ブラックボックス

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ブラックボックス

 高校時代のある友人が、大学で映画制作を行っている。という話は聞いていた。  そいつは頭の良い奴なのに、なんで俺らみたいなのと遊んでるんだろう、と思うような男だった。めちゃくちゃ仲が良かった、というわけでもなかったが、どこかに遊びに行く提案をするのは大抵そいつか、安達くらいだった。  そいつの映画制作についても、教えてくれたのは安達だった。卒業後に俺はそいつと直接関わることはなく、SNSで制作過程を紹介する投稿を、安達が共有してくれたために知っていた程度だ。  その友人が、大学で映画の上映会を行うとのことで、安達が招待されたらしい。  その安達が、俺もついでに呼んでしまおうと考えてくれたことで、俺も招待される運びとなった。  それにしても、外部の人間まで呼んで上映会をするなんて、相当すごいことなのではないだろうか。つり革を握りながら、隣で熱心にスマホを見ていた安達が、考えを読み取ったようにその画面を見せてくれる。 「すげえ、最優秀賞だって。あいつやるなぁ。めちゃくちゃ楽しみになってきた!」  どうやらそういうアマチュアの大会で、賞を取るほど優秀な作品らしい。  映画のタイトルは『ブラックボックス』。ひょっとして頭を使うミステリーものではないか、と一瞬疑ったが、どうやら妹をいじめから必死に守る兄の話だという。 「まぁ確かに、いじめって当事者以外からは見えづらいから、言われてみればブラックボックスかもなぁ」 「なるほどねぇ?俺、なんかホラーっぽい話になんのかと思ってた」 「なんで?」 「だって黒い箱だろ?箱って言えばなんか怪しいもんが入ってるイメージだし、黒かったらそりゃ、ヤバいもんが入ってそうじゃん」  おそらくは彼の好きな、オカルト話に準じた箱を想像しているのだろう。適当に返事をして、俺はまた窓の外を見た。その後は特に会話が弾むこともなく、目的地の最寄り駅で俺たちは降りる。駅で待ち構えていたらしい件の友人と合流して、俺たちは大学の会場へとしばらく歩いた。 「そういや、黒岩って妹いたよな?」 「うん、いたよ。2個下の妹が」 「あー、だからこんな映画思いつくんだ?もしかして、実体験とか入ってたりするわけ?」 「おい、……バカ!」  思い出したように口走った安達のデリカシーのない言葉に、俺は思わず背中を叩く。  仮に実話に基づいた話だとすれば「妹がいじめにあったおかげで、大作が作れたんだね」と称賛するようなものだ。ぎょっとした顔で安達を叱る俺をよそに、黒岩はなんてことないようにへらっと笑う。 「まぁ、少しはね?映画だからそりゃあ、多少は盛って作ってはいるけど」 「……へえ?」 「だから、映画を見ても俺をヒーローみたいな奴と思わないでくれよな。本当は、大した奴なんかじゃねえんだから」  謙遜するなって、と安達は笑う。それに対し照れくさそうに笑う黒岩が、自分の妹についてどんな風に映画を作るのか興味が湧いた。というのも、高校時代の彼は妹の話を一切したことがなかったからだ。俺たちと楽しく遊んでいた裏で、どんな苦労を抱えていたのだろう。安達はもしかしたら、こっそりと話を聞いていたのかもしれないが。  あまりおおっぴらに語らなかったのは、歯を食いしばって戦っていたからなのか。それとも、話せるほどの余裕がなかったか、俺では頼りなかったのか。そういえば、黒岩を助けてくれた仲間はいたんだろうか。考えているうちに会場にたどり着いたので、黒岩と別れて俺たちは席に着く。 「なんか、意外だったんだよなぁ」 「何が?」 「黒岩が妹の話するって。高校のとき、全然聞いたことなかったからさぁ」 「……そうだな」 「あ、やっぱり?」  安達もやはり、黒岩の妹について詳しくは知らないらしかった。  そう言えば、黒岩から聞かずにどうして彼の妹を知ったんだったっけ。安達に聞こうとして、場内が暗くなったためにそれを諦める。映像を目で追いながら、なんとなく頭の隅で俺は、彼の妹の記憶を探した。だがスクリーンの中で、あんな風に兄にすがりついて泣く少女の記憶は、俺にはない。 “もう嫌だ……消えて、なくなりたい”  妹の悲痛な声が、会場に響く。  内容としてはありきたりないじめの話……と思っていたのだが、描写があまりに生々しい。いじめられる側の視点になる度、ギラギラした目でこちらを攻撃しようと迫るクラスメイトがあちこちから飛び出して、まるでゾンビ映画さながらだ。大人の目がなくなった途端、周りのこちらを見る目の色が変わるのが怖い。パニックホラーと異なるのが、ひとたび噛まれれば終わりとはならず、何度も地獄を繰り返さなければならないところだろうか。  画面の外から、何かが投げつけられる。視界が大きく揺れたかと思えば、何かの衝撃で床がとんでもなく近くなる。ピントが合わなくなって視界が歪むのは、彼女の涙のせいかもしれない。天井だけが移り暗転する瞬間など、画面に映っていないからこそ、とんでもないことが起こっているのではとこちらの想像力が何度も試された。  表現があんまりなものだから、時折観客席からひっ、と悲鳴のような声すら聞こえた。トイレに閉じ込められ雑菌扱いされたり、挙げていけばキリのない、姑息で醜悪ないじめの数々。全く関係のない部外者の僕ですら、目を背けたくなるような地獄の中で、ついに不登校になった妹に兄が気づき、そこから徐々に救い出していく。 「……?」  序盤の描写が、緻密で衝撃も強すぎたせいだろうか。  肝心の救われる部分はなんとなく、リアリティがないように感じられてしまった。俺自身もいじめから人を救った経験はないが、なんとなく浅い気がしてしまう。実際に地獄に向き合っているときは、無我夢中で必死だったとか、そういうせいなんだろうか。  実際のところはわからないが、とにかくあのおぞましいいじめから彼女が救われたのなら、本当によかった。多少盛っている、とは言っていたが、それでもこんな事件が解決するまで戦い続けるのは、相当に勇気の要ったことだろうに。  圧倒されているうちに、映画はエンディングを迎える。  スタッフロールまで丁寧に流れ、監督や演出など様々な役割に黒岩の名前が流れていく。それを見送る人はあまり多くなく、映像も途中ながら席を立つ人が増え、緩やかに明かりが灯された。 “お前って本当に馬鹿だよなぁ。誰が助けてくれると思ったのぉ?”  普段は饒舌なくせに、感想も出なくなっている安達と顔を見合わせ、まだ立ち上がる気にはなれなかった時だった。スタッフロールの後ろで、醜悪な笑い声が聞こえた。映画の演技よりもっと汚らしい、下品な笑い声。あの子をせせら笑い、口々に罵るその声は、序盤の地獄を耳から脳へ直接響かせた。 「うわ、やば……」  本心から出た安達の言葉に同意する。後ろから俺たちの肩を叩いて驚かせた黒岩に、改めて感想を伝えるべく、俺たちは食堂へと向かった。 「いやまじですごかった!最初のいじめのシーンとか、俺自分がマジでいじめに遭ってんじゃんねえかってくらいリアルでさぁ……」 「そう言ってもらえると、呼んだ甲斐があるよ」  カツ丼を食らう割り箸でピッと指さしながら、興奮冷めやらぬ安達の口から感想と米粒が止まらない。彼が絶賛する度に、名監督は嬉しそうに笑ってコーヒーを飲んだ。俺はと言えば、その静かな黒岩の笑い方に、ひっかかりを覚えていた。 「ヤバいと言えば、最後の声!あれも演出としてエグくない?」 「折角使えるものがあったからね」 「……?何かの演出で使う予定だったとか?」 「いいや?妹が持ってたんだ。いじめの証拠として、録音してたみたいだね」 「へえぇ、賢い……あれ、でも映画の中でそんなの使うシーンはなかったよな」 「うん。尺の都合でね」 「つまり、本当にいじめていた奴らの声を、それを妹が録音していたのを、使ったってことか?」  そうそう、と黒岩が笑う。その笑い方に、俺は背中がヒヤリと冷える心地がした。必死になって助けた妹を苦しめた奴らの笑い声を、そんな嬉しそうに使えたり、話したりできるものなのだろうか。  そんなわけないだろう、と芽生えた違和感に言い聞かせながら、俺は話を続ける。 「でも、本当に最後は感動した!妹さんが助かって本当によかったよ!」 「それは、俺も同意だな。……そういや、妹さんは今何やってんの?大学生?」 「ん?そうだな……遠いところにいるよ」 「……遠いところって?」  俺が内心、どんな気持ちでこんな質問をしているのか、見透かしているかのように黒岩は目を細めて俺を見る。人を試すような、こんな、おちょくるような目をするような奴だったか?少なくとも映画の中の彼はとても良い兄で、高校時代は……どうだったっけ。 「あっは、何考えてんだよ。あいつは今、海外の大学に留学してるってだけ」 「あ、そっ、そうだよな。驚かせんなよ」 「へー!賢い子なんだな!どこの大学?」 「……どこだったかな?なんとかって賢い大学らしいんだけど、俺あんまり詳しくなくて」  安達の裏表のない質問に、黒岩はなんてことないように答えていく。だがそれにすら、俺は違和感しか汲み取れなかった。あんなに大切な妹の、進路が心配になったりしないものか?そんな考えを払拭したくて、俺は目の前のカレーをさっさと胃の中に運び込む。  結局、俺たち三人の会話で妹さんの現状がわかるはずもなく、その場はなんとなく解散の流れになった。また遊ぼう!と元気な安達に、俺はそうだなあと返すしかない。帰りの電車の中でも安達は映画を絶賛しており、とてもじゃないが、あんな推測を話せる状態でもなかった。安達と別れたあと、俺は黒岩は映画の宣伝していた、SNSの投稿を見てみる。  映画の宣伝以前は、制作途中の映像の一部だったり、一緒に作成しているメンバーとの写真など、楽しそうなもの様子が投稿されていた。映画の作成にとりかかる前は、映画作成についての勉強の様子だったり、やっぱり仲間と楽しそうにしているものばかりだ。そこに、俺のほしい情報は載っていない。さらにさらに遡れば、高校時代の黒岩の日常が投稿されているのも見つかった。たぶん、俺たちと遊んだ帰りとかのもの。そこまで遡って、俺は見るのを止める。 「これ以上は、調べてもどうしようもないことだよな」  俺のくだらない勘ぐりは、ここまでだった。もしかしたら消してしまっただけかもしれないのだが、黒岩のSNSに、妹の話は一度も出てこなかった。
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