5-5. 梓恩、皇后の不眠を解き明かす

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5-5. 梓恩、皇后の不眠を解き明かす

梓恩(シオン)! 筆頭菜炒蛋(つくしの卵焼き)、まことに美味であった! それから、香芹(せり)の温麺も! それから、韭菜炒肉(にら豚)も!」 「おそれいります。お昼の甜点(デザート)は、檸檬排(レモンパイ)でございます。蜂蜜と干酪(カッテージチーズ)を加え、まろやかに仕上げました」 「食べりゅうううう!」  本日、昼食後の甜点(デザート)は、薄荷(ミント)の葉を添えた、見た目も爽やかな(パイ) ―― 神羅勒(ホーリーバジル)をブレンドしたお茶と一緒にお出しすると、巽龍君(皇太子殿下)の瞳がきらきらと輝いた。  余談だが檸檬(レモン)神羅勒(ホーリーバジル)も、(ロウ)妃の実家からの献上品だ。   「ところで、梓恩よ」  大きめに切り分けた(パイ)の皿をあっという間にからっぽにしたあと。  巽龍君(皇太子殿下)はゆるゆるとお茶を飲みつつ、真剣な顔をこちらに向けた。 「母君(皇后陛下)のために、なにやら動いてくれたそうだな! 寧凛(ネイリン)が申しておったぞ!?」 「いえ、たいしたことではございません。端木将軍にお願いして、太医院に伝令を飛ばしてもらっただけです」 「端木将軍に伝令を? 私に頼んでくれても良かったのだぞ? 母君(皇后陛下)のことなのだから!」 「坊っちゃま(皇太子殿下)からでは、問題が大きくなってしまいますよ。誤診に近いことなので。坊っちゃまが、太医たちに並んで土下座してもらったうえ処罰のひとつも加えたい、と思われるなら、別ですが」 「それは困る!」  ぶんぶんと首を横に振る巽龍君(皇太子殿下)。良い子だなあ。 「なら、しかたないな! 私からも、端木将軍に礼を言っておこう!」 「でしたら、あとで檸檬排(レモンパイ)を持っていく予定ですので、いっしょに坊っちゃま(皇太子殿下)からのお礼もお伝えしておきますね」 「うむ! 近々、直接、礼にうかがうと伝えておいてくれ!」 「かしこまりました…… ですが奥さま(皇后陛下)のおためでしたら、坊っちゃま(皇太子殿下)にしかできないことも、ございますよ?」 「私にしかできない、だと!? もちろん、するぞ! なんなのだ!?」  そう。太医院に知らせて薬を変えてもらうだけでは、そもそもの原因を正せない。  わたしの見た限りでは、皇后の肝火(かんか)の、おおもとの原因は ―― 「坊っちゃま(皇太子殿下)は、たしか、この上巳の節句(3月3日)で、初めて公式の宴に参加されるのでしたよね」 「うむ! いよいよ私も、おとなとして役割を果たすときがきたのだ、と思うと、感慨深いぞ!」 「ところがですね、このたび、もうひとり、宴に参加される皇子がいらっしゃるんですよ」 「雅雲か? 別にかまわぬだろう? きょうだいなのだから!」  わたしは、そっと深呼吸した。 「雅雲君(弟殿下)はたしかに、心根の素直な、とても、かわいいおかたです。わたしがこれから申し上げることと、ご本人の意思は関係ないものと、お考えください」 「梓恩!? どうしたのだ? なんだか変だぞ!?」  うん、本当は、言いたくないからね、こういうことは。  けど、言おうと決めたんだ。  だって、巽龍君(皇太子殿下)ならきっと、大丈夫だから…… もし万が一、大丈夫じゃなかったら。いままでよりも、もっとずっと、おいしいものを作ってさしあげよう。 「―― 宴に参加するということは、一人前(いちにんまえ)の皇族として、責務を果たせる証です。ですから、先の春に東宮に移られた坊っちゃま(皇太子殿下)の参加は順当なのですが…… そこに、ならば雅雲君(弟殿下)も、とごり押ししてきた一派があるのですよ」 「うむ! かなり揉めていたが、父君(皇帝陛下)の鶴の一声で、雅雲も参加できるようになった、と聞いておる! 雅雲も、わたしも、楽しみにしているぞ!」  ああ、また、深呼吸しなきゃ…… 「一派の狙いは、おそらく、宴に初めて参加される坊っちゃまの印象を弱めると同時に、()()()()()()()()()()()を印象づけること……  つまり、今回の雅雲君(弟殿下)の参加は、将来、彼を皇太子にするための布石です」  それがはっきりわかったのは、雅雲君(弟殿下)が皇后に言った 「いま、()()()詩経を……」 ということば。  詩経はこの国の士大夫(貴族)階級には当然の教養である、五経の1つ。古代の素朴な詩を編纂(へんさん)したものなのだが、その詩は、政治や軍略の場で暗号的なやりとりに使われることもあれば、宴に趣をそえる娯楽として(うた)われることもある。つまり、上流階級のコミュニケーションツールとして重要なのだ。  この上巳(じょうし)の節句では、巽龍君(皇太子殿下)も宴デビューの記念を兼ねて、なんらかの詩を(うた)うはず ―― きっと巽龍君は、見事にやりきるに違いない。じつは、とってもできる子だもの。  ―― だが、そのあとに。  わずか5歳の弟殿下が、宴にふさわしい詩をすらすらと暗唱してみせたら?  ―― 難しいことではないのだ。  優秀な弟と平凡な兄。その印象を、周囲の高官や皇帝に植えつけるのは。 「おそらくは、奥さま(皇后陛下)は一派の狙いに気付かれ、雅雲君(弟殿下)の幼さを理由に反対されたことでしょう。しかし、すんなりと通らないばかりか、旦那さま(皇帝陛下)が一派のがわに、つかれてしまったのですよ。  奥さま(皇后陛下)のお心は、いかばかりか……」  先日のお見舞いでは、皇后は巽龍君(皇太子殿下)にも雅雲君(弟殿下)にも公平に接しようとしていた。子どもに罪はない、という持ち前の正義感だろう。  けど、その心は、からだに出ていたんじゃないかな。急に指がこわばったり、目がかすんだり。 「奥さま(皇后陛下)が最近、なかなかお眠りになれず、夢見が悪く夜中に何度も起きてしまうのも、そのために強く苛立(いらだ)っておられるからでしょう。旦那さま(皇帝陛下)が決定された以上は、不満をおっしゃってもお立場が悪くなるだけでしょうから、よけいに…… つまり、奥さま(皇后陛下)の一連のご不調の、最大の原因は、ここにあると思われます」  解説しながら、わたしは巽龍君(皇太子殿下)をそっと、うかがう。  皇太子である以上、争いは、避けてはとおれない道なのかもしれない ―― でも、純粋でかわいい食いしん坊さんに、こういう醜いものを見せるのは気がひけちゃうんですよ、まじに!   「怒りの感情は身を守りもしますが、強すぎると毒になるんです。お薬を変えても、奥さま(皇后陛下)のお心持ちが変わらないかぎり、効果は期待できません」 「うむ! わかったぞ!」  巽龍君は晴ればれと明るい表情でうなずいた…… って、えええ? 本当にわかった? わたしの話、ちゃんと、きいてらっしゃいましたか? 「母君(皇后陛下)のお心をこうまで(おもんばか)ってくれるとは…… 優しいな、梓恩! 子として、礼を言うぞ!」 「はあ…… おそれ、いります?」 「では、ちょっと、行ってくる!」 「えええ? なんで急に? …… じゃなくて、失礼しました、行ってらっしゃいませ」 「うむ! 梓恩は、端木将軍への礼をよろしく頼むぞ!」  爽やかに去っていく巽龍君(皇太子殿下)…… って、そっちは中宮じゃないですか。  いや、わたしは 「巽龍君(皇太子殿下)から皇帝陛下に、雅雲君(弟殿下)の参加取り下げを、内々に(こっそり)打診してもらえないかな」 と思ってただけなんですけど……  巽龍君、どうするおつもりなんだろう。  「寧凛さん、ちょっと! 坊っちゃま(皇太子殿下)が中宮に行かれますけど! おひとりで!」 「えええええ? ほかの宦官(かた)は?」 「坊っちゃまが、同行を断られてるようです」 「もうっ、なんでお引きとめしないんですか、梓恩さんっ」 「できるわけないから、寧凛さん呼んだんですよ」 「もうっ! いきますよ、梓恩さん!」  寧凛は昼食の後片付けを始めていたが、手早く前掛けをとり、服装を整えて走り出した。  わたしも寧凛のあとを追う。  わたしたちが巽龍君(皇太子殿下)に追い付いたのは、紅漆の中宮門、ぎり手前だった。 「坊っちゃま(皇太子殿下)、お待ち、くださ ――」 「寧凛、梓恩! 来てくれたのか!」 「当然で、ございま、ふ……」 「急がせて、すまない! しかし、今回は……」  巽龍君(皇太子殿下)は立ち止まってしばらく悩んだあと、 「ま、寧凛と梓恩なら、よいな!」 とうなずいた。 「では、ゆくぞ!」 「「はっ!!」」  ―― って。いったい、なにするおつもりなんだろうか、坊っちゃま(皇太子殿下)
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