7-3. 梓恩、湯治の養生を説く

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7-3. 梓恩、湯治の養生を説く

 青みを帯びた乳白色の、とろりとしたお湯 ―― 風が吹いてさざなみが立つと、まわりを囲む鮮やかな緑の枝を透かした日の光が、白い湯気の下で、ちらちらと踊る。天国だ……  かすかな硫黄の匂いが、懐かしい。 「湯治の要点(ポイント)は、長湯をしすぎないことです。さっとつかって、さっと出てくださいませ。つかりすぎると体力を奪い、気を散らしてしまうおそれがありますので」  わたしが解説すると、湯衣をまとった妃たちと皇子たちが、いっせいにうなずいた。(シュ)妃と(スウ)氏、めっちゃ真剣な顔してる。  ―― 黄老山の温泉は、(ロウ)妃によると、良質な美肌の湯。わたしたちはここで14日間、湯治をする。  珠妃と嵩妃の痘痕(あばた)、これで少しは薄くなるといいな。 「湯の底にたまっている泥は、温泉の成分を吸い込んでいますので、気になるところに塗るといいですよ。乾燥させたあと、ふたたび温泉で洗い流してくださ」  ばしゃっ。  言い終わらないうちに水音がした。  珠妃と(スウ)氏がさっそく、お湯に入ったのだ。必死の形相で底の泥をすくい、顔に塗りたくっている……   「よし! 私たちも入るぞ!」 「まってください、兄さま!」  巽龍君(皇太子殿下)が温泉にダイブを決め、雅雲君(弟殿下)がつられたように飛び込んだ。いや温泉は静かに入ろうね、お坊っちゃまがた (でもかわいい) 。 「こーやってー、外でお風呂に入るのって、はじめてー!」 「…… わるくは、ないの…… っぷ! なにをするのじゃ!」 「えー? だって、楽しいじゃん!」  (ロウ)妃が(ヘキ)妃にお湯をかけて、けらけら笑う。(ヘキ)妃も、口調ほどは怒ってないっぽいな…… 「ほーらーほらほら、ほーらー!」 「くっ…… もう許さぬ。水仙の術じゃ!」 「きゃあー きゃはははは」  調子にのって(ヘキ)妃にお湯をかけまくる(ロウ)妃。怒った(ヘキ)妃が、仙術で大量のお湯を頭からかける。(ロウ)妃、ずぶ濡れになって喜んでるな…… いや温泉は静かに入ろうね、妃さまがた (でもかわいい) 。  ―― で。あっというまに、お湯からでる頃合いになった。  わたしと寧凛(ネイリン) (じつはいた) は、みんなの履き物を揃えなおして声をかける。 「みなさま、そろそろ、お時間でございます」 「もうか? 私はもっと、入っていたいのだが!」  巽龍君(皇太子殿下)、めちゃくちゃ残念そうだ。 「よろしければ、ご就寝前にもういちど、お入りくださいませ。星空を眺めながらの温泉も、また格別でございます」  「うむ! そうしよう! 雅雲()、寝る前にまた、一緒に入るぞ!」 「はい、兄さま」  皇子さまがたから放たれる、目に見えないキラキラしたオーラ…… 星空の温泉、めっちゃ期待しておられるんだな。きてよかった。 「よし、雅雲! つぎは、六博(すごろく)をするぞ!」 「はい、兄さま!」  皇子さまがたが、ばしゃばしゃっ、と勢いよくお湯から出て、走っていく。そのあとを、麻布(あさぬの)を持って寧凛が追いかける。 「坊っちゃまがた! お身体をお拭きください!」 「心配するな! すぐ乾く!」 「いけませんっ!」  和むなあ……  続いて(ロウ)妃と(ヘキ)妃がお湯からあがった。 「あーん! 湯衣がはりついちゃうー!」 「なにをしておるのじゃ!」 「だってー! 気持ち悪いんだもーん!」  いきなり湯衣を脱ぎ捨てた琅妃に、ぎょっとした目を向ける(ヘキ)妃。この国では他人に肌をさらす風習はないからね。こういう場では、みな、湯衣を着るのが常識なのだ。  それにしても、(ロウ)妃。ぷりっぷりの、みごとな肢体(プロポーション)だな…… じゃなくて。 「(ロウ)妃さま、こちらの麻布でお隠しください」 「うんっ。ありがとー! あー気持ちいー!」 「まったく……」 「碧妃さまも、どうぞ」  碧妃にもタオル代わりの大きな麻布を渡し、まだ湯につかったままの(スウ)氏と(シュ)妃に声をかける。 「妃さまがた、お顔の泥はそのまま、いったんおあがりくださいませ」 「「…………」」  ふたりとも、泥パックをおとすまいと、必死に上を向いている。 「よろしければ、泥が落ちないよう、お顔に布をあてさせていただきますが」 「「…………」」  どうやらOKみたいだ。  わたしがふたりの顔にほっかむりをしてあげると、(スウ)氏と珠妃はやっと動きだしたのだった。 「温泉は熱が強いものですので、生活のなかで、体内を(へい)の状態に整えていく必要がございます。  具体的には大飲・大食をせず、熱性の食べ物をさけて…… 」  入浴のあとは休憩をはさみ、珠妃と嵩氏の泥パックをきれいに落として、昼食だ。  後宮のものより少しばかり、つつましい膳を前にした妃と皇子たちに、わたしは湯治の心得を引き続き解説していた。  ―― 平の状態、つまりはホメオスタシス。熱くもなく冷えてもいない、中間の状態がベストだというのが、中医学の考え方なのだ。  もっとも、さけるべき熱性の食べ物って、そんなにないんだけどね。わたしがすぐに思いつくの、乾姜(乾かした生姜)くらいだし。  食べ物のほとんどは、温か平か涼に属するし、水分が多く寒 (からだを強く冷やす) とされる食べ物も、火をとおせば平や温に近くなる。  つまりは、湯治の養生食で気をつけるべきは、どっちかといえば大飲・大食のほうってこと。 「―― そんなわけで、刺激の強い香辛料や湿(よぶんな水分)をためやすくする油は控えめにし、いろいろな食べ物を少量ずつ摂るのがオススメなのですよ」 「なるほど! それで、揚げ物がこれしかないのだな!」 「さようでございます、坊っちゃま(皇太子殿下)」  巽龍君が指さした皿の上にのっているのは、前世の日本ふうの天ぷらだ。ふふ、よくぞ気づいてくださいました。 「花の揚げ物とは珍しいぞ!」 「白鼓釘(しろたんぽぽ)茵陳蒿(かわらよもぎ)でございます。どちらも(ヘキ)より南の地で生育しているので、こちらの地方ならではの料理と申せましょう」 「…… (わらわ)は、食したことなどないがの」 「あたしもー!」  琅妃がさっそく、手でひとつつまんで、口に入れる。 「んーーー! ほろにがうまうまーーー!」 「茵陳蒿(かわらよもぎ)は不要な水を排除し、熱を抑えて炎症を鎮めるとされています。白鼓釘(しろたんぽぽ)脾胃(ひい)を助け 「美味であるっ!」  巽龍君(皇太子殿下)、天ぷらを頬張りながら、顔じゅうがニコニコしてる。 「少し苦いが、塩をつけると美味である! そうであろう、雅雲()?」 「はい、兄さま。サクサクしています!」  料理人、冥利につきます!  碧妃・琅妃の地元の食材をふんだんに使った昼食のあとの甜点(デザート)は、芒果(マンゴー)茘枝(ライチ)など、旬の南国の果物の盛り合わせ。 「んーーー! 久しぶりーーーー! 茘枝(ライチ)、大好きーーー!」  (ロウ)妃、喜んでるな。すごい勢いで果物が減っていく……  琅地方は、この国の最南端。食べ物も人の暮らしかたも、ずいぶん違う後宮に入ったのに、(ロウ)妃はいつもニコニコ明るい。 「ふむ、たしかに、久しぶりじゃの」  碧妃がおもむろに芒果(マンゴー)を口に運ぶ。その隣で、(シュ)妃がわたしにたずねた。    「茘枝(ライチ)って、たしか、美しさを保つ効果がありましたわよね?」 「はい。茘枝(ライチ)は気の巡りを整え、血を養い、肌と髪を美しくすると言われていますね」  答えたとたん、(シュ)妃と(スウ)氏の目の色が変わった。 「梓恩さん! ここにいるあいだは、毎日茘枝(ライチ)を出してほしいですわ」 「かしこまりました。少しずつ、お出ししましょう」 「ぜひ、お願いよ?」  念を押したのは(スウ)氏。あの痘瘡事件以来、嵩氏は、すっかり無口になっちゃってたけど…… いい傾向だな。また、元気になってくれるかもしれない。  昼食のあと、妃と皇子たちは散歩に出た。湯治養生の一環だ。  で、ここでもいちばん張りきったのは珠妃と嵩氏 ―― 宿の敷地内にある温泉の女神さまの(ほこら)で、お肌の完全回復を祈願するのだそう。時間かかりそうだな。  さて、わたしたち料理番の召し使いは、そのあいだに、昼食をとって休憩して、夕食の準備…… 後宮と比べると、かなり余裕のあるスケジュールだ。   妃と皇子たちが2回目の入浴をし、夕食と片付けが終わったあとは、またフリータイム。  寧凛とわたしも、交代で温泉に入ることになった。  ゆっくり温泉に入るの、前世以来だ…… すごく楽しみ。
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