3-6. 梓恩、鍋を料理する

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3-6. 梓恩、鍋を料理する

「ただいま戻りました、寧凛(ネイリン)さん」 「遅いですよ、梓恩(シオン)さん! もう食材、切り終わっちゃったじゃないですか!」 「全部ですか。有能ですね、寧凛さん」 「うっ…… ほめなくていいから、もっと早く戻ってきてください!」  東宮の厨房に戻ると、寧凛がさっそくじゃれてきてくれた。  本人は真面目に怒ってるつもりなんだろう。  だけどね。美少女顔のツンデレくんに 『早く戻ってきて』 なんて言われたら…… にゃふふふ。  ご褒美でしかないのだよ、ごめん。 「鱈魚(たら)は両面、焼きました?」 「はい!」 「食材、きれいに切りましたね。さすが」 「当然ですっ!」 「じゃ、始めましょうか」  まずは前日から昆布をひたしておいた鍋に火をかけ、沸騰する直前で昆布を出して、酒と塩ひとつまみをちゃっと投入。  沸騰したら春菊以外の野菜をいれてしばらく煮る。野菜がクタクタ美味しそうになったところで、焼いた鱈魚(たら)の切り身をいれて、もうひと煮立ち。それから豆腐、仕上げに大根おろしを投入し、春菊を散らして火を止める。 「よっし完成」  大根おろしと鱈魚(たら)と豆腐の白に、春菊の鮮やかな緑…… はううううう。美しい。 「さあ、寧凛さん。早く坊っちゃま(皇太子殿下)にお出しして差し上げましょう」 「へ? これを? 味つけは……?」 「このままですよ?」  ぽかんとする寧凛。  ふっふっふっふっ…… 中華ふうゲーム世界のキミに、前世日本食の実力を見せてあげよう。 「じゃーん。雪水鍋(みぞれなべ)は、この橙子醤(ポン酢)をつけて食べるんですよ」 「なんなんですか、その怪しげな液体はっ!」 「蜜柑(みかん)柚子(ゆず)の絞り汁に醤油(しょうゆ)をあわせ、昆布(こんぶ)を浸して旨味を出した調味料です。冬のお鍋には欠かせません」 「蜜柑と醤油…… 昆布……」 「当然に有りですよね。はい、味見」 「…………っ! …………っ!」  鱈の切れ端と春菊を鍋からすくい、ポン酢をかけて差し出す。しばし無言の寧凛。わかるわー。 「最高でしょ? ね?」 「…………っ! もっ、もし、坊っちゃま(皇太子殿下)のお気に召さなければ、上に言いつけますからねっ……!」  寧凛のお気には召したみたいで、なにより。  ―― さて、次は甜点(デザート)。  これはもう、ほとんどできてるんだよね。  ちょっと前に尚食から食べごろの干し柿を仕入れたとき、思いついて準備しておいたのだ。  あとは牛乳と柚子(ゆず)の絞り汁で、干酪(カッテージチーズ)を作るだけ ――  雪水鍋(みぞれなべ)の給仕を寧凛に任せると、わたしは牛乳の鍋を火にかけ、ゆるゆるかき混ぜはじめた。 「梓恩! 雪水鍋(みぞれなべ)とやら、実に美味であった!」 「おそれいります。雪水鍋(みぞれなべ)には大根おろしをたっぷり入れておりますが、これは気を巡らせて脾胃(ひい)のつかえや血の滞りを除き、熱を清めます。また、鱈魚(たら)は気血を補い 「あとで麺を入れるのも、美味であった!」 「ありがたきお言葉」 「それに、終わりのお(かゆ)も最高だったぞ! 鍋の(スープ)を使うとは、新しいな!」 「お気に召して、なによりでございます」  巽龍君(皇太子殿下)は鍋がいたく気に入ったようだ。  わたしが甜点(デザート)を持っていくと、想像以上の絶賛の嵐 ――  なんでも美味しく食べてくれる元気な子をもって、お姉さんは幸せです。 「明日の母君との昼餐(ちゅうさん)も、これがいいぞ!」 「えええっ!? …… と、失礼しました…… 明日も同じものでは、坊っちゃまがお飽きになりませんか?」 「ならない! なんなら、朝昼晩ともこれが良いぞ!」  あー…… 前世でもいたわ…… 朝昼晩ともカレーが食いたいとか叫ぶ小学校の同級生が…… 「かしこまりました。では、明日の昼餐には、こちらの鍋もお出しいたします」 「うむ、頼むぞ! 母君もきっと、感動されるであろう! ―― して、この甜点(デザート)は? ……肉?」  巽龍君が、ふしぎそうな眼差しを、盆の上に注ぐ。   肉と間違えるのも無理はない。薄く切った干し柿のお菓子、サラミにそっくりだもんね。 「柿果头(しかとう)と名付けました。干した柿と無花果(いちじく)葡萄(ぶどう)、それに枸杞(クコ)の実と胡桃(くるみ)を細かく刻み、蜂蜜(はちみつ)で練って固めたお菓子です。添えてある干酪(カッテージチーズ)と一緒に、お召し上がりください」  ようは、前世はイタリアの伝統菓子フィグログの、干し柿バージョン。そのまま食べても美味しいけど、ハムやチーズとあわせると良いワインのおつまみになる。   「干した果物には栄養が凝縮されているので、疲労回復に役立ちます。また、脾胃(ひい)の調子を整え、酒毒を解消 「美味であるっ!」 「ありがとう存じます」 「酒毒にも良いのか? ならば、母君にもぜひ、教えて差し上げねばな」 「かしこまりました。では、明日の昼餐には、こちらもお出ししますか?」 「うむ! よろしく頼むぞ…… 美味である!」  巽龍君、すごく楽しみにしてるんだな、明日のお昼……  春に中宮(皇后宮)からこちら(東宮)に移って以来、初めての、お母さんとの食事だもんね。  だったら、少しでも家族を感じられるようにしてあげたいな ―― そうだ。  鍋なら、ぜんぜん、できるかも。  翌日 ―― 「奥さま(皇后陛下)は、公平で正しいおかたです、梓恩さん」 「どうやら、そのようですね、寧凛さん」 「そのぶん、めちゃくちゃ厳しくもあられます」 「そうかもしれませんね」    わたしと寧凛は、東宮の食堂に向かいつつ、こんな会話を繰り返していた。  ふたりして、重たい荷物を運び込んでいるところである。  が、例によって、寧凛のお気に召していないのだ。 「ちなみに、その正義の基準は、あくまでも奥さま(皇后陛下)ご自身のものであり、情状酌量などされるかたでは、ありませんよ、梓恩さん」 「ええ。どうも、そのようですね」 「なのにどうしてっ!」 「えーと、もう少し、中央がですかね。ちょうどおふたりの席の真ん中あたりになるように…… そう、そんな感じです…… よし、いいです」  ごとり、とも音をさせず、息を合わせて運び込んだものを置くと、寧凛はきっ、とソレを指差した。 「なんで、こんな発想になるんですか!」 「養生のため…… ですかね」  わたしは、運び込んだ火鉢の上に鍋をのせた。  中央が仕切られ、太極の形になった陰陽鍋 ―― 昼餐の鍋料理は、栄養を考えて二種類にするつもりなのだ。  それも、一般的な庶民の方式 ―― つまりは 『アツアツの鍋を囲んで家族団欒(だんらん)』 で。   「寧凛さんは雪水(みぞれ)鍋のほうをお願いします。わたしは、白肉火鍋で」 「もし火傷(やけど)されたら、ガチで首が飛ぶかもしれないんですよ!?」 「そのときは、わたしが全責任をかぶりますので…… 寧凛さんは全力で逃げてください」 「できるわけないでしょうがっ!」 「まあまあ。大丈夫ですって。たぶん」  寧凛が神経質になるのもわかるけど……  重要なのは、栄養だけじゃない。食を囲む人たちの気持ちも、関係も ―― ぜんぶ大切にするのが、養生だ。 「大丈夫じゃなかったら、どうするんですか!」 「そのときは、そのときですよ」  先のことは無駄に心配しないのも、養生なのだよ、寧凛くん。  ―― 皇后が東宮を訪れたのは、昼前だった。  午前の会議から駆けるように戻ってきた巽龍君(皇太子殿下)は、ずっと門のあたりをうろうろして皇后を待っていたのだが ――  皇后の姿を遠くに認めると、ダッシュで自室に戻ってしまった。  そして次に姿を現したのは、皇后陛下の来訪が告げられたのち。  普段とは別人のような、落ち着いた態度で皇后の前に拱手し、ひざまずいたのだった。難しいお年頃なんだな。 「母君。お待ち申し上げておりました。お越しいただけて、恭悦至極に存じます……っ!?」 「宝龍ちゅあん!」 「……っ! 離してください、母君! もう子どもではありませぬ!」 「いいではないか。このようなときしか抱っこできぬのだから。親孝行がしたければ、黙って抱っこされておけ。まったく、あっという間に大きくなりおって…… ほーれ、すりすりすりすり、すりすりすりすり。だが、ほっぺは、まだスベスベだにゃあ? 宝龍ちゅあん?」 「……っ! ……っ! ……っ!」  対する皇后は、久々の母子水入らずを満喫しておられるもよう。名前の一部に 『宝』 をつける呼び方は、この国で親が幼い子によくしているものだ。  わたしたち召し使いにできるのは…… そっと、目をそらして差し上げることくらいかな。  さて、ひとしきり再会がすんだら、いよいよ食事だ。  わたしと寧凛は、先に食堂に戻り、最終確認をする。  卓布(テーブルクロス)、よし。器、よし。前菜、よし。食前酒、よし。  鍋の出汁はいい感じに煮えており、あとは、具材の投入を待つばかり ―― 「ほう、良い匂いがするではないか」 「はい、梓恩の料理ですから。温かいのですよ、母君!」  なんだか角度にして18度ほど違う会話を交わす母子を、わたしと寧凛は拱手し頭を下げて迎え入れたのだった。
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