閑話~雨水の夜客~②

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閑話~雨水の夜客~②

「ふぅぅぅぅ…… しみるぅぅぅぅ……」  浴槽に身をしずめると、艾葉(ヨモギ)のかおりにふわっと包まれた。さわやかで温かみのある、春のにおい。  あーもう、とりあえず幸せ……  しばらく、ぼーっと頭を休ませつつ深呼吸。おへその下あたりを意識しながら、口からゆるゆる息を吐き出し鼻から吸う。  深呼吸って、いちばん簡単な気功だと、わたしは思ってる。  眠いときも疲れたときも気分が落ちてるときもテンパってるときも深呼吸。   で、お風呂に入ってるときも…… なんだけど、このとき、あまり体力が残ってないと、深呼吸するのがつらい。まじで。そんなときは、お風呂はさっさと切り上げて早く寝るに限る。  体力があるときは、深呼吸しながら全身マッサージするとスッキリする。  長風呂は養生に良くない、って考え方もあるから、あくまで個人的な意見だけどね。無理ない範囲での入浴マッサージ、心身にストレスかかってるときにオススメです。  さて。  身体があたたまってきたら、そろそろ始めよう。  わたしは、浴槽のなかで身をかがめた。いまから、全身マッサージだ。  さっき変な客のせいで、ばっちりストレスたまったから、しっかりやっとこう……  まずは、足の指先を1本ずつ。つまんでは、ぐにぐにとねじる。  手足の指のほとんどには経絡(けいらく)のツボがあるから、まとめて柔らかくしておくのだ。なにかに良いはず。たぶん。  ―― 足の指先から脚の付け根まで、すこしずつずらしながら、手の親指で()していく。手の指と腕も同じ。それから、頭の付け根、首筋、肩、背中。  からだを順に圧していくと、指がすぽっとハマるポイントがある。いわゆるツボだ。そこが固く張っていたり、圧して痛かったりすれば、多めにグリグリ ―― これが、わたしのマッサージ方法。  全身マッサージを何回もやってると、自前のツボ地図(マイ・ツボマップ)ができてくる。時間がないときはそこだけでも圧すといい。  たとえば、わたしなら、目が疲れたときや頭痛には、頭の付け根あたりに並んだツボ。腰痛にはおしりのあたりのツボ。立ち仕事でパンパンになった脚には、膝下の外側のツボ。  『風池』 とか 『天柱』 とか、それぞれ厨2心をそそる(カッコいい)名前がついてる。覚えきれてないけど。 ―― 指圧のあいまと終わりには、足首と肩と首をまわす。  わたしは生まれつきストレートネックぎみで肩がこりやすいから、首まわし大切。首まわりの筋肉を鍛えて、サポートしてるのだ。  「それにしても、あの客……」  首をぐるぐる回しながら考え事してたら、つい、ひとりごとがでてきてしまった。  ―― 今日の変な客の、男性とも女性ともとれそうなきれいな声。丁寧な物言いと、やわらかな物腰…… 「なんか、どっかで、みたような……?」  誰だろう。  こんどは肩をごりごり回しつつ、しばらく記憶を探ってみる…… うーん。よくわからない、な。  ま、いっか。  思考を切り上げ、わたしは膝をついて股関節をほぐす運動を始めた。  軽くストレッチをしてマッサージを終え、風呂から上がると、義兄が艾葉(よもぎ)茶をいれてくれていた。 「なんか優しすぎて怖いんですけど…… 本当に、博鷹兄さん?」 「おっ、見抜いてしまったか」  義兄の眼鏡の奥の目が、なんともいえない色をたたえてこっちを見た ―― 不覚にも、ドキッとしてしまう。  やはり、後宮ゲームの攻略対象(ヒーロー)だけある。 『このひと、もしかしてわたしのこと……?』 と勘違いしてしまいそうな表情だ。  さすがというか、なんというか…… そういえば、イケメンだったな、このひと。  ―― というのに。  直後、義兄の口から叩きだされたのは、あまりにも寒々しい冗談(ジョーク)だった。 「じつはオレは、宮廷の宦官試験落ちて野盗になり、旅人のタマを握りつぶして金品を奪う暮らしをしていたが、捕まって打ち首になった者…… ズルして宦官になったおまえを逆恨みしたあげく、この男に取りついて復讐を」 「設定長い。あと、それ笑えないです」 「理解力が足りないんだな」 「はあ!?」 「…… ま、オレだってたまには、こんなときもあるってことだ。……早く寝ろよ」 「それは、こっちの台詞ですよ」  ときおり、予告なく真顔で放たれるブラック・ジョーク…… 義兄がそういう人ってのは、よく知ってても、やっぱり地味に腹が立つ。  ユーモアと思ってるの、おまえだけやで!?  と、ツッコんであげたい。まじで。   ―― けど、おかげで、思い出せた。  先ほどの、変な客…… 彼が、わたしの記憶どおりのひとだとしたら。  やがてはまた、巽龍君(皇太子殿下)()()()()()()()()()ことに疑問を持たれてしまうだろう。  そのときに、どうするか ――  対策は、いちおう考えてはいるものの、先方が納得してくれるかといえば、詰めが甘い気がめちゃくちゃする……    「ま、そのときまでに、なんとかするしかないですよね」  お布団のなかでつぶやき、わたしはそのまま眠りに落ちた。  ―― どうしようもない先のことを無駄に心配しないのも、養生なのだ。  
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