6-9. 梓恩、毒を解き明かされる

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6-9. 梓恩、毒を解き明かされる

 パカッと開いた温かみのある白の台座に乗っかる、ほんのり色づいたぷりぷりの貝と、上に散らされた鮮やかな浅葱。  時間をかけてコトコト煮込んだ、深い色合いの炖牛肉(ビーフシチュー)。  とろっとした黄金色の半熟卵と緑のコントラストが美しい、野菜たっぷりの沙拉(サラダ)。  (テーブル)のうえに並べたごちそう ―― 眺めるだけで、自然に顔がにこにこしちゃう。ついでにお腹が減ってくる。 「(はまぐり)の酒蒸し、仔牛の(シチュー)に、ほろにがうまい油菜(なのはな)…… 品数は少ないですけど、お祝いですよ、博鷹(ハクオウ)兄さん」 「ん。麸皮粥(ふすまがゆ)より、かなり美味(うま)そうだ」 「だからそういうとこですよ。馬の餌とくらべんな」  春分も半ばの、ある昼。  わたしは街の家で、義兄に向かって杯をあげていた。中身は去年から漬けておいた、蜂蜜(はちみつ)梅酒。  ―― 今日わたしは、巽龍君(皇太子殿下)の朝食を作ったあと、早帰りしてきているのだ。 「まあ、ともかくも科挙試験合格、おめでとうございます」 「…… まだ、殿試(口頭試問と面接)が残ってるんだが」 「そんなの、慣例的に全員合格じゃないですか…… あ、でも博鷹兄さんなら、試験官を怒らせて殿試に落ちた、史上初めての人になれるかもですね。ぷぷぷぷ」 「笑いごとじゃないぞ、それ」  ツッコみながら義兄も、口もとをゆるめて杯をあげた。 「梓恩(シオン)も、おめでとう。イヤな依頼が流れて、よかったな」 「あー、まあ…… それも、素直に喜べない感じになっちゃったんですけどね……」  わたしは、顔をしかめた。  ―― (シュ)妃の痘瘡(とうそう)さわぎは、珠妃の流産に()妃の無罪と(スウ)家の没落という結果を残し、終わった。  わたしの予想どおり、というわけじゃない。  珠妃を害することを企んだのは、(スウ)妃ではなく、そのお父さんの太府局長官だったのだ。  で、その太府局長官こそが、夷家(わたしの実家)巽龍君(皇太子殿下)の暗殺を頼んでいた張本人で ―― 義兄がいう 『イヤな依頼が流れた』 のは、つまり、依頼主が陰謀に失敗して失脚した結果、ということなんである。    珠妃の痘瘡事件の黒幕が明らかになったのは、治療にあたっていた太医の証言のおかげだ。そして、そこから端木将軍が執念深く芋づる式に首謀者を掘りあてていったおかげでもある ――  (スウ)妃のお父さんは、今の皇太子(巽龍君)を廃して孫にあたる雅雲君(弟殿下)を皇太子位につけたい、一派の筆頭。(シュ)妃の妊娠を知り 『寵愛No.1の妃がもし男子を産めば、皇太子位がますます遠くなる』 と考えた。  そして痘瘡の病邪がついた扇を、人を介して珠妃に贈ったのだ。  その手順は、こうである。  まず、珠妃の祖母の死後処理に、珠妃からの使いを装った者を、嵩家からの者とは別に派遣。 『珠妃さまのたっての願い』 として、祖母の亡骸を包んでいた衣裳の一部を切り取らせて扇に仕立てあげた。  その扇を、内侍総監の(チョウ)宦官に命じて、私物として購入させて後宮に入れた。  後宮に入る品はすべて記録されるが、立場的には召し使いにすぎない内侍宦官の私物は例外だから、都合がよかったんだろう。  そして(チョウ)総監は珠妃に 『ほかはしきたりに従い燃やしてしまったが、お祖母さまが生前に気に入っておられた衣裳の一部のみ、残すことに成功した』 と扇を見せて、()()()()()()。  珠妃の祖母は多くの人 ―― とくに皇后からも慕われているが、痘瘡で亡くなったため、その遺品は皇后ですら手に入れられない。  祖母を慕う気持ちと、皇后に対する優越感。その2つでもって珠妃は、(チョウ)総監からねだった遺品の扇を肌身離さず持ち歩き、しばしば()()()()()、さりげなく見せびらかすようになった ―― そして、発症。  初期症状の高熱の影響で、珠妃は流産。それを確認した太医は、珠妃の枕元に置いていた扇を(チョウ)総監の命令で持ち去り、燃やした。 『皇帝陛下が夢で、この扇を珠妃の身代わりとして燃やせば珠妃の病は快癒する、との神託を黄帝よりくだされた』 ので燃やせ、と(チョウ)総監より指示された、と太医は主張。 (なぜこんな恥ずかしい主張を堂々とできるのかが謎だが、まあこの世界の太医のレベルはだいたい、こんなものなのだ)  当然ながら、(チョウ)総監はその主張を否定した。  もしこのままなら、太医あたりが犯人に仕立てあげられて、一連の痘瘡事件は終わるしかなかったかもしれない。  だが、あいにく。  (チョウ)総監が私物として扇を購入したところを、覚えている者がいた。  ちょうど、わたしの仕事ぶりを総監に報告にきていた、寧凛だ。  そう。寧凛がかねてから、わたしのことを報告していた 『上』 とは、(チョウ)総監だったんである。  暗殺者がきちんと仕事をしているか見張っていた ―― そんな意識は、寧凛にはない。寧凛は、梓恩(わたし)が総監の一存で皇太子付きになった新人だから、仕事ぶりを気にされているのだろう…… と、解釈していたようだ。  報告は(チョウ)総監の私室で行われるのが常だったが、それも(チョウ)総監がひとりの宦官を特に気にかけていると知られないための配慮、くらいに考えて、とくに疑問に思ったことはないらしい。  そして偶然、物売りが 『例の品です』 と女性ものの扇を持ってきたところに出くわした。 「珍しいものを頼んでおられるな、と思ったんです。そのときは、(チョウ)総監にもそんな関係の女官がいるのかな、と、うがってしまっただけでしたが…… いま考えると、ちょっとヘンだったんですよね。  扇って買ったらまず、ちゃんと開くか確認するでしょう? なのに、売り手も買い手も、直接に触れたりは一切せず 『注意して扱ってください』 『わかった』 のひとことで、終わりで」  この寧凛の証言から、扇を持ち込んだ物売りをたどっていったところ。  物売りはある男から大金でそれを頼まれた。頼んだ男はまた別の者からその使いを頼まれており、使いを頼んだ者は素性を隠していたものの、身なりや特徴から(スウ)家の家令の従者であることが判明 ――  そしてついに、(スウ)妃のお父さんは逆臣として捕らえられた。協力していた(チョウ)総監も、牢に入れられて裁きを待っている。  おかした(あやま)ちの大きさから、じきに死罪が確定するだろう。  あおりを受けて、嵩妃は妃籍から抜かれ、後宮を追われる予定だ。また、その子である雅雲君(弟殿下)も臣籍に降り、遠く(ロウ)地方のある県の県令に任ぜられることとなった。まあ、ゆるい島流しだ。  雅雲君(弟殿下)と仲の良かった巽龍君(皇太子殿下)も、心を痛めておられて…… いつも元気なおかただが、最近は少し、口数が少ない。  こうした、もろもろの事情があるために。 「堂々と任務放棄してよくなったのはいいんですけど、どうにも後味が良くないんですよね。嵩妃さまも雅雲君(弟殿下)も、(スウ)パパがアホだったばっかりに」 「しかたないじゃないか。過ぎたことを気にするのは、養生に悪いんだろ?」 「まあ、そうではありますけど」  梅酒をひとくち飲んで、ためいき。  義兄の合格祝いのために出した特別なお酒は、とろりとした琥珀色がきれいで、甘い香りも濃い味わいも最高 ―― なんだけど。  どうにも、手放しで喜ぶ気分には、なれない。 「(チョウ)総監だって、(スウ)家に協力していたの、妹さんが(スウ)家の従者に嫁いでいるから、しかたなく、だったそうじゃないですか。なのに、死罪ほぼ確定」 「それこそ、しかたないな。選択を誤ったツケだろう。誰にでもあることだ」 「んー……」 「それに、俺はやっぱり、良かったと思ってるぞ。あの 『斑蝥(はんみょう)の毒』 を使い続けて最終、どうやって逃げるつもりだったんだ?」 「それは、ほら。 『この毒が効かないことこそが、天意。すなわち、巽龍君こそが天に定められた真の天子である証拠です!』 とか言って…… って、博鷹兄さん」  説明してる途中で、はっとする。  義兄は一応、わたしが任務を果たすための監視役だった…… 「気づいてたんですか?」 「あれがただの丁子(クローブ)肉荳蔲(ナツメグ)の混合だってことか? 逆に、なんで気づかないと思うんだ?」 「う…… 色合いは本物(はんみょう)そっくりだったかと」 「うん。特徴ある、甘く刺激的(スパイシー)な香りだったな?」 「ううっ」 「魚を()()させるには茶匙(スプーン)一杯ていどで、じゅうぶんだが…… 人を殺すには、その10倍以上の量が必要だな。だが適量であれば体内に毒物が蓄積されることもなく、むしろ血流を促し、痛みを去らせ、脾胃(ひい)の働きを助ける。だろ?」 「正解です……」  わたしは詰めていた息を、ほうっとはきだした。義兄、ドヤ顔。 「おやっさんには、このこと、報告してるんですか?」 「してない。だがもしバレても、問題ないだろ…… だいたい、俺がなんで、コネを使わず、バカ正直に科挙を受けたと思ってるんだ」 「えっ。やたら高い意味不明の矜持(プライド)じゃ」 「ばーか」  デコピンされた。地味に痛い。  痛いのに義兄がすごく優しい目をしてる気がして、不覚にも心臓にきてしまった。  ―― 忘れたころにゲーム攻略対象(ヒーロー)ムーブかますの、まじやめてほしい。   「…… もう少し、待っててくれ。そしたら」  義兄が、なにか、言いかけたとき。  わたしたちのあいだに、急に小さな龍が現れた。  とがったしっぽが、義兄のほおをぺちっと叩く。 「いたっ……」 「あっ、巽龍君の伝令! どうしたんですか? 」  小さな龍は、うんうん、とうなずくと、羽ばたきを止めた。そのまま、伸ばしたわたしの手のひらに落ちて、1枚の紙に戻る。  内容は―― 『梓恩、至急戻ってくるのだ! (スウ)妃が痘瘡になった! ただし義兄どのの祝いはしっかりしてくること!』  だった。   「兄さん、大変です。お祝いしたら、すぐ行かなきゃ」 「ん。じゃ、ほかのいろいろは置いといて。とりあえず、もう1回、乾杯してくれるか」 「もちろんですよ」  わたしと義兄は、あらためて目を合わせ、梅酒の杯を持ち上げた。 「合格おめでとうございます。そして、博鷹兄さんと、夷家(うち)の将来に、乾杯」
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