6-5. 梓恩、根回しする

1/1
前へ
/62ページ
次へ

6-5. 梓恩、根回しする

「うわ。もう、地面をおおいつくす勢いですね」 「ほんと、梓恩(シオン)さんったら、なんで! こんな、変な草ばっかり!」 「いやいや、これも、ちゃんとした薬ですよ、寧凛(ネイリン)さん」  珠妃が高熱で倒れてから4日 ―― 珠宮の周辺には見舞いの品や人や太医たちが行き交い、なかなか忙しそうだ。  しかし、東宮は相変わらずのんびりとしていた。明るさと暖かさを増した春の日差し、さらさらと穏やかに流れる小川 ――  わたしと寧凛は、裏庭で草取りの真っ最中だ。  ただの草ではない。筆頭菜(つくし)のあとに地面を覆いつくす緑の糸。生命力抜群の、問荊(すぎな)だ。 「天日で干して、お茶にもお風呂にも。問荊(すぎな)は、からだのなかの水をよく巡らせ、磨き、よぶんなものを取り除いてくれます」 「また、坊っちゃま(皇太子殿下)にヘンなものをっ」 「奥さま(皇后陛下)も楽しみにされてますよ?」 「うっ…… でも」  寧凛がなにか言いかけたとき。外から、からんからん、と鐘の音がした。誰かがなにかを叫びながら、近づき、また遠ざかる。緊急のしらせをする宦官たちだ。 「…… …… する。今日より当分のあいだ、珠宮を封鎖する…… 今日より……」  寧凛とわたしは一瞬、顔を見合せ、また草刈りに戻った。 「やっぱり、こうなっちゃいましたか」 「梓恩さんが珠宮に近づくな、って言ってたの、これだったんですね?」 「うーん…… 違うといいな、とは思ってましたけど」  いま通り過ぎていったしらせでは、はっきりと言われなかったが…… 『閉鎖』 が指してる事実は、たぶん1つしかない。 「珠妃、痘瘡(とうそう)で間違いないでしょう」 「…………っ」  寧凛が息をのんだ。 「痘瘡って、たしか特効薬がないんじゃ」 「ですね…… だから升麻葛根湯(しょうまかっこんとう)、って言っといたんですが」  この世界で痘瘡の特効薬に近いものがあるとすれば、それは升麻葛根湯(しょうまかっこんとう)ただひとつ ―― だが、あの薬は、発疹が出始める直前に使わなければ意味ない。  痘瘡の初期症状は高熱で、高熱が下がったあとに発疹があらわれる…… ということは升麻葛根湯(しょうまかっこんとう)は、患者が高熱を出した時点で痘瘡である可能性を考慮し、熱が下がる直前のタイミングで使用しなければ効果を発揮しないのだ。  ―― 司薬の()宦官もそれを知っていたから、太医にすぐに伝えてくれた。なのに、太医たちときたら、まったく。 矜持(プライド)が患者を危険に晒す例として、太医にはしっかり思い知ってほしい。 「なにか知らないんですか、梓恩さん」  寧凛が、わたしをすがりつくように見る。草を刈る手は、いつのまにか止まっていた。 「もし痘瘡が、後宮じゅうに広まったりしたら……っ」 「いや、そうは言っても、痘瘡は、患者の体力と運ですからね…… うーん……」  わたしは首をひねった。  痘瘡(とうそう)の治療。この国では、それはおそらく、解毒剤と下剤で瘡毒(そうどく)を流し去るのが中心になるだろう。その前に患者が前世でいう敗血症を起こしてしまえば、the end になるわけだけど。  ほかに良い案、といえば ―― ()宦官に新薬を考えてもらうとか……? あ。そういえば。 「あれだったら…… もしかしたら、効くかもしれませんね」 「なんなんですか、梓恩さんっ」    「ちょっとすみません寧凛さん。でかけてくるので、問荊(すぎな)、きれいに洗って干しといてくれますか?」 「ちょっ、ちょっと梓恩さん!? 上に言いつけますよっ」 「えっやだ。でも、いってきます」 「梓恩さんっ」 「夕飯の仕込みまでには戻りますから!」 「ちょっともう! いつもいつもっ……」  寧凛がなにか叫んでるけど…… ごめん。こっちのがぜったい、緊急。  わたしは急いで、講堂に向かった。この時間には巽龍君(皇太子殿下)雅雲君(弟殿下)が講義を受けているはずなのだ。 「梓恩! どうした?」  講義中にも関わらず、巽龍君(皇太子殿下)はすぐに目通りを許してくれた。 「珠妃のことか?」 「話が早くて助かります、坊っちゃま(皇太子殿下)」 「梓恩はいつも、後宮のみなのことを気にかけているからな。だが、痘瘡となると……」  巽龍君はめずらしく、眉をくもらせた。 「実は、唯一、病を治す可能性のある薬が、ございます」 「なに!? そんなものが、あるのか!?」 「はい。それを使うよう、坊っちゃま(皇太子殿下)から太医院に命じていただければ」 「うむ! すぐに命じよう! して、その薬は、なんというのだ!?」  わたしは4日前、倉庫の片隅でひっそりとホコリをかぶっていた壺を思い出していた。  黄金、寒水石、磁石、丁香、羚羊角(カモシカのつの)犀角(サイのつの)…… 貴重な材料ばかり17種類を使い、凍えるような真冬の季節に三日三晩、不眠不休で作られるという。  あの壺のフタの記録では、薬が最後に取り出されたのは、60年も前だった。世から忘れ去られようとしていた、帝王の薬 ―― 「紫雪、と申します。司薬丞(馬宦官)ならば知っています」 「よし、わかったぞ! では太医には、司薬丞(馬宦官)に尋ねるように、とも言いつけておこう!」  巽龍君(皇太子殿下)はさらさらと伝令用の紙に字をしたため、前世でいう飛行機の形に折った。  伝令は巽龍君の指を離れると、小さな龍の姿になって飛んでいく ―― 皇族からの伝令は、特別な形をしているのだ。 「よし、これでいいな、梓恩!」 「まことに、ありがとう存じます」 「なに、礼を言わねばならぬのは、こちらのほうだ! 梓恩、そなたの知識と慈愛の心に、感謝するぞ!」 「もったいなきお言葉」  わたしは深く礼をとり、巽龍君が講堂に戻るのを見送った。  さて、次は ――   わたしは、いったん厨房に戻り、菓子の皿を持って大理局へと向かった。  こういう騒ぎが起きたとき、真っ先に疑われそうなのは、あのひとだ。  たまたま夫になったひとが次々死んでいったせいで、すっかり悪女の烙印を押されてしまった ――  というか、前世のゲームでは()妃、たしかそれで処刑されてなかったっけ。  そうだ…… 友人がプレイしてた、(スウ)妃ルート。あのルートでは、(スウ)妃が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()寵愛を勝ち取り、ハッピーエンドを迎えるんだった ―― あれ。  疑われそう、どころじゃなくない?  もしかしなくても、ガチで危ないじゃん、莉妃。  これは…… 端木(タンモク)将軍を、しっかり説得しておかなきゃ。    「―― そんなわけで、桜柿包に桜花(ケーキ)です。お納めください」 「ありがたくいただこう…… だが、捜査や審理は公平に行うと、わかっているね、梓恩どの」 「はい、端木将軍。ですが……」  大理局の長官室 ―― 開けた窓から入ってきた春の風が、さらっと藍色の髪をなでて、過ぎていった。端木将軍は、今日も清々しいたたずまいだ。  わたしは菓子の盆(甘い賄賂)をそっと(テーブル)に置く。  わたしがここにいるのは、もちろん()妃の冤罪(えんざい)を未然に防ぐため ―― とはいっても、お菓子を持って行くのは喜んでもらえるのが嬉しいからでも、あるけどね。 「ですが、痘瘡(とうそう)は患者の()()()()()()から感染する病気です。決して呪詛ではありえないことを、お心にとめていただきたく」 「わかった」 「先に言っておきますが、上巳の節句(3月3日)の折の(ひな)人形では、ありませんよ。あれだとすると、渡されてから発症するまでの時間が、短かすぎますので」 「なるほど……」  端木将軍が桜柿包をひとつつまんで、口に運んだ。飲み込んで 「うん、いい味だ」 とひとこと。 「宮正は定番として()妃に疑いをかけるかもしれませんが、前回と同様、宮にて謹慎扱いにしていただきたいです」 「そうだね、それが妥当だ。宮正には言っておこう」 「ありがとう存じます」 「で、だ。梓恩どの」  端木将軍は、面白がっているような表情になった。 「人形でないとすれば、どこから病邪が入ってきたと思う? 宮廷に出入りする者は厳重に健康検査されているはずだが」  もともと厳しい通用門の健康チェックは、(ちまた)痘瘡(とうそう)が流行りはじめてから、さらに厳しくなっている。宦官のなかにはアゴにできた丘疹(にきび)を指摘されて、通用門で追い返された人もいるくらいだ。  痘瘡の初期症状である高熱なんか、もちろん論外。もし宦官が発熱などしたら、どんなに身分が高くても即、後宮から叩き出されているはず ――  わたしは首をかしげた。 「わかりません」 「ほら、無理筋でもいいから考えてごらん。ここがわからないと、宮正が呪詛だと言い出したときに反論しづらくなるよ」 「ですから痘瘡はかさぶた…… 「当たり前の理屈よりも捏造された証拠品のほうが通りやすいのが、宮正だ」  若干、うんざりした口調。もしかして(スウ)妃寄りの宮正役人の更迭(こうてつ)を申請したのに、うまく行ってなかったりするのかな、端木将軍。  局の長官には人事の指名権はあるが、任免権はないのだ。 「はい…… 病邪の侵入経路、考えておきます」 「なら、いいことを教えてあげよう。(シュ)家と(スウ)家は交流がさかんでね、幾度か婚姻も結んでいる関係だよ」 「もうあと三声くらい」 「私も確証はとれていないからね。梓恩どのにだけ、これ以上教えるわけにはいかないな」 「こんど雪糕(アイスクリーム)を差し入れます」 「なら、もうひと声 ―― (シュ)妃の祖母は(スウ)家の出身で、いまは(スウ)家の地元に戻っておられてね。そこで、先日、亡くなったそうだ」 「はあ…… それは、お気の毒なことです」  お気の毒とは思うけど…… ヒント、漠然(ばくぜん)としすぎじゃない?  考えながら東宮に戻ると、寧凛がとびつくようにして迎えてくれた。 「おそいですよっ、もうっ!」 「ごめんなさい。わたしがいなくて、寂しかったですよね」 「ちちちちちちちがっ……! だれが……っ」 「よしよし、なでなで。問荊(すぎな)の天日干し、ありがとうございます」 「ほんとに大変だったんですよっ! あと、なでるのやめてくださいっ」 「と言いながら、なんか頭をすりすりしてきて 「いませんからっ!」  美少女顔のツンデレは、今日もかわいい。  
/62ページ

最初のコメントを投稿しよう!

146人が本棚に入れています
本棚に追加