6-6. 梓恩、雪糕を食す

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6-6. 梓恩、雪糕を食す

「母君! これが問荊(すぎな)茶ですよ! 梓恩(シオン)寧凛(ネイリン)が、作ってくれました!」 「ふむ…… すっきりとした、よい香りだ。ありがたくいただこう、宝龍(皇太子)よ」 「はい! 母君! 末長くご健康であられますように!」 「ふっ。当然よ」  巽龍君(皇太子殿下)は茶杯を手に、にこにこ笑った。今日もわが主の癒しオーラが半端ない。  珠妃の痘瘡がわかって、5日後の午後 ―― 相変わらず珠宮は閉鎖されたままで、宮正に (やっぱり) 呪詛の疑いをかけられた()宮も、しん、と静まりかえっている。  ―― が、そんな状況にも関わらず。  わたしたちは、中宮で皇后陛下とお茶していた。巽龍君(皇太子殿下)問荊(すぎな)茶を贈るために皇后を訪問したところ、そのまま引き止められたのだ。  わたしも寧凛も遠慮したが、身内だけだからと同じ(テーブル)につかされてしまっている。ふう……  緊張しながらお茶するよりも、痘瘡の侵入経路を考えたいんだけどね、わたしとしては。 「それにしても、宝龍よ、このたびの珠妃の件は、手柄であったな」  皇后のことばに、わたしは思考を引き戻された。 「そなたの迅速な指示により、珠妃はすでに、少しずつ快方に向かっておるようだ…… 太医も知らぬ秘薬を、よく知っておったものだな、宝龍」 「母君! 梓恩です! 梓恩が、紫雪のことを教えてくれたのです!」 「なんと、梓恩がか?」 「はい! 母君! 梓恩は、薬のことにも、詳しいのです!」 「そうか……」  皇后がわたしを見た。とりあえず、拱手して頭さげとこ。 「梓恩、礼を言う」 「もったいなきお言葉」 「紫雪は今後、司薬にて製法を再現させる予定だ…… まこと、奇跡の薬だな。もっと早くに知られておれば……」  皇后の目が壁に掛けられた書の上をさまよった。手紙を(がく)に仕立てあげたものだ。 『在彩水祈祷你能幸福』 彩水よりあなたの幸せを祈っています、という文字が見えた。 「紫雪さえあれば、桂大母も救えたかもしれぬ……」 「私も残念でなりません、母君! 桂大母さまには、私も一度、お会いしたかったのです」 「そうだな、宝龍。桂大母は、そなたの成長も、いつも気にかけておられたからな」 「はい! こんなに早くに亡くなられるとは…… 残念でなりません」  どうやら桂大母とは、皇后の親しい人のようだ。お祖母さまあたりか…… いや、違うな。皇后の祖母君であれば、巽龍君(皇太子殿下)も会ったことがあるはずだからね。  話の流れからすると、最近、痘瘡で亡くなった、ってことみたいだ……   なにか、つながりそうなんだけどな?  ―― わたしは、内心で何度も首をひねった。    ()()が見えてきたのは、中宮から戻り、夕食の仕込みをはじめてからだった。今夜のメインは、旬の仔牛の肉と韭菜(にら)の水餃子だ。巽龍君(皇太子殿下)の体質にあわせ、熱を冷ます効果が強い大根おろしをたっぷり入れる。  ―― で。  大根をごりごりとすりおろしながら、寧凛が教えてくれたところによると。 「桂大母さまは(スウ)家のご出身で、奥さま(皇后陛下)の乳母の、もと主人だったはずです」 「ややこしい関係……」 「乳母が里帰りをするたびに、幼かった奥さま(皇后陛下)への贈り物を持たせてくれていたそうで」 「へえ…… 優しいかたなんですね」 「奥さま(皇后陛下)は、いまでも桂大母さまを、じつのお祖母様のように思っておられるそうですよ」 「なるほど」  わかる気もする…… 後宮の妃たちはみなそれぞれ、実家を背負ってるから。皇后だってもちろん、同じだ。  だからこそ、政略の関係ないところで、ただ純粋に思いやってくれる人の存在は、嬉しいものなんだろう。  ―― そんなことをしみじみ考えつつ、餃子を包んでいたとき。  寧凛は、すべてがつながる一大事を教えてくれたのだった。 「まあ、おふたりが実際に会われたのは、数えるほどだと思いますが…… 桂大母さまは珠家に嫁がれたので、隠居されるまではずっと、珠家をきりもりされていたそうですし」 「あっ、なるほど……!」  餃子をすっかり包み終えると、わたしは寧凛に前掛けを渡した。 「ちょっと大理局に行ってきますんで。このあとよろしく、寧凛さん」 「梓恩さんっ、職務放棄!」 「甜点(デザート)は氷室のなかです。たぶんそれまでに、戻ると思いますけど。遅くなったら、それもお願いしますね」 「もう……っ! 上に言いますからねっ」 「えっ、やだ」 「梓恩さんっ」  がうがうと寧凛が叫ぶ声を背に、外にでる。  まずは氷室へ。それから、大理局だ。 「こんにちは。東宮から端木(タンモク)将軍に、雪糕(アイスクリーム)のお届けです」 「はいはい、どうも。将軍は長官室だよ」 「ありがとうございます。そだ、これどうぞ。司膳特製・龍鬚糖(りゅうびんとう)です」 「おっ。いつも悪いねえ」 「いえいえ。当然のことですよ。では」  半年前は、うさんくさそうに見られていた大理局の入口も、今や顔パス…… たぶん係官には 『端木将軍の甜点(デザート)要員』 だと思われてるね、わたし。  いつもどおり、係官に龍鬚糖(わいろ)を渡し奥の長官室へ向かう。 「こんにちは…… 端木将軍、いらっしゃいますか?」   返事がない。どうしたんだろう。  中に人がいる気配はするんだけどな…… 「こんにちは。雪糕(アイスクリーム)お持ちしました。失礼いたします」  何回か呼びかけても、しーんとしたまま。  しかたなく、そろそろとドアを開けて、わたしは固まった。  寝 て る  いつもなんとなく威圧感を漂わせてる、爽やかで穏やかなんだけど、隙のないおかたが……  腕組みして机に足のっけて、お休みになっておられる。健やかな寝息。  いや、こうしてみると、意外とかわいいな。  ついつい寝顔に見入っちゃう…… は、まあおいといて。  どうしようかな、これ。  しばらく迷ったあと、わたしは決心して机の内側にまわった。端木将軍にここまで接近するの、初めてだ……    「失礼します……」  呼吸にあわせてゆるやかに動くほおに、そろそろと雪糕(アイスクリーム)の入った銀椀(ボウル)を近づける。  いざ。  と、思ったとたん…… 腕を、ガシッとつかまれた。  端木将軍の目は、まだ閉じられたまま。このひとの反射神経、どうなってるんだ。 「腕、はなしてくださいよ、端木将軍」  閉じられていた目がゆっくり開いた。至近距離で見つめ合う形になる、わたしと端木将軍。 「…… きみ、いま、私に冷たい銀椀(ボウル)当てようとしたね?」 「起こしてあげようとしただけですよ」  寝てる端木将軍のほおに銀椀(ボウル)をぐりぐりできなくて、とても残念ではありますが。 「で。前にお約束した、雪糕(アイスクリーム)です。冷たいので暖かい生姜茶などと一緒にお召し上がりになるのがいいかと」 「ありがとう。梓恩どのも一緒に、どうだい?」 「はい、遠慮なく」  端木将軍が係官を呼び、ふたりぶんのお茶を頼んでくれる。  お茶が届くと、端木将軍はさっそく雪糕(アイスクリーム)をひとくち食べて、満足そうに息をついた。 「昨晩から泊まり込みでね…… 雪糕(アイスクリーム)のおかげで、やっと人心地ついた」 「()妃といいことあったなら、応援しますよ」 「()妃の件ではあるが、そうじゃない」  というかなんだその発想は、と、ちょっとムッとした端木将軍。いやまあ、前世の後宮ゲーム脳です。  雪糕(アイスクリーム)を食べたべ、端木将軍が説明してくれたところによると。  宮正はこの度の件を、()妃が呪詛したことにして、はやく決着をつけたがっているらしい。  だが端木将軍にはまだ、審判を行ううもりはなく…… しびれを切らした宮正院長が昨日、長官室に乗り込んで審判の開始を訴えたそうだ。  しかし端木将軍としては、納得いくほどの証拠が揃っていないのに審判など、話にもならない ―― そうしてお互いに譲らず、数時間にわたりガンガンやりあっていたせいで、ほかの仕事が遅れて泊まり込みになったんだとか。  いやはや、なんともお気の毒。 「だが、なんといわれようと、証拠が少なすぎる」 「証拠というと…… 例の流し雛の人形ですか? あの上巳の宴のとき、珠妃だけは、人形を流さずにそのまま持って帰りましたよね」 「そう、それ。呪詛なんだからそれで十分だと、宮正(院長)は主張してくるんだが…… そんなものだけで審判を開くなど、時間の無駄でしかない」 「はあ…… とめてくださって、ありがとうございます」 「当然だろう。宮正は太府局長官の顔色をうかがっているだけなんだから。つきあってられるか」  太府局長官というと、(スウ)妃のお父さん (笑い声の下品なテカり(ひげ)) だ。  最近の(スウ)妃は、()妃を悪く言わなくなってきたけど…… それで終わりじゃなかった、ってことかな。  もしかしたら(スウ)妃も、皇帝の寵愛が()妃に傾いていることを知って、焦っていたのかもしれない。 「とすると、やはり(スウ)妃が今回の件に関わってる可能性、高いですね」 「それはつまり」  端木将軍は雪糕(アイスクリーム)用の(スプーン)を口にくわえたまま、こちらに流し目を送ってきた。 「痘瘡(とうそう)の侵入経路、きみも予想がついた、ということだね?」 「はい」  うなずいて、わたしも雪糕(アイスクリーム)を口に含む。卵と牛乳、はちみつだけの、優しい味 ―― ちょっと、しゃりしゃりするところがまた、いいんだよね。
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