5-1. 梓恩、春の料理をつくる

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5-1. 梓恩、春の料理をつくる

 ぽかぽかとあたたかな、明るい日差し ―― 小川がきらきらとした飛沫(しぶき)をあげて勢いよく流れ、岸辺の枯れた草の下からは、新たな生命がもう、顔を出しはじめている。  ここ後宮の早春は、意外とのどかで、うららかだ。 「ふぅぅぅ…… 腰痛い…… でも楽しい…… よし、もうひとがんばり」 「まだ、つむんですか!?」  わたしは立ち上がって腰を軽く叩き、またしゃがんだ。隣で同じく腰をトントンしながら、ひきつっていく美少女顔。  わたしと寧凛(ネイリン)は、東宮の庭で筆頭菜(つくし)をとっているところなのだ。 「まだまだ、です」 「こんなにとってるのに!? 今度はまた、なにを企んでるんですかっ!?」 「安心してください。料理すると、恐ろしいほど減りますから」  やりとりしていると、向こうから 「おーい! 寧凛! 梓恩(シオン)!」 と、元気な声が聞こえた。我が家の食べ盛りの若さま、巽龍君だ。見ると、5歳くらいの子と仲良く手をつないでいる。雅雲(ガウン)君ですね、と寧凛がつぶやいた。巽龍君の弟殿下で、(スウ)妃の子だ。 「寧凛も梓恩も、そこで、なにをしているのだ?」 「筆頭菜(つくし)をとっております」 「ほう、筆頭菜(つくし)とな!?」  声が、小川みたいにきらきら()ねたと思ったら、若さまふたりが、こっちに向かって走りだした。  あっというまに、たどりつく。 「ほう、これが筆頭菜か! 面白い姿をしているな! 雅雲()も、見てみろ」 「はい、兄さま。ほんとうに、筆のようですね」  かごの上で頭を寄せあう子どもたち…… 眺めるだけで癒される。 「まだ、たくさん生えていますよ。よろしければ、つんでみられますか?」 「おう、つむぞ! 雅雲も、つもう!」 「坊っちゃま(皇太子殿下)、お待ちください! ああああ……」  寧凛があわてて止めようとしたときには、すでに遅かった。  ふたりとも、しゃがみこんで 「雅雲、ここに、たくさん生えておるぞ!」 「ほんとうですね、兄さま」 と、はしゃいでいる。 「あああ、お手が…… お召しものが……」 「土とふれあうのも、大切な経験ですよ、寧凛さん」 「怒られたら、梓恩さんのせいだって、上に言いますからねっ!」 「あー…… まあ、お手柔らかに」  若さまお二人の助力もあって、かごはすぐに、山盛りになった。 「おかげさまで、たくさんとれましたね。明日の昼食にはお出しできますので、春の味覚をお楽しみください」 「今日は!? はやく、食べたいぞ!」 「ひと晩、水にさらして()()を抜くので、はやくても明日の朝です」 「では、朝に頼む! 雅雲()も食べたいか?」 「すこし苦うございますが、お召し上がりになれますでしょうか、二の坊っちゃま(弟殿下)」  幼い顔がしばらく考えこんだあと、おずおずとうなずいた。吊り目の目もとが(スウ)妃とソックリだが、性格までは遺伝しなかったみたいだな…… 「では、明日、料理したものを(スウ)宮にお持ちしますね」 「母君(皇后陛下)にも、持っていってはくれぬか?」  巽龍君(皇太子殿下)が、口をはさんだ。 「最近、どうも、お具合がよろしくないようなのだ…… 頭痛がするとか、少しダルいとか…… 心配ない、とはおっしゃるのだが」 「それは、気になりますね。いつも、お元気なおかたですのに」 「うむ! だが、梓恩の料理なら、お元気になられるやもしれぬ」 「では、お包みしますので、坊っちゃま(皇太子殿下)からお渡しいただければ。坊っちゃまからのお見舞いで、お元気になられるかもしれませんよ」 「うむ! では、一緒に行こう、梓恩! 寧凛もだ!」 「へ?」 「僕も、でしょうか?」  思わず聞き返す、わたしと寧凛。「うむ!」 とうなずく、巽龍君。 「私は別に、母君の心配などしておらぬぞ! 梓恩と寧凛が心配しているから、お見舞いに行くだけだぞ! なのに、そなたらがついてこなくて、どうするのだ!」 「は……」 「かしこまりました」  難しいお年頃なのね、坊っちゃま(皇太子殿下)……  わたしと寧凛は、そろって拱手し、頭を垂れたのだった。  これから六博(すごろく)を雅雲に教えるのだ、と、巽龍君たちが去っていったあと ――  わたしと寧凛は筆頭菜(つくし)()()()とりに取りかかった。  ()()()の内側には、緑色の胞子がびっしりついていて、ひとつひとつむいていると、()()で指先も爪の中も真っ黒になってしまう。 「坊っちゃまがた(巽龍君と雅雲君)にも体験していただきたいですね、これ」 「どこの世界に、皇太子殿下や弟殿下に召し使いの仕事を体験させる召し使いが、いるんですかっ!」 「いや、だって、この季節を感じる単純作業の繰り返しこそが、慢活(スローライフ)ぽくて癒されるでしょ?」 「いっさい、共感できませんっ」  しょぼん。  筆頭菜(つくし)()()()を取り終わったら、水を替えて何度も洗い、最後は水にひたせば、下ごしらえは完了。  明日はさっと茹でてから、甘辛く味つけして佃煮(つくだに)ふうにしよう。  さて、次は、夕食の準備。  今日は、若い筍が手に入ってる。まだ雪がわずかに残る竹林から掘り出された、柔らかいのだ。  筍ごはん、若筍煮、筍入りの餃子(ギョーザ)に、焼き筍…… 夢がふくらむなあ。 「それにしても、坊っちゃま(皇太子殿下)二の坊っちゃま(弟殿下)は、仲が良いんですね。寧凛さんは、知ってたんですか?」  あらかじめ、ゆがいて()()をとっておいた筍を包丁で薄く切りながら、わたしはさきほどのお二人を思い出していた。  ほおを寄せあって筆頭菜(つくし)をとる、明るく活発なお兄ちゃんと、おとなしくて恥ずかしがりやの弟くん…… かわいかった。というか、尊かった。   「わたしは、これまであまり、お二人でいらっしゃるのを、見たことがないんですけど」 「お二人とも、それぞれに忙しくていらっしゃいますからね。今日ご一緒なのは、先に、お二人そろって旦那さま(皇帝陛下)にお呼ばれしたからでは、ないでしょうか」 「それも、珍しいですよね。なにか、あったんでしょうか」 「上巳の節句(3月3日)の宴のことなのでは? たしか、坊っちゃま(皇太子殿下)と一緒に、二の坊っちゃま(弟殿下)も出席されるかどうかで、揉めていたはずですが…… お二人が呼ばれた、ということは、お二人ともご出席なのでしょうね」 「なるほど…… ところで寧凛さん、包丁、じょうずになりましたね」 「ほっ、ほめたって! 調子にのって全部切ったりは、してあげませんからねっ!」  安定のツンデレあざます。  切り終わった筍は、小さめのものを米の上にのせて炊く。味つけは塩と昆布のだ。大きめのものは煮物と焼き物に使い、根もとの硬い部分は細かく切って大蒜(にんにく)韭菜(にら)人参(にんじん)生姜(しょうが)のみじん切りといっしょに(ひき)き肉に混ぜ、餃子の皮につつむ。白菜と細切りにして炒めた款冬(ふきのとう)とキノコたっぷりの(スープ)につっこんで、水餃子に。  さて、あとは ―― ()妃の実家が届けてくれたばかりの公魚(わかさぎ)を揚げ焼きにして、山盛りにおろした大根とダシの効いたタレで…… 「梓恩! 寧凛! 急だが、もうひとりぶん、用意できるか? 雅雲()も、こちらで夕食を食べることになったのだ!」 「かしこまりました」 「すまぬな!」 「いえいえ、余裕でございます」  巽龍君(皇太子殿下)厨房(ちゅうぼう)に顔をのぞかせて、伝えてくれた。  たぶん、雅雲君(弟殿下)六博(すごろく)を教えるのが、すっかり面白くなって、引き留めることにしたんだな。  寧凛が少し心配そうに、たずねた。 「もしかして、二の坊っちゃま(弟殿下)は、こちら(東宮)にお泊まりになるんでしょうか? (スウ)宮へのお知らせなどは」 「うむ! 問題ないぞ! 雅雲のお付きがすでに知らせに行ったからな!」 「嵩妃さまが、ご心配して大絶叫されてなければ、よろしいのですが……」  うんうん、そこね。気になるよね。  5歳って、それなりにしっかりしてると思うんだけど、(スウ)妃にとっては、まだまだ幼く見えるだろうし…… 心配してイライラして瘀血(おけつ)できなきゃ、いいけど。 「うむ、それがな! まあ梓恩がいるなら大丈夫だろう、ということになったようだぞ! たいしたものだな、梓恩」 「…… おそれいります」 「というわけで、梓恩! すまぬが、今夜はこちらに宿直してもらえぬだろうか!? 義兄どのには使いをやっておくゆえ!」 「かしこまりました」 「うむ! よろしくたのむぞ! 部屋は寧凛と同室で良いな!」 「「へっ!?」」  思わず声をあげる、わたしと寧凛。 「だめか? 雑魚寝(ざこね)の宿直室よりは、居心地が良いのではと思ったのだが! それに、ふたりは仲良しであろう!?」 「ひ、ひゃいっ! それほどでもっ!」  寧凛のほおがなぜか赤い…… 恥じらう美少女顔、ご馳走さまです。 「そうか! なら、ふたりとも、たまには親交を深めるが良いだろう!」 「はっ」 「かしこまりました……」  善意に満ちあふれた(あるじ)に逆らえる召し使いなど、めったにいない。  わたしと寧凛に残された道は、拱手して頭を下げることだけだった。
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