1-3. 梓恩、殿下の朝食をつくる

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1-3. 梓恩、殿下の朝食をつくる

「坊っぢゃま…… おはようございます。朝の鍛練ですか?」  「うむ! 今日こそは師匠に、参りましたと言わせるんだ! そっちは、新しい召し使いか?」 「はい。食事担当の者です」  「梓恩(シオン)と申します」  寧凛にあわせ、拱手して頭を下げると、少年は「うむ! しっかり働いてくれ!」 と笑った。  皇太子、(エイ)巽龍(ソンリュウ)―― くっきりした目鼻立ちに、やや濃いめのきれいに弧をえがく眉。赤い唇の近くにポツッと出たニキビが年齢(とし)相応な感じだ。そして笑うと両のほおにえくぼができて、偉そうな口調でも嫌みにならない。  こんなかわいい子を殺そうなんて…… 考えるのは人間じゃないね? 「私はもう少し鍛練をする! 温かい朝食、楽しみにしているぞ、梓恩!」 「はっ。精一杯、つとめさせていただきます」  わたしがより深く頭を下げると、皇太子は素振りをしながら 「では、あとでな」 と行ってしまった。  まだ子どもらしい背中。見送りつつ、思わずつぶやく。 「温かい朝食って……? まず、そこなの?」 「それはですね、東宮のいまの召し使いが、誰も料理できないからなんですよ」  ―― 寧凛の説明によると、皇太子は12歳になるこの春、それまで暮らしていた禁城の本殿から東宮に移ったそうだ。  しかし一緒に東宮に移った皇太子づきの宦官には、料理できる者がいなかった。  こうした場合、貴人の食をまかなうのは宮中に食を提供する尚食局の役割になるのだが…… 問題は、そこが東宮から離れすぎていることである。  尚食でつくった食事を東宮まで運ぶころには、いくら頑張っても料理が冷めてしまうのだ。  がまんできなくなった皇太子が温かい料理を切望した結果、料理ができる使用人を雇うことになったのだという。  ―― なるほど。  そこを暗殺依頼主につけいられて、わたしが潜りこむことになった、ってわけね。  依頼主が誰かというのは、おやっさんしか知らないんだけど…… きっと、内情に詳しい高官か妃なんだろうな。やだな。  けど。  真正の暗殺者じゃなくて、わたしが来た時点で皇太子は運が良かった。きっとそう。  寧凛が、情けなさそうに下を向く。 「私が料理できれば良かったんですが、生まれてこのかた包丁を握ったことがないんです……」 「大丈夫、おまかせください」  どうやら宮廷でのわたしの仕事は、考えていた以上に、食に片寄るようだ。  食といえば、養生の基本 ―― 前世で無駄に溜めこんでいた知識が、めっちゃ活かせそうな予感。  育ち盛りの皇太子に、いろんなものを食べさせてあげよう。莉宮の女官とも仲良くなれれば、作った料理を莉妃におすそわけする機会もあるかもしれない。  ―― うん。わくわくしてきたぞ。   厨房に入ると、わたしはさっそく、食材のチェックを始めた。 ※※※※ 「温かい……っ! 美味である!」 「おそれいります。こちらは薏苡仁(はとむぎ)と鶏肉、山芋のお粥で 「温かい……っ!」 「白ゴマと浅葱(あさつき)を上に散らし 「美味である! 温かい……っ! おかわり!」 「はい、どうぞ」 「うむ。温かい……っ!」  わたしの作った朝食に、皇太子は涙でそうなほど感激してくれた。感激の内容としては、味1割、温度9割ってところか。  料理の説明まで聞く余裕はないみたいだけど…… まあ、いっか。  よぶんなことを考えず、出されたものを美味しくいただく。これも養生ですよね、皇太子殿下!  用意したお粥は、あっというまに空っぽになった。さすが食べ盛りだ。 「ふう。温かかった……!」 「よろしゅうございました。温かい食べものは気血の(めぐ)りを良くしますので、養生の考えかたにも(かな)っております」 「養生……?」 「はい。養生とは、人が本来、天と父母より与えられた寿命を楽しく生ききるための、術なのでございます…… それはさておき、甜点(デザート)に季節の梨のはちみつ蒸しを用意しておりますが」 「えっ。これだけでもう甜…… 「食べりゅううっ!」  なにか言いかけた寧凛(ネイリン)(さえぎ)って、皇太子が叫んだ。  顔が期待でキラキラ輝いている。ああ、かわいい。めっちゃ癒される。 「―― 実に美味であった! 温かかった!」  とろりとした黄金色に輝く、梨の蒸し物 ―― 芯をくりぬき、なかに干しブドウと生姜とハチミツをつめてやわらかくなるまで蒸したおしゃれデザート。これも、すんなり完食。  皇太子殿下、好き嫌いはあまりないみたい ―― 作りがいがあるな。 「この調子で昼食もよろしく頼むぞ! 梓恩!」 「かしこまりました」  朝食が皇太子のお気に召したようで、まずはよかった……  だけど、納得いってなさそうなひとが、ひとり。  皇太子づきのエリート宦官、寧凛さんである。 「ちょっと、梓恩さん、お話が」  ―― きた。  昼食の仕込みを始めようとしたとき、寧凛が背後から話しかけてきた。深刻そうだ。 「どうされました?」  振り返れば目に飛び込む、絶世の美少女顔…… 本人は真剣なのに、ごめん眼福でしかなくて。 「失礼ですが、作業しながらでもかまいませんか、寧凛さん?」 「…… まあ、いいでしょう」 「で、なんでしょうか?」 「えーとですね、朝食ですが、あれでは皇太子殿下のお食事としては、貧しすぎるかと」 「そうですか? 殿下は満足されていたようですが」   「あれは温かかったからでしょう! これまでは皇太子殿下のご朝食は、前菜2種、(スープ)―― これは燕巣(アナツバメのす)かフカヒレ。そして肉や珍味をふんだんに使った主菜5種、それから主食と甜点(デザート)だったんですよ!?」 「それが犯人ですよ」 「…… は?」  眉間にシワを寄せる寧凛。  わたしは包丁を置き、ビシリ、と指をつきつけた。気分は前世の、頭脳は大人な小学生探偵だ。 「殿下の丘疹(ニキビ)の ――!」
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