7-4. 梓恩、茘枝の毒を解く

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7-4. 梓恩、茘枝の毒を解く

 くっきりとした天の川と、静かにまたたく無数の星。  コロコロコロコロ…… 草むらから聞こえる、かわいい虫の声。 「はあぁぁぁ…… 癒される……」  わたしは露天風呂のフチの岩に頭をもたせて、手足をのびのびと動かした。淡い青のにごり湯が灯を反射しながら、ゆらゆらと揺れる。  ―― 湯治の心得では 「さっと入ってさっと出る」 とか言ったけど。  涼しい夜風のなか、なんにも考えずに星を眺めて、ゆっくり入る温泉。めちゃ、幸せ…… 「梓恩(シオン)さんっ! 梓恩さんっ! 入浴中すみませんっ!」  不意に寧凛(ネイリン)の声が、近づいてきた。  やばっ……  わたし、いま素っ裸なんだけど!? 前世日本ふうに、湯衣を着ずに楽しんでいたのだ。  いそいで温泉からあがり、脱ぎ捨てていた湯衣をまとう。 「梓恩さんっ! すみません!」  間一髪。  湯衣の帯をなんとか結んだちょうどそのとき、寧凛が浴場の戸から飛び込んできた。 「入浴中にすみません、(ロウ)妃さまが!  急に、倒れてしまわれました!」 「すぐいきます!」  湯衣のまま、寧凛に続いて浴場を飛び出す。  宿の3階、渓流が見える(ロウ)妃の部屋 ―― 「九詩(琅妃)さまー! しっかりなさってくださいー!」 「大丈夫だ! もうすぐ梓恩がくる!」  取り乱す琅妃の侍女を、巽龍君(皇太子殿下)が励ましてる声が聞こえる。 「お待たせしました!」  部屋のなかに入ると、琅妃が(ベッド)に寝かされており、その周りをみんなが取り囲んでいた。雅雲君(弟殿下)だけいないが、もう寝ているんだろう。まだ5歳だから。  琅妃はぐったりしていた。  顔が血の気を失って黒ずんでる ―― ふだんの元気さが嘘みたいだ。  全身が小刻みに震えている。(ひたい)にうっすら浮いた汗を、(ヘキ)妃が落ち着いた仕草で拭う。 「少し前まで、山盛りの茘枝(ライチ)を食べておったんじゃが…… 急に、頭が痛いとか気分が悪いとか、言い出しての。どうしたのかと聞いておるうち、起き上がれなくなったのじゃ」 「茘枝(ライチ)を?」 「そうじゃ、数刻前に宿の者に持ってこさせての」 「一応は、とめましたわ。でも、ここにいる間にたっぷり食べておく、といって、きかなかったんですの」 と、珠妃。 「なるほど…… (ロウ)妃さま、お話できますか?」  膝をついてしゃがみ、耳元で話しかける ―― と、(ロウ)妃がうっすら目を開けた。だるそうに1回、首が横にふられる。よかった、まだ意識があるんだ。 「みなさま、甘いものを持っておられませんか?」 「龍髭糖(りゅうびんとう)でも、いいかしら?」  反応したのは、意外にも(スウ)氏。 『甘いものは食べないわ。太るから』 みたいなタイプだと思ってたのに、意外…… 「ここに、あるんですか?」 「雅雲のためにいつも侍女に持たせているの。特別に、あげてもいいわ」 「ぜひ、お願いします。(ロウ)妃さまのお口に入れてあげてください」 「いいけど、しっかり感謝しなさいよ? 馨玉(キョウギョク)!」 「かしこまりました。(ロウ)妃さま、龍髭糖でございます!」 「まことに、ありがとう存じます」  (スウ)氏の侍女、馨玉が琅妃の口に飴を押し込むのを確認して、わたしは勢いよく立ち上がった。  (ロウ)妃の症状は、おそらくは茘枝(ライチ)の食べ過ぎによる低血糖症…… 夕食のときに、食べ過ぎは毒になるからこれ以上は食べないよう、説明したはずなのにな。  茘枝(ライチ)の適量は、前世だとたしか、成人は1日あたり10コまでとされていたのだ。 「では、わたしは急ぎ、蜂蜜湯を作ってまいりますので…… ……? どうしました、みなさん?」  みんなの視線が、なぜかわたしに集まっている。しかも、めちゃくちゃ、びっくりされてる……?   わたしは、みんなが見てるものを探して、自分のからだに目を落とし…… そして、思わず、叫んだ。 「しまった!」 「梓恩、そなた!」  わたしの声に、巽龍君(皇太子殿下)の驚愕した声が重なった。 「そなた、膨らんでおるではないかっっっ!?」  ―― 寧凛に呼ばれて、あわてて着こんだ湯衣の胸もとは……  さっきしゃがんだとき (か、立ち上がったとき) の勢いで、すっかりはだけてしまっていたのだ。 「いえいえいえいえ! こんなの、妃さまがたと比べれば絶壁です! 全然!」  あわてて前をかきよせる。 「いまは(ロウ)妃さまが大変なときですから、気にしないでください! じゃ!」 「梓恩さん!」 「蜂蜜湯、つくってきますから!」 「梓恩さん、待ってください!」  部屋から逃げ出すわたしを、寧凛が追いかけてくる…… いや、ちゃんと蜂蜜湯は作ってきますよ。人命救助が優先ですから。  でもこれ、どうしようかな……  バレちゃいましたね。バレちゃいましたよ。いや前から、バレたときは義兄に助けてもらって全力で逃げようとは思ってましたが。  禁城のある鄲京(タンキョウ)から、前世の基準でざっと1千キロもある、ここ(黄老山)で逃げたら……  もう二度と、義兄に会えないだろうな。性別を偽って帝をたばかったかどで捕まる、って事態は避けられるかもしれないけど。  ―― 巽龍君(皇太子殿下)や寧凛、皇后や()妃や、桜実さん。端木将軍や()宦官、司牧の亜芹(アキン)…… みんな、わたしが嘘ついて、騙していたって…… 知ったら、どう思うんだろう…… 怒るかな。悲しむかな。  皇后はきっと肝にきて、指をまた強ばらせちゃうだろうし、()妃は悩んで脾胃(ひい)を弱らせちゃうかもしれない ――  いや、莉妃だけじゃなくて、わたしもいま、急速に胃に穴あきそうだけどな!  宿の厨房。  ぐちゃぐちゃした思考に引きずりこまれそうになりながらも、わたしは大さじ2杯ほどの蜂蜜を茶杯(ティーカップ)に入れてお湯をこぽっと注ぐ。  急な低血糖症にオススメなのはラムネ (消化吸収の良いブドウ糖) なんだけど、この世界にはないからね。同じくブドウ糖を含む蜂蜜を、胃に送り込みやすいように、湯で少し薄めるのだ。  蜂蜜をしっかり溶かしたら、飲ませるための茶匙(スプーン)をつけて……   はぁぁぁあ…… 正直いって、戻りたくないぃぃぃ…… でも、人命が優先。  気を取りなおして、蜂蜜湯を盆にのせたとき。 「梓恩さん、それ、僕が持っていきますよ」  背後で寧凛の声がした。 「寧凛さん……」 「(ロウ)妃さまに飲ませてさしあげれば、いいんでしょう?」 「あ、はい。そうですね……」 「じゃあ、僕がしますから、梓恩さんはもう部屋に戻ってください。それと、服」 「あ、ありがとうございます」  湯殿に忘れてきた宦官服の一式を、寧凛がほい、と渡してくれる。  寧凛、どういうつもりなんだろう。きっと泣きそうな顔で 「騙してたんですねっ、梓恩さんっ!」 とか、めちゃくちゃ言ってくるだろうと思ってたんだけど…… 「坊っちゃま(皇太子殿下)が、梓恩さんはもう休むようにと」 「はあ……」 「僕も賛成です。さすがの梓恩さんも、からだはともかく、精神的にも打撃を受けたでしょう?」 「はあ?」 「とにかく、僕は(ロウ)妃さまにこれ(蜂蜜湯)を差し上げてきますね」 「……あ、はい。お願いします」 「部屋に戻って、寝ててくださいね」 「……はい」  寧凛の後ろ姿を眺めながら、わたしはちょっと混乱していた。  ―― なんか、予想していたのと、違うんですけど!?
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