走るメロスのアリバイ

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走るメロスのアリバイ

セリヌンティウス(1)  メロスは激怒したらしい。  必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意したらしい。  君主ディオニスの王城がそびえる市、シラクス。  村の牧人であるメロスは、村から十里の道を隔てた場所にあるこの市に、実に二年ぶりに足を踏み入れた。  メロスの唯一の肉親である妹は近々、村の或る律儀な一牧人を花婿に迎えることになっている。  そんな彼女の結婚式のために、メロスは花嫁の衣装やら祝宴のご馳走やらを買いに来たのだ。  そして用を終えると、都の大路をぶらぶら歩いた。そこで、かの暴君の噂を聞いたのである。  市の噂によれば、暴君は疑心暗鬼になっていて、自らの親族、市民を毎日のように殺しているという。  メロスは政治に関して無知だったが、邪悪に関しては人一倍敏感だった。だから彼はその話を知ると、すぐさまお気に入りの短剣を携えて、王城に殴りこんだ。  他でもない、暴君ディオニスを暗殺するためである。  しかし、子供のころから親譲りの無鉄砲であったメロスの見切り発車はあえなく失敗、すぐに巡邏に捕らえられ、暴君本人から処刑を命じられた。  一方で、最愛の妹の結婚式を控えているメロスは、この期に及んで「用事を終えていないので、三日ほど猶予が欲しい」などと懇願した。  無論、そんな無理な願いが、あのディオニスに受け入れられるはずがない。  しかし、処刑される前にどうしても妹の花嫁姿をこの目で見ておきたかったメロスは、あろうことか、シラクスに住む竹馬の友、この私、セリヌンティウスを人質として差し出したのだ。  とばっちりもいいところである。  なぜ全く関係のない、善良な石工である私が、メロスの代わりに命を差し出さなければいけないのか。  まあ、メロスが約束通り三日以内に戻ってくれば、私は死なずにすむ。メロスは処刑されるけど。  メロスは意志が固い。  今までに私との約束を反故にしたことは、一度もなかった。その過去の実績を信じて、私は彼の人質になることを承諾した。  三日後には、この王城でどちらかが死体となる。  その死体は、約束が守られればメロスのもの。  約束が守られなければ、私セリヌンティウスのものになる。  そのどちらかだ。  しかし、事態は誰も予想できない方向へと急カーブした。  三日後の朝、死体となって発見されたのは、かの邪知暴虐の王、ディオニスだったのだ。      *  その朝、私は地上の騒ぎで目を覚ました。  あの日以降、私は王城の地下にある檻の中に囚われていた。  厩のように敷き詰められた藁から上半身を起こすと、格子の隙間から外を見渡す。  兵士が数人、顔を真っ青に染めてこちらに近づいてきた。  「いったい、何が起こったのです?」  私は格子を握って兵士に訊いた。  すると兵士は、鍵で檻を開錠すると、私の両腕に縄を巻き付け、抵抗できないようにしてから外に連れ出した。  階段を上がり連れてこられたのは、装飾品にまみれた、豪華な部屋だった。  奥の椅子に堂々と腰を下ろしているのは、ディオニスの弟レオニダスだ。  「レオニダス様、連れてきました」  「こいつが、セリヌンティウスか……」  レオニダスは、目の前で跪かされた私を舐めまわすように眺めた。  「あの、いったい——」  「兄が死んだのだよ」  レオニダスは、低い声で言った。  「……え?」  彼の兄、ということは、国を統べる王、ディオニスのことに他ならない。  その男が、死んだのか。しかし、なぜこのタイミングで?  「王室で寝ていたところを、何者かに殺されたらしい」  レオニダスは言葉を区切ると、彼の隣に立つ兵士の一人に、めくばせをした。兵士は、ある光るものを、私の前に放り投げた。  それは、先が鋭くとがった短剣。しかも、べったりと新鮮な血が付いている。  「これが、凶器なんですね」  「その短剣、見覚えがないか?」  「え?」私は目を凝らして、その凶器を観察した。すると、柄のところに見覚えのある名前が彫られていることに気づいた。「メロス……まさか」  「メロスという名前を持つ者の中で、兄を殺す動機を持っている奴は一人しかいない。お前の親友だ」  確かに、と、私は妙に納得していた。  今日、メロスか私が処刑されることは決まっていた。メロスが死ななければ私が死ぬ。私が死ななければ、メロスが死ぬことになる、と。  そして、その二択から逃れることはできない、と私は確信していた。  しかし、もう一つの選択肢が、実はメロスの中にはあったのだとすれば。  全ての発端であるディオニスの存在を消す、という三つ目の選択肢が、メロスの中にあったのだとすれば、辻褄が合うのだ。  「私の友がやったことだとすれば、何とお詫びしたらいいか——」  「メロスを捕らえるまで、お前は王城にいろ。お前には証人になってもらう」      
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