7-1. 梓恩、茶会で講義する

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7-1. 梓恩、茶会で講義する

 紅茶のような優しい色合いの湯に、とろとろと蜂蜜(はちみつ)檸檬(レモン)汁を入れ、硝子(ガラス)製の茶杯(ティーカップ)に当分に注ぐ。ふちに檸檬(レモン)の飾り切りをさし、薄荷(ミント)を浮かべれば完成 ―― 「みなさま、お待たせしました。洋葱(たまねぎ)の皮のお茶でございます」 「あたくしたちに、牛の餌を!? ……いえ、失礼しました……」 「別によい。非公式(プライベート)だからな」  ガタッと立ち上がりかけて、急に己の立場を思い出したらしい。すん、と縮こまって座る(スウ)氏 ―― もう妃ではないので、(スウ)氏と呼ばれている ―― に、皇后が笑いかけた。  あの痘瘡騒ぎもやっと落ち着き、季節は立夏 ―― 陽の気が強まり、春と夏とが入れ替わる時期だ。  今日は農業事始(のうぎょうことはじめ)で、皇后が後宮の畑に(くわ)を入れ、種をまく行事があった。  その後は休憩の意味も込めて、妃や皇子たちを呼んでのプライベートの茶会 ―― 本当に休憩になってるのかな。謎だ。  で、わたしは皇太子付きの料理番として、茶会のお手伝いをしてる。客として参加するより、このポジション(給仕)のほうが、やっぱり楽しいな。  巽龍君(皇太子殿下)雅雲君(弟殿下)は、仲良く六博(すごろく)の対局中だから、お茶はあとで出してあげることにしよう。 「ふむ、なかなか美味いものだな」 「ええ。蜂蜜(はちみつ)檸檬(レモン)が、おいしゅうございますね、陛下」 「うんっ、きらいじゃないよー、これー!」  洋葱(たまねぎ)の皮茶をさっそく飲んでくれてるのは、皇后と()妃、それに(ロウ)妃。つられて、()妃と(ヘキ)妃がおそるおそる、茶杯(カップ)に手を伸ばす。 「洋葱(たまねぎ)の皮は血の巡りをよくして炎症を払い、老化を抑え、肌を美しくする効果が期待できます」 「「肌!」」  (シュ)妃と嵩氏が同時に叫び、お互いをチラッと見てから目をそらした。  珠妃は顔を薄い(しゃ)の布で覆って隠しており、(スウ)氏の顔にはやや赤みがかったブツブツがある ―― ふたりとも、痘瘡(とうそう)は完治したものの、顔には痘痕(あばた)が残っちゃったんだよね……  嵩氏は痘瘡にかかると同時に没落したから、踏んだり蹴ったりすぎて、お肌が心に与えたダメージは逆に少なかったみたいだ。  けど、珠妃は寵愛No.1のプライドずたずた。今は皇帝陛下のお渡りすら断って、基本は引きこもっているらしい。このお茶会に出てきたのは、皇后に 「梓恩に肌に良いお茶を出させる」 と言われたからだそうだ。 「もっとほかに、お肌をキレイにするものはないの!?」 「いろいろ、ありますよ。代表格は薏苡仁(はとむぎ)で、イボをとり肌荒れをなおすと言われています。  紅小豆(あずき)蓮根(れんこん)、蓮の実のお粥、木耳(きくらげ)大棗(なつめ)十薬(どくだみ)の煎じ汁などは、体内の巡りを良くし血を浄化して健康で美しい肌をつくる、とされていますね。  それから虎耳草(ゆきのした)十薬(どくだみ)の絞り汁は、ひどくなった丘疹(にきび)に直接つけると、いいそうです。あと冬瓜(とうがん)や大根おろしは、肌を色白にし、ぴんぴんのぷるぷるに」 「ちょっと待って! 文香!」  (シュ)妃が後ろを振り返る。視線の先にいた侍女が 「もちろん記録(メモ)しております!」 と、筆を持ち上げてみせた。 「ガサガサ乾燥しがちなお肌には、胡麻(ごま)茶やにんじん、蜂蜜(はちみつ)など。  しっとりなめらかで透明感のあるお肌を目指すなら、金銀花(すいかずら)の花と蒲公英(たんぽぽ)の根のお茶を……  で、()()()()()()は、日光にあたるのを避けて柑橘(かんきつ)枸杞(クコ)の実を多めに摂るのがオススメです」 「たくさんあるのですね」  ()妃が感心したようにうなずいた。 「さようでございます。まさにこの天地は、女性の味方でございます、()妃さま」 「ええ、ほんとうに」  ほわりと微笑(ほほえ)む、()妃 ―― 以前の、にじみでるような暗さは、すっかり影をひそめている。これなら、そのうち、寵愛No.1の座も…… は、ないか。  なんでも()妃は、皇帝のお渡りを3回のうち2回は、ほかの妃に譲っているらしい。前向きになっても、控えめな性格はそのままなんだな。  ついでにいえば、端木将軍とも、なにごともない。けっこう推しカプなだけに残念。 「それらの食材は、痘痕(あばた)であっても、しかと効くのか?」 と、皇后が首をかしげた。 「正直なところ、痘痕をすっかり元通りにするのは、いかに養生をもってしても、難しいところでございます」  ガタッ。  わたしの返事に、(シュ)妃が思わずといった感じで椅子から腰を浮かせた。気づいてまた座りなおしたけど、顔を隠した紗の布ごしに、絶望感が伝わってくるような…… 「まあ、やりようはあると思いますよ。痘痕(あばた)のひどいところに紅を差すとか、割と一般的な化粧法でしょう?」 「それじゃ、顔じゅう、真っ赤になっちゃうじゃない! ……あっ、その。ですぎたことを……」  思わずといった感じで(スウ)氏が叫び、すぐに縮こまる。  皇后が 「いちいち謝らずとも、よいわ」 と眉をひそめた。 「(われ)が、いじめているようではないか。そなたも、少しは元気が出てきたようで、なによりだがな」  「はい、申し訳ありません」 「だから、よいと言っておろうが…… 梓恩、他になにか方法はあるか?」 「そうですね…… あとは……」  いい方法…… なかなか、ねえ。  そもそも色素沈着って、前世でもレーザー治療くらいでしか対応できなかったような。 「効き目のほどは、さだかではありませんが…… 望みがあるとしたら、湯治、くらいでしょうか」 「「湯治!?」」  珠妃と嵩氏は、また同時に立ち上がったのだった。  ―― で、お茶会はそのままお開きになったわけだけど。  それから3日後の、昼食時。  (かつお)韭菜(にら)と生姜をたっぷりあわせたお粥を召し上がりつつ、巽龍君(皇太子殿下)がのたまった。 「おう! 梓恩、寧凛! 10日後に、黄老山に行くことになったぞ! 美味であるっ」 「へ?」 「どなたが、ですか?」  口ぐちに尋ねる、わたしと寧凛。  黄老山というと、この国有数の温泉地だ。  巽龍君は箸を置き、指を折って数えだした。 「雅雲()と私と梓恩と寧凛、それから、嵩氏と珠妃と、(ロウ)妃に(ヘキ)妃、あと、侍女たちが何人かと、護衛の中隊、であろうな!」 「大所帯ですね」 「うむ! 本来は、珠妃と嵩氏に湯治に行くよう、母君(皇后)が命じたからだが…… 黄老山は(ロウ)妃と(ヘキ)妃の地元ゆえ、ふたりも行くことになったのだ! 里帰りだな!」 「なるほど」  わたしがうなずき、寧凛が首をかしげた。 「……で、坊っちゃまは、どうして?」 「母君にお願いしたのだ! 名目は地方視察だが、本音は、雅雲()と、いっぱい遊ぶ!」  ほっこりしちゃう本音……! 「で、僕と梓恩さんも、同行させていただける、と……」 「当然であろう! 私は梓恩と寧凛の作ったごはんがいいのだ! 旅先でも、よろしく頼むぞ!」 「「はい、承りましてございます」」  拱手して頭をさげる、わたしと寧凛の声は、ぴったり重なって、はずんでいた。
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