そのせいで腎や肺が少々、弱っている状態と思われますので…… まずは栄養をしっかり、とらせてさしあげてくださいね。羊肉や牛肉でもいいですが、魚もオススメです。とくに、鯖魚(さば)黄尾魚(ぶり)など…… そして、運動です」 「かしこまりました! 今日はほんとうに、ありがとうございます…… あの! 失礼ですが、莉妃さま」 「どうしましたか?」 「あの、碧妃さまはいつもああなんで、あまり気にされないでくださいね! 莉妃さまも、おつきの皆さまも! 内心では、たぶん嬉しがってらっしゃいますから」 「そうなのですか……?」 「えっ、だって莉妃さま! お見舞いにきてもらって嬉しくない人なんて、めったにいないですよ」  一瞬、明るくなった莉妃の顔が、またしょぼんと下を向いた。  まあ、菊明くらい雑でないと(ヘキ)妃には仕えられないだろうな…… 「―― 申し訳ございません、莉妃さま」  碧宮の門を出て、しばらく ――  桜実が、しおしおと口を開いた。
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