6-3. 梓恩、酒毒を解く

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6-3. 梓恩、酒毒を解く

「おはようございます、寧凛(ネイリン)さん」 「あ、梓恩(シオン)さんっ! おそいですよっ!」 「……? 約束の時間よりは、早めですよね? もしかして、会えなくて寂しかったですか?」 「……っ! そんなわけ……っ」  あるんだな。かわいいやつめ。  ―― 朝食の片付けが終わったばかりの、東宮の厨房。  寧凛の報告によると、巽龍君(皇太子殿下)は今朝は、食欲があまりなかったそうだ。昨日の宴で、お酒を少し飲んでたからね。 「二日酔(ふつかよ)いでしょう。坊っちゃま(皇太子殿下)、お酒を召し上がるの初めてでしたでしょうし」 「はい。で、朝食後に太医を呼ぶ予定だったのですが、ご朝食のあとは、すっきりされたようでして。そのまま、講義を受けに行かれました」 「ふふふ…… 今朝は二日酔い対策ごはんでしたからね」  今朝の巽龍君(皇太子殿下)の食事については、昨日のうちに寧凛に、ちょっとしたお願いをしておいたのだ。  どうやら寧凛、ちゃんと作ってくれたみたいだな。 「さて、では昼食は、鶏ダシの(スープ)と魚介中心で、あっさりめにいきますか…… 寧凛さん、ちょっとお休みします? 朝から頑張ってくれましたし、昼はわたしが」 「いいえ! 梓恩さんに任せて、ヘンなもの出されたら困りますからっ!」 「…… 桜花(さくら)の塩漬けは、ヘンなものには入らないんですか……?」  桜花(さくら)の塩漬け。  今朝、巽龍君(皇太子殿下)甜点(デザート)に出してもらうよう、お願いしておいた食材のひとつだ。解毒効果がある、とされている。  けど、桜花(さくら)を食べる、って発想は、この国になかったみたいなんだよね。 「前に桜花(さくら)の塩漬け作ったとき…… 寧凛さん、どん引いてましたよね? でも、今朝は、お出ししてくれたんですよね?」 「うっ……」  寧凛が、なにか言い返そうと口を開いたとき。 「ごめんください」 と、厨房の外から優しそうな声がした …… 裏口のほうから、ってことは、どこかの宮の女官かな。  扉を開けると、落ち着いた色合いの服の、ちょっとふっくらしたお姉さんが、やや離れたところから礼をしてくれた。くっきりした二重まぶたと通った鼻筋の、異国めいた顔立ち。 「えーと、たしか、()宮の」 「はい。()妃さまの侍女をしております、万花(バンカ)と申します…… 今日は梓恩(しおん)さんに、お願いがありまして」 「はあ」  ()妃とは、いままで話したことがない…… 昨日の宴のようすや、よく(ロウ)妃と連れだってるところからすると、(なつ)くとめちゃくちゃ懐くけど、親しくなるまでは極端に人見知り、ってタイプかな。  (あるじ)がそんなだから、わたしもこれまで()宮の人とは、仲良くなる機会がなかったんだけど。 「いったい、どうされたんですか?」 「それが、()妃さまが、めずらしく二日酔いになられて…… 太医の診察は嫌、とおっしゃるので、梓恩(シオン)さんなら、治す方法を知っておられるかと。いきなりで、すみません」 「いえいえ、大丈夫です。わたしたちもちょうど、二日酔い対策していたところですよ」 「本当ですか! 良かった! ……あ、すみません、都合よく当てにされても、困りますよね……」  ぱっと花開いた表情は、すぐに勝手に、固くなる。万花さん、()妃と同じで人見知りタイプなのか ―― なのに、(あるじ)の禧妃のために頑張って東宮(うち)まで聞きにきてくれたんだ…… なにそれかわいい。 「とんでもありませんよ、万花さん。なんでも協力させていただきますね」 「え? なんでそんなに親切なんですか……」 「えっ…… かわいいから」   とたんに、万花さんがフリーズした。  寧凛が 「なに口説いてるんですかっ! 梓恩さんっ」 と、わたしの袖を引っ張る…… あっそうか。わたし、いま宦官だったわ。  年上のお姉さんに 「かわいい」 とか言っちゃう美少年 (もげてるけど) ―― たしかにチャラい。まじめな寧凛が怒るはずだね。 「えーと違うくて。養生の道を広めるためです、はい」 「そうですともっ! 梓恩さんには他意などまったく、ないんですからねっ! じゃ、ちょっと待っててくださいっ」  寧凛は厨房の奥に引っ込み、甜点(デザート)の乗った皿を持ってダッシュで戻ってきた。  ―― もしかして寧凛、万花姉さんみたいな年上がタイプなのかな。  寧凛が皿を、万花さんに押し付ける。 「どうぞっ! お持ち帰りくださいっ!」 「これは……?」  万花が不思議そうな顔をした。  この甜点(デザート)にも、なにか名前をつけなきゃね…… よし、決めた。   「桜柿包、とでも言いましょうか…… 薄く切った干し柿で塩漬けの桜花(さくら)を挟んだ甜点(デザート)ですよ。黒豆茶といっしょにお出ししてください。黒豆、桜花、柿は、どれも解毒作用があるとされていますから」 「くださるんですか?」 「はい、どうぞ…… でも、いきなり桜柿包は食べづらいでしょうから、まずは、葛根(クズ)でとろみをつけた大根おろし入りのお粥を食べさせてあげてください。干貝柱で出汁(ダシ)をとると、より効果的です。  もし、食欲がまったくなくてお粥も食べられなければ、大根おろしと蜂蜜、葛根(くず)をお茶で溶いたものを、4~5回に分けて少しずつ飲まれてもいいかと。で、調子が落ち着かれたら、桜柿包をお出ししてくださいね」 「わかりました、ありがとうございます…… あの、お薬などは?」 「まずは、いま言ったのを試してみてください。二日酔いていどなら、薬は要らない場合も多いですよ」  少しドヤりぎみに、万花さんに答えたとき。 「薬が要らない、だって?」  開けたままだった厨房の扉の陰から、ぬぼっと現れたのは ―― 飄々(ひょうひょう)とした雰囲気の眼鏡男子。司薬丞の()宦官だ。びっくりした。 「あっ、私、もう失礼しますね!」  万花さんが慌てて帰っていくのを 「二日酔いには、五苓散(ごれいさん)黄連解毒湯(おうれんげどくとう)だよー!」 と、見送った()宦官。  わたしのほうに向きなおり、真剣な眼差しを向けてきた。 「薬、超超超超、必要だよね?」 「はあ。場合によっては」 「いついかなるときも、必要だよね?」 「それには賛同しかねますが」 「じゃ、倉庫の整理、手伝って」 「ちょっと! 梓恩さんはいまから、坊っちゃま(皇太子殿下)の昼食づくりなんですっ!」  寧凛がわたしの腕にひしっと取りついて主張する。  わたしも、うなずいた。 「昼食づくりもありますが…… そもそも今日は、これから雨が降るかもなので倉庫の整理には向きませんよ? ()宦官」 「雨? ほんとうか?」  馬宦官が見上げる空は、薄絹のような雲に一面おおわれて、春らしい優しい青色だ。 「だって、()妃が珍しく、二日酔いでいらっしゃるんですよ?」 「―― ああ、そういうことか」 「そういうことです」  わたしと()宦官は顔を見合わせて、ニヤッとした。  で、結局、倉庫の整理は翌日の昼過ぎから手伝うことになったんだけど。  なんでわたしが手伝わなきゃいけないのか、というと、その理由は ―― 「(ペナルティ)だよ。きみ、昨晩、司薬から勝手に薬持っていっただろ?」 「明細書いてお代も置いておきましたが」 「でも駄目ー!」  と、こういうことだった。
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