6-10. 梓恩、仕返しをする

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6-10. 梓恩、仕返しをする

「梓恩んんん! よく戻ってくれた! 休暇だったのに、すまぬな!」 「いえ、大丈夫ですよ、坊っちゃま(皇太子殿下)」  義兄のお祝いのあと、いそいで後宮に戻ると、待ち構えていたように巽龍君(皇太子殿下)が出迎えてくれた。ぶんぶん振っているしっぽと犬耳が()える気がする…… 「それより、(スウ)妃さまは? ご容態は、どうなんですか? 雅雲君(弟殿下)は、どうしておられます?」 「うむ! 雅雲()とは、宮からは出られぬので、伝令でやりとりしておってな。元気だそうだ!」 「それは、ようございました」 「うむ! 雅雲は嵩妃とは、もともと別の部屋で起居しておるゆえな! 嵩妃が完治するまでは会えぬのが、かわいそうだが」 「完治…… ということは、(スウ)妃さまもきちんと治療していただけるのですね」 「うむ! 妃籍から除かれる予定の、罪人の娘に…… などと、言い出す連中もいたがな! 母君が一喝されたのだ!」 「そうでしたか…… 奥さま(皇后陛下)、おさすがでいらっしゃいますね」 「うむ! いそぎ紫雪を使うことに決まったゆえ、あとは日にち薬であろう!」 「よかった……」  ほっとした……  (スウ)妃が痘瘡に感染したのは、あの上巳の節句(3月3日)の宴で珠妃の扇をひろったときだろう。なにも知らずに、扇をさわった手で飲食したために、病邪が体内に入ってしまったんだ……  (スウ)妃、お父さんのとばっちりがすぎて、まじに気の毒。  巽龍君(皇太子殿下)がわたしを呼んだのは、高価な秘薬である紫雪を嵩妃に使うかどうかで、いっとき議論が紛糾したからだそうだ。  嵩妃を治療しない方向で決定がくだされれば、わたしの知恵を借りようと思っていたのだ、という。  もっとも結果は、皇后が 「正式に除籍されるまでは嵩妃はまだ、皇帝の妻である。であるのに治療に反対する者、力を尽くさぬ者…… そのほうらは、すべて、逆心ある者として覚えておこう」 と高官と太医たちを脅し、(スウ)妃の治療が継続されることになったのだが。 「そんなわけでな! せっかく来てもらったが、帰っても良いぞ、梓恩!」 「えーと。せっかく来たので、良かったら、お夕食を作りましょうか?」 「いいのか!?」  巽龍君の顔が、ぱっとかがやく。  こんな期待にあふれた表情をされて、断れるひとっているかな。いないよね。 「もちろんです。今日はたしか、()妃さまのご実家から鯡魚(にしん)の甘露煮が献上されていましたから…… それと卵と浅葱で、出汁(だし)たっぷりのお粥など、いかがでしょう?」 「食べりゅううううう!」  そんなわけで厨房に行き、寧凛(ネイリン)に 「ななな、なんでいるんですか梓恩さんっ!」 と、ものすごくビックリされながらお粥と甜点(デザート)を作り、片付けもしようと申し出たら、なぜかめちゃくちゃ怒られて追い返された。  普通に 「明日は自分が休暇もらってるから、いまよぶんに働いてもらうのは心苦しい」 って、どうして言えないんだろう…… かわいいな、寧凛。 「ただいま…… あれ。もしかして、お酒飲みました、博鷹(ハクオウ)兄さん?」 「うん。夕食、おやっさんに呼び出されてな。科挙合格の祝いをしてくれた」 「親心ですね」    黄昏(たそがれ)の、うっすら青い景色のなか、街の家に帰ると ――  義兄がめずらしく(テーブル)につっぷして、ぼんやりしていた。こちらに向けた顔がものすごく、とろんとしている。前世のゲームなら、レアスチルゲット、ってところかも…… たしかあのゲームの設定では、義兄は鋭さが売りの暗殺者だったはずだから。  眠そうに潤んだ目も、けっこうかわいい。 「梓恩おまえ、甘草(カンゾウ)って知ってるか」 「もちろん。かむと甘い味がする上品(じょうほん)の薬で、気を補い、熱とそれに伴う痛みや炎症を鎮め、脾異(ひい)をゆるく温めて痰を去ります。効き目は穏やかですが、君臣佐使(くんしんさし)法でいう使薬として、各種の方剤に配合されていますね」  君臣佐使(くんしんさし)は漢方薬の配合法則。  病邪を攻撃する王様の薬 (君薬(くんやく)) を臣下の薬 (臣薬) とサポート役 (佐薬) が支える。各薬の強い薬性を調和し、病巣に届ける役目をするのが使薬 ―― 科学的にはどうか知らんけど、この発想、かっこよくて超好き。   「いわば甘草って、召し使いなんですよね…… みんなの仲をとりもって良いほうに導く、優しい働き者です。()りすぎると昏倒などを引き起こすことがあるので要注意、ですけど」 「そうか…… で、梓恩。おまえ、いまの仕事、どうする?」  酔ってるせいかな。話がとんでるね、兄さん。 「そうですね。気に入ってるんで、このまま続けてもいいかな、と思ってます」 「そうか…… じゃあもう、風呂入って寝ろよ」 「はい、そうします。博鷹兄さんは、桜花茶でもどうぞ。二日酔い予防です」 「おう、ありがとう。きれいだな……」  このあとにぜったい 『麸皮粥(ふすまがゆ)よりは』 って言われる…… という、わたしの予想は外れた。  義兄の目は、(テーブル)の上の桜花がふわりと咲いた茶杯じゃなくて、わたしのほうに向いている。 「きれいだな」 「…… 酔っぱらってますね? じゃ、わたしは風呂に入ってきますんで」  義兄に背を向けて、わたしはそっと自分の心臓をおさえた。深呼吸。  落ち着け、わたし。いまの義兄は、酔ってるだけなんだから ―― 「めんどくさいなあ……」  ふわりと包みこむような、それでいて気品のある艾葉(よもぎ)のかおり。  義兄が用意してくれていた湯に身を沈め、頭をもんでいると、自然と本音が、口からもれた。  ―― 恋のドキドキ感とか、養生の道には要らないと思う、正直。  「そういうのいいから、普通に、仲良く、平和に…… 暮らしていきたい…… わけのわかんない攻略対象(ヒーロー)ムーブ…… 重いなあ……」  わたしの考える養生の理想は、穏やかにリラックスできる 『(ほどほど)』 の状態 ―― たとえ好意であっても、過剰なものは遠慮したい。  かといって、かたくなに好意をはねつけるのも、養生の道とは違うんだけどね…… 「そうだ。つまり、無理なく受け取り、過不足なく返品すればいいんじゃ」  こ れ だ 。  わたしは頭のツボ (頭維(ずい)とか本神(ほんじん)とかのあたり) を押さえていた手をゆるめ、深く息を吸い込む。新しい艾葉(よもぎ)のにおいがした。  風呂からあがると、義兄がゆるゆる、桜花茶を飲んでいるところだった。 「博鷹兄さん、お風呂お先でした。ありがとうございます」 「ん」 「兄さんも、かっこいいですよ」 「ん!? んぐふっ、ごふっごふっ……」 「じゃ、お休みなさい」  なかなか止まらない咳の音に、背を向ける ―― なんでだろ。ほおが自然に、ゆるんじゃう。  わたしの心臓は 『(ほどほど)』 のまま、いつもより嬉しそうに、ことことと動いていた。    ―― 半月後。  (スウ)妃の痘瘡が、完治した。  珠妃のときと違い、祝いの茶会は開かれない。嵩妃は病が癒えるのと同時に、正式に妃籍から除かれることが決定したからだ。  また嵩妃のお父さんも、すでに毒杯を賜って亡くなっているから…… 嵩妃としても、祝われるような気分ではないだろう。  だけど、悪いことばかりではない。  同じ日、食後の甜点(デザート)タイムに巽龍君(皇太子殿下)が教えてくれたところによると ――  皇后は雅雲君(弟殿下)を養子とすることに決めたらしい。  雅雲君は成人後には、当初の予定どおり臣籍にくだることには、なるのだが…… ともかくも、わずか5歳で地方赴任(島流し)される運命からは逃れられたわけだ。  そして(スウ)妃も、雅雲君の世話係として後宮に残れることになった。身分の剥奪だけはどうにもならなかったものの、皇后としては最大限の温情だろう。 「梓恩のおかげでも、あるぞ!」 「はて? わたし、なにもしていないかと存じますが……」 「問荊(すぎな)だ、梓恩」 「はあ?」 「以前そなた、母君に問荊(すぎな)のことを教えたであろう? 母君は、いたく感銘を受けたようでな」 「はあ……」 「母君は 『雑草は排除してもまた生えるもの。ならば手元ではびこらせ、よき時期に刈り取り、うまく利用すべきよな』 と、おっしゃっておられたのだ! そう思われたからこそ、雅雲()も嵩妃も後宮に留められたのだろう」 「さようであられましたか」 「うむ! 私も、雅雲()が遠くに行かずに済んで嬉しいぞ、梓恩!」 「はい。まことに、よろしゅうございました」  巽龍君の明るい表情、なんだか、ひさびさだ…… わたしはほっとしたものを感じつつ、甜点(デザート)を差し出した。 「(いちご)と数種の柑橘(かんきつ)、それに銀耳(白キクラゲ)椰奶(ココナッツミルク)あえでございます。苺は血を養い…… 「美味であるっ!」  12歳の巽龍君(皇太子殿下)のお顔が、幸せにゆるむと8歳程度に見えてしまうことは…… 殿下の料理番だけが知っている、かもしれない。  
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