5-2. 梓恩、お泊まりする

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5-2. 梓恩、お泊まりする

「春は(よう)の気が強まるとともに風邪(ふうじゃ)の影響を受けやすく、体調を崩しやすい時期ですので、しっかりと気血を養い、巡らせ、(じゃ)を外に発散させる必要があります 「美味であるっ!」 「筍や款冬(ふきのとう)などの春の野菜には、体内にたまった余分なものを強力に出してくれる作用が期待でき 「美味であるっ! な、雅雲()も、そう思うであろう!?」 「はい、兄さま…… とても、おいしいです」  ちょっと恥ずかしそうに料理をほめてくれる雅雲君(弟殿下)…… かわいすぎか。 「春の養生は、甘味、辛味とともに、適度な酸味を補うと良いとされています。甘味は穀物や肉、お魚、お野菜のほとんど。辛味は大蒜(にんにく)や生姜、韭菜(にら)(ねぎ)などで…… 酸味は、主に新鮮な果物ですね」  ま、つまりはバランスよくしっかり食べて、ついでにビタミンCやクエン酸も摂って、抵抗力を上げましょう、ってことね。 「そんなわけで、本日の甜点(デザート)は旬の果物の盛り合わせでございます」 「食べりゅううううっ!」  (いちご)と数種の柑橘(かんきつ)猕猴桃(キウイフルーツ)が彩りよく盛られた、宝石箱のようなひと皿。  巽龍君(皇太子殿下)が顔を輝かせて叫んだ。雅雲君(弟殿下)は無言で皿を見つめているが、その目が期待できらきらしてる。若さまがた、おふたりのこんなお顔を見せてもらえるなんて…… 料理番やってて、良かった。  ちなみに、果物を飾り切りしてくれたのは、寧凛だ。  かくして、巽龍君(皇太子殿下)雅雲君(弟殿下)の夕食が終わり、お二人が仲良く六博(すごろく)の話をしながらお部屋に引き上げられたあと。  わたしたち召し使いも食事をしつつ明日の朝食の仕込みをしつつ、後片付けをして、寧凛の部屋へ…… 「あっあの! ちょっと待ってくださいね! 片付けてきますっ!」 「どうぞ、ごゆっくり」 「ゆっくりするほど、散らかってませんからっ!」 「あっ、そうなんだ。てっきり」 「なんなんですかっ!?」  …… てっきり、壁に好みの春画が貼ってあったりするのかと。  だって、もげてるとはいえ16歳男子の部屋だし。 「…… どうぞ」  しばらくゴソゴソやったあと、寧凛が緊張した面持ちで部屋の扉を開け、わたしを招き入れてくれた。 「おじゃまします…… あ、これ前の茶会で貸してくれた、おしゃれ上衣ですね…… って、わたし、こんなにクタッとさせちゃってましたっけ?」 「違うんですっ! 実家に返す機会がなかっただけでっ!」  寧凛の部屋は思ったよりも質素な感じだった。  柱がちょっと、傷んでるな。  それから、机がひとつと書棚が2つ、(ベッド)がひとつ。天蓋つき大きめなあたり、良家の子息っぽい。けど、正直、もっと豪華にしてるのかと思ってた……  壁には書が飾られている。 『臥薪嘗胆』 か…… 努力家の寧凛らしい。  で、その脇にかけられていたのが、この前、わたしが寧凛から借りた上衣だったわけだけど。  いちおう、キレイにして返したつもりだったのに、なんか、妙にくたびれた感が。 「申し訳ないんで、もう一度、きれいにしてみましょうか?」 「これがいいんですっ…… ちが、別に、けっこうですっ!」 「はあ…… じゃ、もう寝ますか」 「あれ? 風呂屋には行かないんですか、梓恩さん」 「あー…… あはははは」  宦官は後宮に宿直はできる。だが、風呂はない。なので外廷(がいてい)の宦官専用の風呂屋に行くのだ…… が。  わたしが、行けるわけがない。いくら、ほぼ()()()だからって。 「風呂屋には慣れてないので、今日は、いいです。お風呂のあと冷えてカゼをひいても困りますし…… よかったら、寧凛さんだけ行ってください」 「あ、だったら、僕もやめときます」 「そうですか」 「はい……」  なんとなく、気まずい沈黙。  最初の話題を間違えちゃったかな…… けど、どう間違えたのかが、わからなかったり……  先に静寂を破ってくれたのは、寧凛だった。   「とっ、とりあえず、もう寝ましょうかっ、梓恩さんっ!」 「あ、そうですね、明日も早いですし」 「ほんとっ、そのとおりですよっ!」 「といっても、わたしは、通勤がないぶん、ラクなんですけどね…… あっ、明日のわたしたちの朝ごはん、どうします? 適当にあるもので、ちゃっちゃっと作りましょうか?」 「あっ、あっ、あっ…… えと……!」  なんとも不思議な悩みかたをしたあと、寧凛は、外廷のお粥屋に行こうと誘ってくれたのだった。  これでやっと寝られる…… と、思ったら。  問題は、もうひとつ残っていたのだ。  すなわち、寧凛もわたしも、お互いに(ベッド)を譲りあって、決着がつかなかったのである。 「床は冷たいですよっ! カゼひいて、坊っちゃま(皇太子殿下)のお食事が作れなくなったら、体調管理がなってない、と上に報告しますからねっ!」 「それは寧凛さんもでは」 「僕は、いいんですよっ」 「ダメですよ、寧凛さん。もっと自分を大切にしないと」 「そのセリフ、そっくりそのまま梓恩さんに返しますからっ」   かなり長い言い争いの決着は、結局、つくべくしてつくべきところに、ついた。  すなわち ――  「あっ、あの! 梓恩さん! この線から越境したら、ダメですよ! ぜったいダメですからねっ!」 「そこまで毛嫌いしなくても」 「そういうわけじゃっ……」  すなわち、真ん中に(ベルト)でラインをつくり、越境したら遠慮なく突き飛ばして良し、というアレである。  妥当だとは思うんだけど…… 寧凛のこの警戒ぶり。まさか、わたしが、もぐまでもなく、もともと()()()()()とバレてる…… わけ、ないよね?   「あっ、そうか」 「なんですかっ!」 「寧凛さん、女の子よりもかわいいから、あちこちからお誘い受けちゃうんですね? それで、こんなに警戒を……」 「なに言ってるんですかっ! 梓恩さんのほうがかわいいですよっ」 「……へ?」 「おおおおお、おやすみなさいっ」  聞き返そうとしたときには、寧凛はもう、布団を頭からかぶって、わざとらしい寝息をたてていた。  かわいい、って…… 前世も含め初めて、他人から言われたんだが……  やっぱり、わたしの性別に気づいてるのか? それも 『上』 に報告してるのか? いやバレてたら、いまごろは大騒ぎになってるはずだから…… というかそもそも 『風呂屋に行こう』 発言が出ないだろう、気づいてたら。  でももしかしたら、気づいて、黙ってくれてるのかも? だとしたら、なんのために?  なんとか聞き出してみたいところだけど、せっかく (なぜか必死で) 寝たふりしてるところを起こすのもわるい。 「ふぅぅぅぅぅ……」    ま、別にいっか。  いま聞き出したところで、どうにかなるものでもないし、ね。  大きく深呼吸して気持ちを切り替えると、わたしも布団をかぶって目を閉じた。  ―― 明日は款冬(ふきのとう)公魚(わかさぎ)で雑炊にして、箸休めに筆頭菜(つくし)をお出ししよう。筆頭菜(つくし)は、昼食では卵とじにして、夕食は……  考えているうちに、いつのまにか眠っちゃったみたいだ。  翌朝。 「うう…… おも…… んんん?」  なんだか腕が重たくて目が覚めてみると、ばっちり越境していた…… 寧凛が。  閉じたまぶたを縁取る、長いまつげ。色素の薄いなめらかなほおに、花びらのような唇。美少女顔が、めっちゃ近い……  それも、そのはず。  なぜだかわたしは、越境してきた寧凛を腕にすっぽり閉じ込め、抱き枕状態にして寝てたんである。  これぜったい、バレたら、どん引かれるやつ……  気づかれないように、そっと寧凛を解放せねば。  そろそろとホールドを解こうとした、そのとき。 「寧凛さん!? ちょっとそれは! ちょちょちょちょ……」  寧凛がいきなり、わたしをペロペロなめだした。くすぐったい…… いったい、なんの夢を見てるんだ、この子は。 「ちょっと! 寧凛さん!」 「………… にゃ」 「いいかげん、起きてください、寧凛さん!」  「にゃ………… ………… ………………っ!?」  ぼんやりとした寧凛の目は、やがて大きく開かれ、その口から小さく悲鳴が漏れたのだった。
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