1-2. 梓恩、出勤する

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1-2. 梓恩、出勤する

梓恩(シオン)」  階下から義兄の呼ぶ声が聞こえた。 「梓恩、そろそろ出ないとな。殿下の朝食には間に合わないと、なんだろ?」 「はい、兄さん。いま行きます」  階段を降りると、義兄は朝ごはん食べつつ本を読んでいた。  朝ごはんは、わたしが着替える前に作っておいた枸杞(クコ)浅葱(あさつき)のお粥。  『不老長寿の薬草』 ともいわれている枸杞(クコ)を使った、血の巡りを良くしてからだを温めるお粥だ。秋分をすぎて、ぴりっと寒くなってきたこの季節の朝にぴったり。  からだや心にちょうどいいものって、幸福値を増すよね。  食べるときだけじゃなく、作ってるあいだも幸せだった…… 「ん? なにみてる?」  わたしの視線に気づいた義兄が、本から顔をあげた。  やや癖のある髪に通った鼻筋。切れ長の目の、整った顔立ち  ―― 暗殺者一族、()家の長男、博鷹(ハクオウ)。  これまで普通に家族だと思ってきたが、ばっちりと、ゲーム 『皇国の七妍(しちけん)』 の数少ない攻略対象だった。しかも、もげてない。 (ここ重要。なぜなら後宮ゲームという性質上、宦官でない攻略対象は彼と皇帝しかいないのだから)  ―― 皇太子を狙って後宮にしのびこんだ暗殺者、それがゲームの博鷹だ。前世の友人いわく、彼を告発せずに(かくま)うと、恋愛に発展するらしい。  だがここでは、義兄は家業を捨てて中央の役人になるべく、科挙受験中 (おやっさんは賛成してる。親心だな) 。  勉強と、わたしの任務の遂行監視のために、禁城近くの街中に、わたしとふたりで住んでいるのだ。  ―― もしかしたら、捨て子だったわたしが夷家のおやっさんに拾われたことで、ゲームの設定が微妙にかわったのかも。  ジョカとかいう女神様が 『二次創作』 とのたまっていたのは、この辺の事情だろうな。  義兄はふたたび本に目を落とし、口だけを動かした。 「梓恩おまえ、任務がいやで初日からサボりたいのか? だったら附子(ぶし)貝母(ばいも)を合わせてのんでみろ。死ねるぞ」 「知ってますけど博鷹(ハクオウ)兄さん、そうじゃなくて」 「じゃあ、なんだ」 「お(かゆ)、美味しいですか?」 「あ、ああ……」  いつのまにか(から)になっていた椀を、義兄はとまどったように眺めた。  きっと本に夢中で、味なんか考えずに流し込んだに違いない。しかたないんだから、もう。 「うん、うまかったぞ。少なくとも、麸皮粥(ふすまがゆ)よりは」 「馬の餌とくらべんな。あと、任務はまじめに取り組みますよ」    「いや、まあ…… そう気負うな。毒はなににした?」 「これです」  宦官服に縫い付けた隠しポケットから袋を取り出し、義兄に見せる。  ひもをゆるめると、なかには毒々しい黒と茶色の混ざった粉。ほのかに甘い香りがする。 「斑蝥(はんみょう)の毒です。これを少しずつ、食事に混ぜる予定です」 「…… そうか、わかった」  義兄はしばらく粉を眺め、それから大きくうなずいた。 「じゃ、まあ、焦らず落ち着いてやれよ。失敗しても梓恩は処分されないように、なんとかしてやるからな。バレたときは、どんな手を使っても逃げろ」 「わかりました」  兄さん、心配してくれてるんだな……  まあ、わたしとしては、失敗しても処分されないだけで、じゅうぶんです。  だって、失敗する予定しかないもんね! 「いってきます」  義兄の顔から目をそらすようにして、外に出る。  夜明け前の空気はしっとりと冷たく、細い月と金星だけがわたしの行く道をほのかに照らしていた。  禁城についたころには、空はほんのりと明るみを増していた。皇太子の起床まではあと一刻(約2時間)とちょっと、ってところか…… いそがなきゃ。   まだ青い実をつけたネズミモチの垣沿いに、後宮に近い玄武門へと走る。 「梓恩(シオン)さん?」  宦官専用の通用口で門衛に名札をみせていると、門の内側から人懐こそうな声がした。  宦官服の少年がこちらに向かって拱手(きょうしゅ)している。歳はわたしと同じくらい。16、7歳といったところだが……  羨ましいくらいの美少女顔だ。  白く滑らかな肌、濡れたような黒目がちの瞳。目鼻口眉のどこをとっても形のいいパーツがバランスよく並び、朝露をのせた薔薇のつぼみのようにみずみずしい。  たしか、ゲームでは貴重な攻略対象 (少年枠) だったはず。名前は、えーと。 「東宮内侍の(サイ)寧凛(ネイリン)です。新任の梓恩さんですよね?」 「はい。新しく東宮づきになりました、()梓恩(シオン)です。初めまして、蔡さん」 「寧凛(ネイリン)と呼んでください。坊っちゃまもそう呼んでおられるので」  では参りましょう、と寧凛がきびすを返す。  わたしたちは人通りのない広い道を、やや急ぎ足で進んでいった。 「あの、坊っちゃまって、皇太子殿下のことですか?」 「ええ。内侍は皇帝陛下のことをご主人さま、皇太子殿下つまり巽龍(ソンリュウ)君のことを、坊っちゃま、とお呼びします。皇后陛下は奥さまで、弟君の雅雲(ガウン)殿下のことは小坊っちゃまとか、二の坊っちゃまとか…… 一般のご家庭と同じにすることで、お心を休めていただこうという配慮です」 「へえ……」  皇家、思っていたよりフレンドリー。  通用門からすぐは倉庫群。宮廷で必要なものはだいたい、ここにおさまっている。  そこを抜けると、錆水(せいすい)と呼ばれる河のほとりに妃たちの宮殿が立ち並ぶ。  北から、三美人の禧宮、碧宮、琅宮。中央に皇后の夏の住まいになっている永宮、そのさらに南は階級の高い三妃の莉宮、嵩宮、珠宮。もらった地図ではそうなっていた。宮と妃の呼び名は同じで、それぞれの出身地方の名である。  宮殿もそれぞれ、妃の出身地方の城のレプリカ。前世ヨーロッパの城っぽいのから、いかにも中華らしいたたずまいのものまで…… テーマパークっぽくて、歩くだけで、ちょっと楽しい。  ちなみに皇太子の暮らす東宮は永宮の向かいにあり、禁城の本宮とは渡り廊下でつながっている。 「つきましたよ。僕たち使用人は、厨房近くの裏口から入ります。厨房はこちらです」  巡らされた塀のなかは、小川の流れる庭園だった。きちっと整備された庭というよりは自然に近い感じだ。ピクニックできそう。 「さっそくですみませんが、坊っちゃまの朝食、お願いできますか?」 「もちろんですよ。そのための早朝出勤でしょう?」 「助かります。僕は料理が全然できないので…… うぶっ」  申し訳ないのと悔しいのと半々。そんな顔をする寧凛の背後から、とつぜん、小柄な人影が走りよってきて、寧凛にタックルした。  寧凛が 「うっ」 と口元を押さえて涙目になる。舌を噛んじゃったみたい。  
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