閑話(3)~甘草の子~

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閑話(3)~甘草の子~

【博鷹 (梓恩の義兄) 視点】  灯籠がぼんやりとした赤い光を、まばらに草の生えた地面に投げかける ――  開け放しになっている木戸を博鷹(ハクオウ)がくぐると、店の奥から痩せた娘が出てきた。 「いらっしゃい。大伯(おじさま)なら、2階よ。案内するわ」 「別にいい。知ってる」 「そう…… あの、あのね、あたし、今日、お客がまだひとりもいなくて」 「酒と…… そうだな、なにか適当に頼む。つりはいいから」 「ありがとう……」  銀貨を渡すと、娘はなぜか切なげに、ためいきをついた。多めに渡したつもりだが、足りなかったのだろうか。  ふたたび財布を取り出しかけた博鷹を押し留め 「じゃ、あとで料理とお酒、持っていくわね」 と奥のほうに去っていく。  その背を見送ることなく、博鷹は狭い階段へと足を向けた。  ―― 鄲京(タンキョウ)のはずれ、旅人のための、ありふれた宿屋 兼 料理屋。  この店を利用するようになったのは、博鷹が義妹の梓恩とともに、禁城のふもとに暮らすようになってからだった。  『おやっさん』 こと彼の父に、義妹の仕事ぶりを報告するためである。  おやっさんの無茶ぶりで、義妹はいま、宦官として後宮に潜り込み、皇太子暗殺の任についている ―― 博鷹の生まれた夷家は、そういう家なのだ。  だが、今回は少々、違った。 「おう博鷹(はくおう)。今日もよく、モテてるじゃないか」  部屋で先に待っていた博鷹の父は、すでに少々できあがっていた。ほんのりと赤い顔に、いつもの底冷えするような厳しさは感じられない。 「なんなら宿代、もってやろうか?」 「いりませんよ」 「科挙合格の祝いだ、遠慮するな」 「ゆっくりしてられないんです。夜中には、梓恩が帰ってきますから。早く戻って、風呂をわかしといてやらないと……」 「ほお。将来の士大夫さまが、風呂たきか」 「それくらいはしますよ。梓恩だっていつも、朝食を作ってくれてるんですから」  むっとして返したところで、娘が酒と(さかな)を持ってきた。肴はてろりと(ツヤ)を帯びた紅焼肉(豚の角煮)。やわらかくとろけるような肉をかみしめると、中から香ばしく甘じょっぱい汁があふれでる。絶品だ。  ふたりはしばし無言で、肉をほおばり酒を飲む。 「―― ここで報告するのも、今日で終わりですね」 「ん。まあ、依頼主がアレじゃあな。しかたない。前金はもらってるしな」 「問題は、梓恩をどうやって辞めさせるかです。まさか、これから先も宦官させるおつもりじゃないでしょう?」 「ん。だが、本人は気に入ってそうだな」 「そういう問題ではありません」  博鷹はぐっと眉を寄せた。彼の父は、梓恩にだけは甘いのだ。  博鷹の父が仕事の帰りに、たまたま拾った赤ん坊 ―― それが、梓恩だった。  幼かった博鷹は覚えている。おぼつかない手つきで赤子を抱っこする父親は、これまでにない優しい顔をしていた。  おそらく彼の父は、その赤子に己が捨ててきた善意を重ねていたのだろう。  博鷹が暗殺者一家の跡取りとして厳しい訓練を積む一方で、梓恩はただ慈しんで育てられた。  博鷹を含めて誰も、それに異議を唱えなかったのは、彼らが知ったからだ。なんの見返りも期待しない愛情を注げる存在が、荒れた心をどれだけ癒し、満たすのかということを。  ―― それだけに、父が梓恩に暗殺の任務を負わせ、後宮に送り込んだのは意外だった。  博鷹は父を責め反対したが、父は譲らなかった。  この国において家の長の決定は絶対であり ―― 博鷹にできたのは、一緒に住んで義妹を見守ること程度だったのだ。  顔をしかめたまま、博鷹は杯を重ねる。 「梓恩をこのまま後宮に置いていて、正体がバレたら危険すぎる…… そもそも、なぜ、梓恩なんですか。あの子は暗殺(ころし)には向かない」 「…… だからだよ」  博鷹は驚いて父を見る。  きっとまた 『しかたないだろう。うち(夷家)()()()()のはアレ(梓恩)しかいないんだから』 とでも、ほざいてくるだろうと思っていたのだ。  博鷹の父はわずかにほおを緩めていた。 「いまだから言うが、この仕事(皇太子暗殺)は断れなかった。だが、この仕事をもって、うち(夷家)は、(スウ)家よりの大恩を返したこととし、今後、嵩家はほかの依頼主と同等となる。そういう約束だったんだ」 「なんですか、それ……」  博鷹は絶句した。  ―― (スウ)家の大恩。それは、先々代にまでさかのぼる。  夷家はもともと、北の()氏の土地に住む少数民族だった。()氏がこの国に平定されたとき、()家も巻き添えをくって皆殺しになるところを、嵩家の先先代の将軍に助けられたのだ。  以後、夷家は(スウ)家の(いぬ)のような立場となった。(スウ)家がまわしてくる暗殺依頼を、否応(いやおう)なしに受けるようになったのである。  それでも先代までは、やっていけた。嵩家の先先代にも先代にも、節度と志があったからだ。  しかし、いまの当主に代替わりしてからは、身勝手な依頼が増えた。ただ、私利私欲を満たすだけのような。  いまの(スウ)家当主は、そうして政敵を次々と消し太府局長官の座をつかんだのだ。しかも、それだけでは飽きたらず、娘を後宮に入れて皇子を生ませ、皇太子位を狙っていた。 「難しい依頼だからこそ、嵩家からの依頼(むちゃぶり)はこれが最後、ということで合意できたんだ…… だが、博鷹よ。次の天子さまを()るのも、嵩家の当主のような男が権力を握るのも、とんでもない話だろ?」 「だから、暗殺(ころし)ができない梓恩を、わざと?」 「まあ、そんなところだ。梓恩なら、何も言わずとも…… 実際、うまく誤魔化(ごまか)してくれている」 「…… ところで、おやっさん。附子(ぶし)貝母(ばいも)を合わせて飲んだら、永遠に痛みがなくなるそうですよ。関節痛の治療に試してみますか?」 「まあ、そう怒るな博鷹。血が(とどこお)るぞ」 「俺が、そのために、どれだけ必死で……」  博鷹は膝の上で拳を握りしめる。  コネを使わずに実力だけで科挙を突破しようと考えたのは、矜持(プライド)からではなかった。  己の代で断ちたかったからだ。嵩家をはじめとした依頼主たちとの関わりも、暗殺業も。  だって梓恩に、暗殺(ころし)は向かないのだから。 『自分も周りの人も大切にするのが、養生です』  そう主張してやまない義妹(いもうと)が、好きな道をまっすぐに歩み続けられるように。  心身ともに、天地の恵みを当たり前に受け続けられるように。  この家業から抜ける ―― そのためだけに博鷹は、ひたすら、努力を重ねてきた。  ―― なのに博鷹の父親は、依頼主を騙し、家にとっての利益を得るために義妹を利用したのだ。  博鷹と父親の目指すところは似ていても、そのやりかたは、受け入れられるものではない。 「…… ずるいですよ」  しばらくのにらみあいのあと、博鷹はやっと、言葉を吐き出した。  父親が破顔する。 「ずるいか」 「めちゃくちゃ、ずるいです…… おやっさんは、それでも梓恩が許すと知ってるんだから」 「そうだな…… 梓恩は、甘草(カンゾウ)みたいな子だからな」  杯をあおって立ち上がると、博鷹の父親は、おもむろに窓を開けた。 「じゃ、ちょっと行ってくるか」 「どこへですか」 「夷家(うち)の甘草ちゃんが、今回の痘瘡事件の顛末(てんまつ)のせいで、よぶんに脾胃(ひい)を痛めないようにな」 「だったら最初からすんな」 「まあ、それについてはちょい反省してるぞ。おまえの学力を疑ってて悪かったな、博鷹」  言い置いて、窓からひらりと飛び降りる。  博鷹は舌打ちをし、それから窓にかけよった。    「失敗しても助けないからな!」  素直じゃない激励に片手をあげてこたえ、父親の背はみるみる遠ざかっていった。  風に乗って 「はやく口説けよ」 と余計な一言が耳に入った気もするが、気のせいだということにしておく。  ―― 義兄の立場は、難しいのだ。
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