3-7. 梓恩、皇后をもてなす

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3-7. 梓恩、皇后をもてなす

「おおっ! 泡がぷくぷくしておるな、湯気もすごいぞ!」  着席した巽龍君(皇太子殿下)と皇后。  火鉢の上でくつくつ煮えている鍋に、めっちゃ注目している…… 「これが、雪水鍋(みぞれなべ)の鍋なのか!?」 「こちらは陰陽鍋と申しまして、二種類の鍋料理を同時にできる調理具でございます。本日は、雪水鍋(みぞれなべ)と白肉鍋をご用意しておりまして。こちらで調理しながら、召し上がっていただきます」  「なんと!?」 「調理しながら!?」  巽龍君と皇后陛下のリアクション、似てるな。さすが親子。 「はい。具材に火がとおりましたら、適宜、お声がけいたしますので。どうぞ、お好きによそってお召しあがりください」 「好きにか!? 面白そうだな! この長い箸を使うのか?」 「さようでございます。白肉火鍋の(スープ)にはすでに味がついておりますので、こちらの木勺(おたま)(スープ)ごと、およそいください」 「おう! はじめてだぞ、こういうのは! で、まだなのか、梓恩?」 「もう少しでございます。お待ちのあいだは、食前酒と前菜をお召し上がりください。  食前酒は温葡萄酒(グリューワイン)でございます。赤葡萄酒に生姜・丁子(クローブ)桂皮(シナモン)陳皮(みかんピール)・蜂蜜を加え、温めて酒毒を去りました。お身体に熱を与え、寒邪を強力に払う作用が期待できます。  前菜は柿果头(しかとう)豆乳醤(とうにゅうソース)添えで……」 「うむっ、美味である! 鍋はまだか? はやく、とってみたいぞ!」  食前酒と前菜も、巽龍君(皇太子殿下)にかかると瞬間で消える。あっという間に食べたあとは、さっそく菜箸を持ち、わくわくと動かしてみている。かわいいな、もう。  一方で皇后は、前菜に手をつけず、眉をひそめている。 「梓恩とやら。そなた、召し使いのくせに、給仕の任を果たさぬつもりか?」    「おそれながら、奥さま(皇后陛下)は、ご自分で、お皿に料理を入れたことは」 「あるわけがないであろう」  やっぱりね。もとから、超がつくお嬢様だもんね、皇后・姚氏(ヨウし)といえば。  だけど…… 気がめちゃ強くて、合理主義。自分にできないことなんてない、と本気で思っているし、理屈に合っていることならば納得するはず。  基本は、弱きものをかばい、悪をくじきたい。ヒーロー願望の強いイケイケどんどんな人なんである。  この辺が、昨日、莉妃にきいてわかった姚氏の性格。  そして、今日。ご本人を見て、もうひとつ、はっきりした ――  寧凛が 「だから言ったんですよ! どうする気ですか、もう!」 とでも言いたそうに、顔色を変えてこっちを見るけど……  前世で社畜をやってると、皇后みたいなおかたは 『すぐ怒るけど、じつは良い人』 にしか、見えないんだよね (笑)  わたしはあらためて拱手しなおし、頭をさげた。 「では、奥さまはご自分では料理をお皿によそえないので、いらっしゃいますね。大変、失礼いたしました…… 奥さまのぶんは、こちらで給仕させていただきます」 「できないとは、いっておらぬであろう!」 「失礼いたしました。おできになるのでしたか」 「ふん! こんなもの、造作もないわ」  むっとした口調で、皇后が菜箸をとった。  やっぱり。 『できない』 って言われるのに、我慢ならないんだね…… こういう人、好きだなあ。 「鍋は本来、できたてアツアツをフウフウしながら食べるのが美味しいのですよ…… そろそろ、豆腐をお上がりください」 「フウフウするのだな、梓恩(シオン)!」 「さようでございます、坊ちゃま。熱いままですと、お口の中を火傷(やけど)されるかもしれませんので。お気をつけてください」 「わかったぞ!」  巽龍君が菜箸を、鍋に伸ばそうとした瞬間。 「待つのだ、宝龍」  皇后が引き止めた。  寧凛(ネイリン)がまた、慌ててわたしのほうを見る。  目配せでの 「どうするんですか!?」 は、わかるけど…… うん、どうもしない。 「母君? はやくしないと、豆腐が煮えきってしまいます! ほら、母君もはやく!」 「待て、うっかり火傷などしては危ないであろう、宝龍。しばし、待っておれ…… 白肉鍋の(スープ)はこの木勺(おたま)であったな、梓恩」 「はっ、さようでございます」  皇后の表情、めちゃ真剣……  しばらくして皇后は、椀を巽龍君の前においた。  優しい白い豆腐が2つ、赤い(スープ)から顔を出してほんのり湯気をたてている。 「宝龍、そなたはこれを食すが良い」 「母君……?」 「その浅薄な態度は感心できぬぞ、宝龍。君子は危うきに近寄らぬものである」 「ですが…… 私だって」 「火傷すると、危ないであろう?」  皇后…… やっぱり、思ったとおりだ。  厳しいけれど、愛情がまっすぐで深いひと……  不満そうだった巽龍君の顔が、ぱっと明るくなる。 「でしたら母君。私も、母君のぶんをよそって差し上げますね!」 「宝龍! (われ)の言うことが、聞けぬのか?」 「母君。私だって、もう、おとなです」  巽龍君は雪見鍋の豆腐をすくい、橙子醤(ポン酢)をかけて皇后に差し出し、笑った。 「それに私だって、母君が火傷されるのは、嫌ですから」 「…… 言いおるわ」  少し前までは、小さな赤子(あかご)であったのにな ――  皇后のつぶやく声が、白い湯気にとけて、消えていった。 「―― 甜点(デザート)は、牛乳と卵の布丁(プディング)苹果(りんご)白葡萄酒煮(コンポート)添えでございます。あえて氷室で冷やしてまいりましたので、そのままお召し上がりくださいませ」 「おう! 食べりゅうぅぅぅ!」  甜点(デザート)を出す頃には、巽龍君はすっかり普段どおりに戻っていた。  ただし、いつもよりかなり嬉しそう。  皇后が、驚いた顔をした。 「冷やしたものだと!?」  そうそう、この国の人たちは、あまり冷たいものを食べないんだよね。まあ、中医学の考えには合ってるんだけど。  胃の温度が下がると、戻すために血流がそちらに集中するぶん、巡りが悪くなって身体に負担がかかってしまう。 「今回の食事は、温める力が強い香辛料も、かなり使っておりましたので…… 胃に熱をためやすいご体質であられる奥さま、お坊っちゃまでしたら、冷たい甜点(デザート)も問題なく召し上がれるかと。温かい珈琲(コーヒー)と一緒に、どうぞ」 「ふむ…… そういうことか。だが、冷たいものなど」 「母君! パリパリです! 布丁(プディング)の上にのった薄い飴が、パリパリでとっても美味ですよ! はやく召し上がってみてくださいっ」 「…………」    ひとくちで、皇后陛下のひそめた眉がふっと、ゆるんだ。  ―― どうです、奥さま。これが、冷たい布丁(プディング)とパリッパリのカラメルの実力ですよ。 「まあ、そうだな…… 熱い料理のあとならば、冷たいものも、多少はかまわぬな」 「ええ、母君! 温かい珈琲(コーヒー)とも、よく合っていますね!」 「うむ…… これが、最近、宝龍が気に入ったという飲み物なのだな」 「はい! 梓恩はすごいのですよ、母君! 美味で珍しきものを、たくさん知っているのです!」 「そのようだな…… 工夫を凝らし、新しく見事な昼餐であったぞ、梓恩、寧凛」 「はっ、おそれいります」 「ありがたきお言葉」  わたしと寧凛はそろって拱手し、頭を下げた。  寧凛、めちゃくちゃほっとしてる…… そこまで心配されるほどヒドいことは、わたし、してなかったつもりなんだけどな。  こうして、皇后が冷たい布丁(プディング)を完食し満足して帰られた、数日後の昼 ―― 「梓恩。こんど中宮で、(ヘキ)妃の回復祝いの茶会があるぞ…… 美味であるっ」  巽龍君が、鍋の湯気の向こうで言った。火鉢で調理しつつ食べる形式がすっかりお気に召した皇太子殿下のリクエストは、このところずっと鍋一択なのだ。 「碧妃、お風邪が治られたんですね。わざわざ回復祝いをされるとは、さすが奥さま(皇后陛下)でいらっしゃいます」 「梓恩、そなたも客として招待されておるぞ」 「へ!?」  いけない。びっくりしすぎて、甜点(デザート)雪糕(アイスクリーム)、落っことしかけたわ。   「あの、わたしは一介の召し使いに過ぎませんが…… いったい、どうして」 「ま、母君からの褒美だな」 「鍋がお気に召したんですかね。それにしても」 「それだけではない。そなた、この前、(ヘキ)妃のカゼを治したであろう? それから、()妃が最近、明るくなったのも梓恩のおかげだそうではないか」 「いえ、わたしは妃さまがたに、養生をおすすめしただけですが……」 「いいから行っておけ。母君の招待を断ると、あとが怖いぞ」 「…… たしかに」  正直なところ、遠慮したいんだけどね。  召し使いの分際で後宮の茶会(女のいくさ)参加なんて、ためいき…… じゃなくて、深呼吸しよう。 「気遣い不要と母君もおっしゃっていたから、まあ、楽しんでくるがよいぞ、梓恩」 「かしこまりました」  ゆるゆると息を吐き出しながら、わたしは拱手して頭を垂れたのだった。
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