閑話~雨水の夜客~①

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閑話~雨水の夜客~①

「ううう…… 日中は温かくなったけど、朝晩は相変わらず、さぶ()っ……」 「お帰り、梓恩(シオン)。客が来てるぞ」  立春を過ぎ、季節は雨水(うすい)のはじめ。かなり春めいてきたが、朝晩は絶賛、氷点下 ―― そんなある日。  本日も後宮でまったり養生慢活(スローライフ)を送って夜遅くに帰宅したわたしを待っていたのは、義兄の博鷹(ハクオウ)の難しい表情だった。珍しく、本ではなくてこっちを見ている。 「ほへ? こんな夜中に客ですか?」 「例の件がどうなっているか、進捗が気になられた依頼主のお使いだ」  義兄が声をひそめる。 『例の件』 とはすなわち、皇太子暗殺のお仕事 ―― いや、覚えてはいたよ? 単にやる気がまったく無かっただけで。  ためいき…… じゃなくて、深呼吸しよう。 「あー…… 帰ったらすぐにお風呂入ろうと思ってたのに……」 「客をさっさと帰らせて入ればいい。今日は艾葉(よもぎ)風呂だ」 「さっすが博鷹(ハクオウ)兄さん。よくわかってる」 「梓恩は春先になると腰痛起こすからな」  いつも勉強にしか関心なさそうなのに、こういうことは気づいてくれるんだよね、義兄は。 「じゃ、さっくりとお客さまを片付けてお風呂入りますか」 「お、そうしな。本気で片付けちゃダメだぞ」 「わかってますって。お客さまのお茶に斑蝥(はんみょう)の毒は入れませんよ」  ひそひそ軽口を叩きつつ、客間へ向かう。  この皇太子暗殺の仕事 ―― 依頼主は、わたしには明かされてない。お使いだというその客も、用心深く帽子をかぶったまま、顔を薄い布で隠していた。 「お待たせして申し訳ございません。梓恩にございます」  挨拶に返ってきたのは無言のうなずき。  依頼主のお使いだからか、偉そうだ。 「そなたの後宮での活躍は聞いていますが…… かんじんの件のほうは、進んでいるとはとても、言いがたいですね」  で、さっそく、これである…… 「そなたが着任してもう三月(みつき)以上になるというのに、かのかたは、ご健康そのものだと、いうではありませんか。病の影もないそうですね」 「はっ…… そちらにつきましては、少しずつ薬は盛っておりますので、まだ、効果が現れぬだけかと…… 病に見せかける場合には、ごくわずかずつ薬を入れ、五臓六腑を徐々に損なわせていくものですから。  早くとも、1、2年はかかるものとお考えくださいませ。そのかわり、効果が現れたときには、もう治療の施しようがなくなっていることでしょう」 「1、2年……」 「まだ、じゅうぶん間に合いますよね?」 「…………」  帽子から吊り下げた布の奥で、顔をしかめてる気配。そして、ためいき。 「(あるじ)はそなたが、本来の職務を怠っているのではないかと、気にかけておられます。その場合には、報酬はもとより、主が()家に与えている恩恵をすべて引きあげ…… 苛烈な報復が待っているもの、と考えてください」 「承知しておりますし、職務遂行のために工夫もしております。いま、用いているのは、この斑蝥(はんみょう)の毒でございます」 「斑蝥(はんみょう)か……」 「はい。言わずと知れた、猛毒の虫…… それを乾燥させ、粉にしたものです」  (ほう)の襟内につけた隠しポケットから黒い袋を取り出しすと、薄布ごしの視線が注がれた。  わたしは袋の口を少し開け、客に見せる ―― なかには、黒と茶色が混じりあった粉。いかにも斑蝥(はんみょう)らしい、凶悪さの漂う色合いだ。 「耳かき数杯で即死してしまいますので、いまはごくわずかな量を女貞子のお茶に混ぜてお出ししています。同僚には特製の香辛料だと言っていますが」 「なるほど、これが……」  客が大きくうなずく。  やっぱり、勘があたっていた。  ―― 依頼主サイドは、みんな、わたしが巽龍君(皇太子殿下)珈琲(コーヒー)にこの粉を入れているのを知っている……  おそらくは、寧凛(ネイリン)がわたしの所業を報告している先の 『上』 が、依頼主とつながっているのだ。  寧凛がどこまで、依頼主と関係しているかは、わからないけれど…… わたしに何度も 『上に報告しますよっ』 と噛みついてくるのだから、本人は気づいていないのだろう。  きちんと暗殺計画が実行されているかを見張らされている、とは ―― 「だが、本物の毒だという証拠はあるのですか?」 「ご自分のおからだで、試してみられますか?」  「…………」  とりあえず黙ってくれたけど、まだ疑わしそう…… しかたない、明日の朝食にしようと思ってたけど、夜のうちに、さばいて焼いてしまうか。  わたしは厨房に行き、隅に置いておいた、たらいを持って客間に戻った。  たらいのなかには、先日、養父である()家のおやっさん(頭領)が釣って、もってきてくれた川魚。明日には食事になる運命も知らず、ヒレを静かにそよがせている…… 罪悪感が…… いやいや、どうせ食べるんだし。 「ご覧ください」  黒い袋のなかに(スプーン)をつっこみ、粉を水面にまく ―― 数分後、魚は動きをとめ、あおむけにひっくりかえってしまった。  ふむ、と客がうなずく…… なんかムカつくな。 「まだ、お疑いでしたら、死なない程度の量をなめてごらんになりますか? 舌がしびれて、()れあがることと思いますが」 「…… いや、けっこう…… わかりました。今後も、励むように」 「かしこまりました」  よかった、なめてみるとか、言われなくて……  ほっとしつつ、使いを見送ったあと。  わたしは、眠る魚をサクッとさばき、塩焼きにしたのだった。明日は焼き魚と生姜、(ネギ)木耳(キクラゲ)のお粥だな。ごめんね魚。ありがとう。 「梓恩、お疲れ。あと、片付けといてやる」  魚に向かって手をあわせていると、義兄がひょっこり、顔をのぞかせた。  変な客があったせいか、今日の義兄は優しい。 「風呂、温めたから入って寝ろ」 「ありがと、兄さん。博鷹兄さんも早く寝ないと。(いん)の極まる時刻にはからだを休めたほうが、勉強の効率もあがりますよ」 「わかってるって。昔から、梓恩はうるさいからな。ほらもう、さっさと行けよ」  おことばに甘えて、さっさと風呂に入らせてもらうことにしよう…… でも兄さん。 『うるさい』 は、ないわ。
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