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「お仕事の合間に、モエモエカフェで癒されませんか〜?」
営業で街を歩いている途中、ピンク色のミニスカメイドの格好をした、ツインテールの若い女の子に声をかけられた。
(できるなら僕だって、次の取引先なんか放っぽってメイド喫茶でモエモエしたいよ……)
心の中で呟き、差し出されたティッシュだけ受け取って先を急ぐ。
物価高の影響で原材料費も高騰し、各取引先へ直接出向き、値上げのお願いに回っている。次の取引先の社長は癖が強いことで有名で、社内でも直接話すのを敬遠する者が多い。最終的に、半ば押し付けられる形で自分が担当になった。
(今日は機嫌が良い日だといいな……)そう思いながら重い足取りで次の取引先へ向かっている途中、一枚の黒い羽根を拾った。
それは信号待ちの交差点。
ため息を吐いて下を向くと、自分の黒光りした革靴の側に、落ちているのを見つけた。
いつもなら、カラスの羽根だろうと思い、わざわざ手に取ることなどしない。
けれどもなぜかその羽根から目が離せない。
圧倒的存在感を持って羽根自体が「拾え」と訴えかけてきた。と言ったら、少々アレな人だと思われるだろうか。
光を全て飲み込むような真っ黒。
99.9%光を吸収するベンタブラックとはこのような色なのかもしれない。見つめていると吸い込まれそうな錯覚に陥る。
光も吸収するブラックホールは見ることも近づくこともできないけれど、それに近い黒を今手にしているんだと想像して、少しロマンチックな気分になった。
(全てを投げ出して宇宙へ行きたいな……)
一瞬そんな現実逃避の妄想をして、自嘲気味に笑った。
さて。
次の取引先へ向かおう。
と顔を上げると、どうも周囲の様子がおかしい。
まだ昼前だが、薄暗い。空の色がオレンジから紺色へのグラデーションに変わっている。
そして、周囲に誰もいなくなった。
ほんの今まで人が行き交う雑踏の中にいたはずなのに……。
しかも更に困ったことに、景色はさっきまでと変わっていないのにも関わらず、ここが何処なのか認識できない。
突然ボケてしまったのだろうか?
自分の身に何が起こったのかさっぱりわからないまま、とりあえず誰かいないか探しに歩き出した。
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