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いくつかな?と訊ねたクエルに奴は三と指を上げたという。初めて出会ったその日に、アイツは言葉だけは理解していた。訳の分からない言葉とつたない返事、首を振り、体で何をしたいか訴えることしかできなかった奴。
でも調べるとどうもまだ二歳になっていないと枢機卿様はおしゃられていたそうだ。
初めて出会った時のことは覚えてない。アイツは俺のことを“とにかくかわいくてさー”、とよく言うが。俺にとっての印象は、文字がかけるか、言葉もままならないのに一生懸命に聞くアイツにせがまれ。食糧庫の中にある物に名前を付ける羽目になった日の事があんまりにも印象的で、いまだに鮮明に覚えている。
ゴンゴンゴンと突き上げるような音がした、時間だ。昔はこの音がしたら鐘を鳴らしたと聞く。外にはきれいな音が鳴りだした。
アイツが文字をかけるまでという約束で書き始めた奴の物語。(いや日記といっていたな?)を書かされた。が、結局、長老は俺のためにも分厚い紙の束を買ってくれ、いまだにつけている。今出てくるとき、読み返していた所だった。
幼くつたない文字、なにを書いているのかわからない謎の文字や絵は、まだ字の書けないアイツが書き込んだもの、最初に書いた文字は、なぜか俺の名前だった。
日記の中身は俺だけじゃなく、兄たちやおやじ、それとボブの文字もある。
アイツがこの世へ生まれた時のことは、一番上の兄しか知らなかったが、前のインクが消えかかり、新しく書き写した。
アイツが作り出した新しいインクは、この先何百年と消えることなく残るそうだ。
アイツは兄の書いたものを見ては、物思いにふけるときがあったが、そんなとき俺たちは黙って見守ってきた。
そんなアイツが、これを書き直して、大事な家族がいる家に残してほしいといったのは今から4年、いや、もう五年前の事だった。
じゃあ、これは俺の物でいいんだな、というとキラキラした笑顔で「ニーニの好きにしていいよ」といった。
目の前がにじんで、目を閉じたらポロポロと涙が出る。俺が書いたもんだからなというと。
わかってる、これは僕とニーニの物語だからとアイツも目に涙を浮かべた。
その後は抱き合って言葉にならなかった。
アイツは王都へ住むことを決めた。でもそれは内緒に進んでいたんだけど、案外すぐに物資を運ぶ役目を俺が買って出た。数か月に一度だけど、アイツに会えるのは楽しかった。
王様が変わるとアイツは、隣の大帝国へ行くと言い残し、消息を絶った。長老だけはそのことを知っていて隠していた。俺たちは怒ったね、でも生きていてくれた。
あれから三年……。手紙はもらっていた、アイツからは元気にしていますかという言葉だけで、帰りたいとかみんなに会いたいという言葉はなくて、母ちゃんは薄情だとよく言っていたな。
風がビューっと音を立てると、あちこちの穴からいろんな音が鳴りだした。
ビュー。
ポー。
ブー。
ピュー。
ボー。
奴はここへ来ると音楽を聴いているみたいで楽しいといっていた。
確かに、楽しい。
足が止まった。
三年。
長かったな。
身を乗り出すようにして外を眺めている、アイツが…… いた。
『もうこの景色も見れないかもなぁ』
「そんなこと言うな、絶対帰って来い、俺はずっと待ってる、待ってるからな!」
にっこりと笑った幼いアイツが戦いに駆り出されていったと知ったのは、消息を絶ったことも知らず、ジャーマンから戻ってきた兵士たちに聞いたことだ。その時はショックで、アイツが死んだと聞かされたからだったな。
「アルリアをぶっ潰す!」と言っていたアイツは、大好きなこの町から、誰一人戦いに出す必要はないと、一人で出て行った。
幼いから大人に頼らなきゃいけないと、叔父や大人たちに頭を下げていたアイツの姿が忘れられない。
戦いは勝った。
だが大勢の人が死に、アイツも死んだと聞かされた時は耳を疑った。
生きていると知ったのはその数か月後の事だった。
その時の喜びようはなかった。
そしてさっき、やっと帰ってきたと、教会へ向かったと連絡をもらい、家を飛び出したんだ。
やっと、やっと、会える!
そして今。
俺の前にアイツがいる。
伸びた黒髪が風に乗り、さらさら揺れていた。背も伸びた、横顔もどこか違うような気がする。身を乗り出すようにして外を眺めている。
俺の弟。
姿かたちは違っても俺の弟だ。
声が、出ない。
「・・・チー」
振り向いたやつの顔が、出会ったころの幼い姿へと変わっていく。
「ニーニ、遅いよー!」
伸ばした腕、駆け出す奴をしっかり抱きしめた。
「お帰り!お帰り、チー!」
「ただいま!ニーニ!ただいま!ただいま!」
それ以上声は出ず、ただ、三年で俺と同じぐらいまで伸びた体をずっと抱きしめていた。
走る音とハアハアという息ずかいが近づいてくる。
この場所は俺たちだけの秘密基地。
ここへはほとんど誰も来ないはず。
「チサ!」
「チー!」
その声に身体が離れた。
「生きてたよー」
「バカヤロー!」
ピエールとミハエルが飛びついてきた。
幼馴染四人で抱き合った。
「うわー、みんな大きくなった―!」
ピエールとミハエルは、チサが帰ってくるまでここにおいてほしいと頼み込んだんだ。もうどこへも行くなといいながら。俺たちは再会に涙しながら肩をたたき体をさすりまた抱き合った。
そんな俺たちの再会に横やりを入れる様な甲高い声が響いた。
「チサ様ー!!」
女の人の声?
「あ、やべ」といって身をかがめた、見えるはずなんかないのに隠れてしまうのはなぜだろうと笑っている。「見つかるとやばいんだよ」やばい?
「チーサー!どこー!」
まただが違う声だ。
「なんであなた方がここにいらっしゃるんですの?」
「あら貴女こそ、フン、関係ないでしょ、チサ―!」
また違う声だが聞いたことのある声?
「そうだ、俺頼まれて探しに来たんだ」
「俺も、ここじゃないかと思って」
あっちへ行こうと、俺たちは来た道を戻り、天井の低い穴を通り抜けた、俺たち四人だけの秘密基地。
寒さよけに作った場所、ここにはストーブもあるし毛布よりもあったかい毛皮もあるんだ。ラムネの空き瓶、きな粉棒のあたりの串、ゴミ?そんなんじゃない、俺たち四人、それぞれの宝物、いろんなものが置いてあるんだ。
懐かしそうに見るチサ。
「時の部屋か、懐かしい」
「今じゃ下からたたく音は声に変っちゃったけどな」
「何で下からは聞こえるのに、ここで話す声は下に聞こえないのか不思議だったけどな」
「いや、いや、ありえないし、聞こえたらそりゃ今頃ここにいないって」それに笑いがこみ上げ、みんなが笑いだした。
すると。
『チーいる―?』
「やバー、聞こえた?」
まさかという。時の部屋は時間を教えるため、下の壁をたたくと、振動が伝わってここで音が聞こえる、それから金を鳴らしていたんだ。
「もう、ゆっくりしたいのにー!」
チサが地団太を踏み、俺たちもいろんなこと聞きたいんだというのだが、チーを呼んでいる女の声が増えているような気が…?
「ヤッベー!チビたちだ」
そう言われると、兄ちゃんという声が聞こえる。やばい逃げる、ピエール、ミハエル、また後で、あいつらしつこくて、軽くあしらっておいてくれ、頼む。ニーニ、逃げよう。
「逃げるって、お、おい!」
「チー何処から逃げるんだよ!」
また穴を通って同じ場所に出ると反対側のほうへと回った。そっちに出たら見つかる!
チサは、ひょいと、少し大きな枠のように開いた場所に上って手を差し出した。
俺はその手を掴んだ。
腕を伸ばすと引っ張られた、その力に驚いた。隣に並んだ。
「これ持って」
差し出したのはたこ焼きと書かれた入れ物。まだ、アツ、アツジャン。
ニーッと笑い、帰ってからゆっくり食べようという。
「じゃな!二人ともあと頼む!後でゆっくりとな」
おー、うわー!
身体が落ちていく、必死でたこ焼きを持つ。
「「チー、ジャル!」」
上から覗き込む二人が小さくなる。
体がふっと軽くなった。
足元には、生まれ育った街並みが見える。
上を見上げた。
「落とすなよ」
「落とすかよ」
あ、あれ、チー、羽が?
「ああ、枢機卿様そっくりになっちゃった」
真っ黒だった羽が白くなっている。
「色だけな」
「いいだろ、出すの自由自在、行くぞ!」
「わースピード出すなー!」
黒い羽根が、真っ白になっていた。それほどつらく大変だったのだろう。
また眠りについたと聞いている、でも今度は、長い長い眠りだったそうだ。
話は帰ってから聞こう。
いっぱい話したいことがあるし、チーの話も聞かなきゃ。
眼下に広がる街を見ながら、懐かしい家に帰ろう。
そしてできたものを見せなきゃ。
悪いけど、書き直して、ちゃんとした本にした。長老がこれをずっと残してほしいと俺に言ったからだ。またいつ、災害が起きて食べ物が無くなっても、この本がきっと役に立つ、俺たちの子供や孫が困らないために残してくれと言った。
出来た物は、俺だけじゃなくて、兄ちゃんたち、ピエールたちにも手伝ってもらったことを話さなきゃ。
「何か言った?」
「ああ、いっぱい話したいよ」
「俺も!」
教会からきれいな音が鳴り始めた。
「お昼だ!」
さあ、きみと出会ってからの僕たちの物語を、ゆっくりと思い出そう。
そして、これからの話をいっぱい、いっぱいしよう。
俺は君との物語をこれからもしっかり書き留めていくから……。
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