6-1. 梓恩、宴にかりだされる

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6-1. 梓恩、宴にかりだされる

梓恩(シオン)さんっ、お魚料理できてる?」 「はい、いま、玉魚子(いかなご)を盛り付けてます」 「終わったら、梓恩さんも給仕にまわって! 手が足りないのよ!」  本日は、珍しく宦官・女官の合同行事 ―― 錆水のほとりでひらかれる、上巳(じょうし)の宴だ。  ふだんの裏方の配置は、妃たちの茶会が女官で、賓客をもてなす酒宴は宦官。だが、妃も高官も出席する大宴会では、女官も宦官もなく料理人が総出で、かりだされるのだ。  わたしももれなく、宴の魚料理担当。  朝から玉魚子(いかなご)をコトコト煮て、旬の真鯛を大量にさばいて煮て…… この国では 『手間暇(てまひま)かける』 意味で煮物がごちそうなので、宴会には意外と前世日本の家庭料理っぽいものが並ぶんである。 「玉魚子(いかなご)もう、お出しして、いいですか?」 「どんどん、お出しして!」 「りょーかいしました」  まずは冷めていてもOKな玉魚子(いかなご)から ―― 「失礼いたします。玉魚子(いかなご)の甘露煮でございます」 「ああ、それは要らんな。さげていい」  順に(テーブル)に料理を出している途中。尊大な声にいきなり拒否された。 「魚など…… よく(しょく)せるものだ」  あ、このひと。(スウ)妃の、お父さんだ。  特徴は、ピンとした口ひげとテカテカしたアゴひげ ―― たしか、太府局 (前世でいえば財務局 兼 中央銀行ってとこ) の長官だったか。  宮正が、被害者妄想にまみれた嵩妃の主張をしばしば取り上げちゃうのって、たぶん、このお父さんがいるからなんだよね…… 太府局って官僚のお給料も出してるから、心証を悪くしたくない、っていう。  けど、召し使いの給料は内侍省に一括払いだからね。いち料理番のわたしが遠慮する必要は、そこまで、ないわけで。 「まことに恐れ入りますが、お召し上がりにならなくても、置かせていただけませんでしょうか。叱られてしまいますので……」 「ふんっ…… (わし)から、見えんところに置け」 「かしこまりました。置かせていただき、ありがとう存じます」  端のほうに皿を置き、次の(テーブル)に向かう。背中ごしに、こんな会話が聞こえてきた。 「まったく…… このような奇怪なものを食せとは」 「ほんとうに、そのとおりですよね!」 「(ワシ)は食さぬぞ。こんなものを食すなど、病気になりそうだ」 「まったくです! ただでさえ、巷では痘瘡(とうそう)が流行っているというのに……」 「それよ。あれも、ひょっとすると、このような奇怪な食物のせいかもしれぬな!? 肉を買う金もない貧しい者が魚を食すからではないのか!? げははははっ」 「はっはっはっ、まったく。ご慧眼でいらっしゃいますな……!」  どこがだ! 魚の価値も知らないの!? この辺の内陸部では、海の魚はむしろ、肉より高価なんですよ!  というか、おたくのお嬢さん(嵩妃)もとっくに魚派ですが。なにか、文句でも?  と、(スウ)パパと忖度(ごますり)野郎の胸ぐらをつかみたくなる件。  ―― それにしても、痘瘡(とうそう)か……  下町では広まっているという噂も、最近たしかに聞く。けど、まだ禁城周辺には到達していない。  この国で流行病の広まるスピードは、前世で思っていたほど速くないのだ。交通手段が限られていて人の移動が限定されてる、とか、意外と予防がしっかりしてる、とかが、その理由。  たとえば、痘瘡(とうそう)は先に牛痘にかかっておくとかからない、という噂があって。  わたしも義兄も子どものころ、近所で飼っていた牛が牛痘にかかったときに、わざわざ、うつしてもらいに行かされた ――  大切に育てられるのが当たり前の、やんごとなき方々には、ない発想だろう。  前世のゲームで(シュ)妃が痘瘡にかかっていたのも、たぶん、そのせいだ。  ―― けど、疑問もある。  いったい、この閉ざされた空間(後宮)のどこから、病が入ってくるんだろう?  出入りの宦官の体調チェックは、すでに厳しくなってるのに…… 「きゃっ……」  ぱんっ、となにかを払う音と 「すみません……」 という小さな謝罪。  急に妃たちの席が騒がしくなって、わたしは考えるのをやめた。  見ると、()妃が床から、手のひらサイズの人形を拾いあげているところだった。あれ、流し(ひな)のための人形だ…… わたしも、ちょっと前にもらったっけ。縫い目がどこにあるかよく見ないとわからないくらい、丁寧に作られていた。  流し雛用の人形から逃げようとするかのように、椅子から腰を浮かせてぷるぷるしているのは、(シュ)妃 ―― 顔と同じくきれいな刺繍が施された手巾(ハンカチ)を握りしめた右手も、扇で口もとを隠している左手も一緒に細かく震えている。 「ごめんなさい! 急に、その人形が動いたように見えましたの…… きゃっ。また……」  どうやら、莉妃が人形を配っているときに、珠妃が過剰反応したみたいだ。莉妃、ほかの妃たちとはけっこう仲良くなってきてたけど、珠妃とはまだだったから…… 珠妃にとっては、莉妃は相変わらず()()()の知れない悪女なのかもしれない。  莉妃がとまどって、手元を見つめる。とうぜん、人形はぴくりともしてない。 「あの…… お気に召さなくて、申し訳なく……」 「そんな、気に入らないだなんて…… 違うわ…… ただ…… あっ…… 助けて……!」  救いを求めるように、珠妃が眼差しを向ける先にいるのは皇帝だ…… なるほど、そっちか。  最近、莉妃へのお渡りが増えたらしい。侍女の桜実さんが、嬉しそうに教えてくれたのだ。  だが、そうなるといちばん面白くないのは、これまで寵愛No.1を誇っていた珠妃であるわけで……  ここで 『()妃が(シュ)妃になんかやらかした』 感じに持っていって、莉妃の評判を下げたいんだな、きっと。 「いいかげんにせよ、珠妃」  きりっとした声で珠妃をたしなめるのは、皇后だ。 「(われ)には、人形が動いているようには見えぬぞ。かような()れ言で、この宴を乱すことは、いかな事情があれど許されぬ」 「ですが、皇后さま…… いやっ、また……」 「まだするつもりなら、退席せよ、珠妃。休んで、太医を呼ぶがよかろう」  珠妃がまた、すがるように皇帝を見つめる。一方の莉妃は、泣きそうになりながら目線を床に落として震えている。  かたや美しいとかわいいをあわせもつ理想的正統派兼清純派、かたや庇護欲そそる癒し系弱ヒロイン…… さて、どっちをとるのか、皇帝陛下。 「せっかく莉妃が作ったのだ、受け取りなさい、珠妃。それから、下がって休むがよかろう」 「皇帝陛下!」 「珠妃は、疲れているのだろう。宴は気にせず、ゆっくり休みなさい」  皇帝からここまで言われては、これ以上、くいさがれない。  珠妃は一瞬、表情をなくしたが、すぐに莉妃に詫びながら人形を受け取った。きっと内心は悔しさでいっぱいだろうに、まったくそのそぶりがない…… さすが、寵愛No.1。 「では、みなさま。このことは、どうかお気になさらないで、宴を楽しんでくださいませね」  しとやかに挨拶をし、口もとを扇で隠したまま、退席 ―― と。はらり、と扇が落ちて、嵩妃の膝のうえにのった。 「あ」 と声をあげる、嵩パパ。こんなおっさんでも、(嵩妃)のことは気になるのか…… 彼もやっぱり、人の親なんだな。 「失礼しましたわ、嵩妃さま。少し、めまいが」 「まあ、それは、たいへん。ゆっくり休むといいわよ」  嵩妃に返してもらった扇でまた、しっかり口もとを隠すと、珠妃は退場していった。  ―― あ。少し、ふらっとしてる。大丈夫なのかな。
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