146人が本棚に入れています
本棚に追加
4-4. 梓恩、怒られる
「さて、寒冷蕁麻疹の治療ですが…… 嵩妃さまはまだ体力がおありなので、発表法という方法をとります。
まずはお薬で血の巡りを促進して体内の汚れを一時に出しきり、その後、寒邪に対して過剰反応しないご体質へと変えていく…… という。これには、お食事や生活習慣も変えていただかなくてはいけません」
「なんですって!」
わたしが治療方針を説明しだして、すぐ。
嵩妃がまなじりをつりあげて、叫んだ…… いやまあ、くるかな、とは思ってたけどね。
「あなた、あたくしのやりかたに文句つける気?」
「いや、文句もなにも。嵩妃さまのお身体そのものが、悲鳴をあげておられるんですよ?」
「…………」
嵩妃が押し黙る。ふっ、勝った。
「お食事やご入浴などの詳細は、のちほど侍女のかたにご説明しておきます。嵩妃さまご自身が、お気をつけてされなければならないことは、3つだけです」
「…… なによ」
「まずは、お身体を動かして気血の巡りをよくすることを意識なさってください。次に、苛々されたときには、深呼吸をなさって、体内に天の清気を取り込むことを心がけてください。それから、1日1回は、楽しいことを考えて幸せな気持ちになり、心の底からお笑いになってください」
「ふん…… では、あたくしは毎日、おまえと莉妃が処刑になったところを想像することにするわ」
「まあ、それで楽しいのでしたら、お止めしませんけどね…… では、わたしはお薬をもらって参りますので、いったん失礼します」
嵩妃の前から下がったあと、わたしは侍女に入浴と食事について説明した。
―― 入浴はぬるめの湯にゆっくりつかり、汗が出る前にあがる。入浴後に寒さを感じないよう、部屋をあらかじめ温めておく。
食事は洋葱、韭菜、大蒜、生姜、黒木耳など温める力、巡らす力の強いものを。
「特に心して摂っていただきたいのが、背の青い魚です。破血といって、滞った血を強力に巡らせる作用が期待できるので。いまの季節なら、鯖魚ですね」
「えっ、鯖魚ってなんですか! そもそも、嵩妃さまはお魚は召し上がりません! お魚なんて、顔がこわくて気持ち悪いでしょ! もうっ」
うーん。この妃にしてこの侍女あり。
また明日、鯖魚丸子でも持っていってあげよう。
さておき、いまは薬を用意しなければ。
わたしは、城をぐるりとまわって司薬に向かった。
司薬は、宮中の薬を扱う部署 ―― 尚食局の端っこにあり、同じ後宮内でも妃たちの宮や東宮とは反対側だ。夏も冬も、薬を取りに行くのは、ちょっとつらい。さぶっ。
「こんにちはー桂麻各半湯ください。お代は、嵩宮にツケで」
司薬の扉をあけると、何種類もの草の香が混じりあった、独特な匂いがした。落ち着く……
天井までびっちりと嵌め込まれた薬箪笥の前に座っているのは、飄々とした雰囲気の眼鏡くん。たしか、司薬丞の馬宦官だったか…… もと薬商の三男で薬の知識が豊富なので、皇太子毒殺を邪魔する可能性のある要注意人物として、覚えさせられた人だ (ちなみに前世のゲームでは、完全モブ) 。
彼を始末するときは、新薬を発見しようと毒草を味見してしまったことにすれば、疑われないそうで…… いや、わたしは人を始末なんて、しないけどね。
「あー、嵩妃の蕁麻疹か。消風散じゃ、ダメだった?」
「んー、ダメとは言いませんが、根本的な解決になってない、って感じですかね。消風散の主な目的は、体表の炎症止めですから。現に、嵩妃の蕁麻疹は、消風散を服用しても、繰り返してますし」
「……! きみ、なかなかやるね?」
ぐっと身を乗り出す、馬宦官。その目がこう言っている。 『さてはお主もオタクだな!?』 …… いえいえ、あなたほどじゃないですって。
「発表法を試すの? ならなんで、麻黄湯じゃなくて桂麻各半湯にするの?」
「麻黄湯が強すぎるからですよ。嵩妃さまは、瘀血があり、ときどき寝汗をかかれるそうなので…… 麻黄湯で強力に発汗させてしまっては、おからだの内側がカラカラに乾いて、より機能が衰えてしまう心配があります。
しかし、桂枝湯のみでは寒冷蕁麻疹の発表に用いるには、いささか弱い。そこで、嵩妃さまのご体力ギリギリのところを狙って、桂枝湯、麻黄湯を半分ずつの配合でお願いします」
「きみ…… 太医院の子だよね? 司薬にこない? 少数精鋭ぞろいで、太医院より成長できるよ」
「いえいえいえ…… そこまで詳しくないので」
それに、わたしは太医じゃなくて、食べ盛りのかわいい子の料理番なんですよ!
「えー、そんなことないでしょ?」 「いえ、ありますって」 「俺と一緒に、新薬の発見に命をかけてみない?」 「ぜったいやだ」
馬宦官がやっと薬の調合を始めてくれたのは、押し問答を10分くらい続けたあとだった。ふう……
「それっ風寒邪気を撃退♪ はいっ解肌発表♪ たのむっ温経散寒♪」
馬宦官が鼻歌してるのは、麻黄湯や桂枝湯の効能…… 魔法の呪文みたいで厨2心がそそられるのは、わかるけどね。
「だけど益陰斂営♪ やるね調和営衛♪ だいじ滋脾生津♪ そして益気補中に和中~♪
はい、できた。どうぞ」
「ありがとうございます」
薬を受け取って嵩宮へ。
漢方薬は、前世では粉や錠剤でお手軽に飲めたけどこの世界ではちょっと違う。
『○○散』 ⇒ 粉薬 『○○丸』 ⇒ 錠剤 『○○湯』 ⇒ 煎じ薬 なのだ。
つまり、この桂麻各半湯は煎じ薬。お湯でぐらぐら煮出して、お茶みたいな感じで飲む ―― 手間はかかるけど、煎じてるあいだ薬の香りのする湯気に包まれるのが…… 癒されるよね。
「もしお手数でしたら、わたしが毎日、煎じてさしあげますよ!」
「いいえ、けっこう。嵩妃さまのお薬ですから! わたくしたち侍女がご用意いたします!」
嵩妃の侍女に薬の煎じかたを実演しつつアピールしてみたら、あっさり断られてしまった。しょぼん。
「なに、あれ。いくら巽龍君の臣下だからって、馴れ馴れしい」
「嵩妃さまに気がおありなんじゃない?」
「ぷぷぷっ…… 相手にされるわけ、ないのにね」
しかも去り際には、こんなことを背後でひそひそ囁かれる始末…… いやいやいや。わたしにあるのは、養生への愛と莉妃へのゆる推し愛と、うちのよく食べる子たちへの愛だけですよ!
「―― つまりは、嵩妃さまはおそらく性格からくる病であり、呪詛の可能性は低い、というわけだね、梓恩どの」
「はっ。そのように見受けられました。すでに治療も開始しております」
嵩宮を出たその足で大理局に向かうと、端木将軍はすぐに会ってくれた。
嵩妃の症状と治療方針の説明をひととおり聞いた端木将軍は 「ふーん、なるほどね……」 と、こめかみを軽く押さえた。お疲れ、たまってますな。
「性格か……」
「はい。嵩妃さまには、まことにお気の毒なことと存じます」
「?」
「なりたくて、あんな性格になられたわけでもないでしょうから…… 毎日、無駄におつらいだろうな、と」
ふっ、と端木将軍が笑った。
「わかった。では、莉妃さまがたには、宮にお帰りいただこう。今日はもう遅いから、明日だな」
「遅い…… あっ、坊っちゃまのお食事!」
しまった。いつのまにか、もう夕方すぎだ……
「端木将軍、莉妃さまへのご配慮、まことに感謝いたします!」 「いや、当然のことだよ」
「では、失礼いたします!」 「また治療経過の報告にきなさい」 「はい! では!」 「そうそう、柿果头、美味しかったよ」 「はっ!」
小走りで部屋を出る。最後に嬉しいことを言ってもらったけど、ゆっくりドヤってる余裕は、このときのわたしにはなかった。
東宮に戻ったときには巽龍君の夕食はもう始まっていた。
当然のことながら、寧凛がめちゃくちゃ怒ってる……
「遅いですよ! 鍋料理でしたから、私がなんとかしましたけど!」
「ありがとうございます。けど、坊っちゃまもよく召し上がってますし…… 寧凛さんも、鍋料理くらいは余裕ってことに 「そうかもしれませんけど! それとこれとは別です!」
いや、ほんと、ごめん。
「職務放棄! こんどやったら、上に報告しますからね!」
泣きそうになりながら、きゃんきゃん吠える美少女顔が、嵩妃のあとでは、ご褒美にしか見えなくて。
ほんと、ごめん。
最初のコメントを投稿しよう!