5-6. 梓恩、皇太子に付き添う

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5-6. 梓恩、皇太子に付き添う

母君(皇后陛下)! つまらぬことを、お気に病まれるのは、おやめください!」  中宮についた巽龍君(皇太子殿下)。  皇后のお顔を見るなり、これである。  ひええええ…… 単刀直入すぎるよ、坊っちゃま(皇太子殿下)! しかも 『つまらぬこと』 って……  いや、わたし、ご説明しましたよね?  雅雲君(弟殿下)を擁護する一派によって、皇太子位が狙われてるって…… わたしにとってはギリギリの解説だったんだけど?  だってたぶん、夷家(わたしの実家)に皇太子の暗殺依頼してきたのもこの一派のお偉いさんだと思うし…… いまは、後宮に潜り込んでる暗殺者がわたしだけだから、めっちゃ平和だけど…… もし、わたしの正体がバレて追い出されて、別の暗殺者が送り込まれでもしたら。  つまらぬ、とか言ってられなくなりますよ、まじに。  ほら、皇后もびっくりされてる。 「なんだ、宝龍ちゅあん(皇太子)? なにを言っておる?」 「まず、それですけど! 私はもう子どもではないので! 『ちゅあん』 はやめてください、 『ちゅあん』 は!」 「くくく…… なら 『宝龍』 は、そのままで良いのだな?」 「そっそれは……! イヤですけど、ガマンします!」 「おお、嬉しいぞ、宝龍ちゅあん!」 「ですから、それは……っ!」  ―― きっと巽龍君(皇太子殿下)は20年後も 『宝龍ちゅあん』 呼びされてるね (したり顔) 。  さて、皇后からひとしきり、いじられたあと。 巽龍君(皇太子殿下)はまじめな顔になり、姿勢を正した。 「母君、天下の大事(だいじ)とは、誰が国を治めるかではなく、民が困窮することも争いの犠牲になることもなきよう、国がよく治まることである、と私は学んでおります」 「ふむ……」  皇后は、巽龍君の急な来訪の理由を察したらしい。苦笑してこめかみを押さえ、ゆるゆると口を開いた。 「そこまでわかっておるなら言うが、それは単なる理想論だ、宝龍(皇太子)よ。そなた、地位を追われるときに、その身が無事であると思っておるのか? 皇家に生まれたばかりにそなたの身になにかあるならば、それは、母として最も忌むべきことである」 「ならば! 私が、ほかの者に追い落とされぬような、立派な公子になるのみです! そうではありませんか、母君!」 「だが、不届きな輩を放ってなど、おけぬわ」 「しかし、母君! 現状、放っておくしかない者たちのために、母君が健康を損なわれ、寿命を縮められるのだって! 子としては、忌むべきことなのです!」  皇后がまじまじと巽龍君を見る…… 巽龍君が成長ぶりを()の当たりにするたび、皇后はこんな表情になるのだ。  驚きと喜び、そして、ほんのちょっとの寂しさ…… かな。 「まさか子に、かような心配をされる日がくるとはな」  しみじみとしたつぶやきのあと、皇后は、眉をぐっと寄せた。そのまま、黙って考え込む。  巽龍君が姿勢を正した。 「母君。私とて、雅雲をかつぎあげ、皇太子位を簒奪(さんだつ)せんと狙う連中がいることは、知っています! ですが、雅雲は私の、ただひとりの弟でもあるのです! 相争い国を荒廃させるもとをつくるか、兄として常に弟を慈しみその範となり、弟から敬われ、国を繁栄させる道をとるか…… こたえは、決まっているではありませんか!?」  「だから、それでは甘いのだ……!」 「母君! もし私が理想をとった結果が、甘いと嘲笑われるようなものであったなら、それは私が、その程度の(うつわ)ということです!  もし、そうであるならば……」  巽龍君(皇太子殿下)は振り返り、わたしと寧凛に視線を送った。 「(いさぎよ)く地位を捨て、ここにいる、寧凛(ネイリン)梓恩(シオン)と、全国を旅してまわる所存ですので! まったく、ご心配には及びません!」 「「はあ!!??」」  思わず重なった、わたしと寧凛の声のうえに、皇后のツッコミが炸裂した。 「かようなことを言われたら、心配しかないわ!」  ですよね。めっちゃわかる。  だが、巽龍君(皇太子殿下)は 「いいえ、大丈夫です!」 と自信満々だ。 「梓恩は、その辺に生えてる草も食べ物や薬にしてしまうんです! それに寧凛は、字がとても上手なうえに六博(すごろく)が強くて裁縫までできて、いつも、私のことをいちばんに考えてくれています! ふたりがいれば、どこにいても心配ありませんし、楽しく暮らせると思います!」  寧凛が 「だから、どうして島流し前提なんですか!」 と、つぶやいた。まったくだ。  けど、巽龍君(皇太子殿下)らしい。  ふっ、と皇后が息を吐いた。その顔に浮かぶのは、さっきより苦みの薄らいだ、ほのかな笑み。 「―― たしかに、今はどうしようもない連中のことで、健康を損なうのはバカバカしいな」 「そのとおりです、母君(皇后陛下)!」  巽龍君の顔が、ぱっとかがやく。 「どうしても苛立ってしまうときには、筆頭菜(つくし)をつむのがオススメですよ! 無心に帰れると思います!」 「そうか…… いずれ、な。春分ころには予定があくやもしれぬ」 「はい、母君! 梓恩、また、母君と筆頭菜(つくし)をつむぞ!」 「あ。えーと、残念ですが…… このあたりでは春分のころには、筆頭菜(つくし)は枯れて、問荊(スギナ)に変わっているのですよ」 「そうか……」  巽龍君の顔が、みるみる、しょんぼりとしぼんでいく。  皇太子位がどーの、というよりも、筆頭菜(つくし)のほうが重要なのか、この子は。 「しかし、問荊(スギナ)問荊(スギナ)で、役に立つのです。天日で乾かしてお茶にすれば、血を清め水を巡らせ、よぶんな水を取り去る作用が期待できます。かぶれや湿疹に問荊の煎じ液を塗れば炎症をしずめ、座浴に用いれば、外傷あとの()()()()や月経痛の養生に良いとされていますね」 「なんと、梓恩! そんなにも役に立つのか、問荊(スギナ)とやらは!」 「はい。問荊(スギナ)は、田畑に蔓延(はびこ)ってしまうと手がつけられなくなる、農家泣かせの雑草ですが…… 使いようで、大切な天地の恵みに、かわるのです」 「そうか! なら、母君! こんど予定があいたら、いっしょに問荊(スギナ)をとりましょう!」 「そうだな。ぜひ、そうしよう」  皇后が笑って、うなずく…… 今日いちばんの、自然な笑顔だった。  そのあと、わたしは大きめの檸檬排(レモンパイ)をもって端木将軍を訪れ、なぜかお茶をごちそうになってつい、ゆっくりと話し込んでしまい、夕食の仕込みに遅れて、寧凛に怒られたのだった。  それからしばらく経った、ある日の昼 ―― 「梓恩、母君が礼を申しておったぞ! 美味であるっ!」  昼食後の甜点(デザート)、柑橘の皮の磅蛋糕(パウンドケーキ)を食べつつ、巽龍君(皇太子殿下)が説明してくれたところによると。  あのあとすぐ、皇后の薬はかわり、体調もよくなっていっているのだそうだ。 「坊っちゃま(皇太子殿下)のお心が、奥さま(皇后陛下)に通じたのでしょう」 「それだけでないぞ! あの問荊(スギナ)のたとえ、母君はいたく、感じ入っておられた!」 「そうでしたか。問荊(スギナ)茶は、奥さま(皇后陛下)のご体質ですと、潤いを生み出す豆乳や牛乳などと一緒に飲まれるのがいいかもしれませんね」 「うむ! 梓恩のおかげだ!」  巽龍君は、相変わらず無邪気だ。  皇太子の地位を狙う一派の存在が明らかな以上、これから苦い思いを味わうことも、多いだろうけど…… きっと、そんなことでは潰れないし、潰させない。  養生といっしょだ。  苦い野草(もの)が多い季節になったら、甘みを足して、たまるモヤモヤを辛みで発散させて、少しの酸味で、よく磨いて。  そうして春がめぐるたび、風邪(ふうじゃ)に耐えて、成長していく。 「―― お夕食の甜点(デザート)は、橘皮果醤(マーマレード)草苺醤(イチゴジャム)をはさんだ蛋白霜(マカロン)など、いかがでしょう」 「食べりゅうううう!」  ばんざいして叫ぶ巽龍君、かわいすぎる…… 「では、心をこめて、ご用意させていただきますね」 わたしは口もとをゆるめつつ、拱手して頭をさげたのだった。
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