走るメロスのアリバイ

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セリヌンティウス(2)  さらに事態が急変したのは、あくる日の朝のことだった。  特別に与えられた客室で読書をしていた私は、再び兵士に連れ出され、レオニダスのもとへといざなわれた。今度は縄で縛られることもなく、ふかふかの椅子に座らされた。  「どうやら、犯人はメロスではないようなんだ」  ディオニスは顎を撫でながら、そう言った。  「そうですか。なぜ、それがわかったのです?」  「メロスはどうやら兄が殺される前夜、夜遅くまで妹の結婚式に出席していた」  「はあ」  ついに、念願の妹の花嫁姿が見られたわけか。  「そして、メロスはそのまま羊小屋で眠りについた。メロスはそこでようやく、一人になった」  「犯行のチャンスを手に入れたわけですか」  「しかし、メロスが兄を殺すことは、時間的に不可能なのだ」  「というと?」  「お前は知っているだろうが、メロスの村からここ、シラクスまでは、十里ほども離れている。一往復するころには、太陽が地球を一周しているだろう」  「なるほど」  「しかしメロスは、昨日の朝、日が昇るころには起床して、村人の前に姿を現していたらしいのだ。メロスが兄を殺したのなら、この一晩で村とシラクスの間を一往復したことになる。しかしその所業は、明らかに不可能なのだ」  「つまり、メロスにはアリバイがあると?」  「そういうことだ」  確かに、レオニダスの言う通り、シラクスとメロスの住む村は、十里ほどの綺麗な一本道で結ばれている。しかも途中には、激流の流れる川や険しい峠がそびえている。  その間をアリバイのない一晩で往復することは、ものすごい天変地異が起こらない限りあり得ないことなのだ。   「しかし、レオニダス様、そのアリバイは確かなのですか?」   「ああ、あちらに遣わした兵士によれば、一昨日偶然通りかかった村人も、宴を楽しんでいるメロスを目撃している」  親友の命をささげておいて、あの男は宴を楽しんでいたのか。  私は姿勢を変える。  「なるほど。しかし、凶器であるという短剣の問題はどうなるのです? あれは間違いなく、メロスのものですよ」  「ああ、だから、我々は、と判断した」    「……は?」  「何者かが、兄を殺した。現場にはメロスの短剣、しかしメロスには完璧なアリバイがある。ならば、メロスをよく知っている人物が兄を殺して、その罪をメロスに被せたとしか考えられない。それに該当するちょうどいい人物が、王城にはいたな。お前だよ、セリヌンティウス」  あまりの暴論に、開いた口が塞がらない。  「し、しかし、私にも、鍵のかかった檻の中にいたという、確固たるアリバイがあります。私にも犯行は不可能です」  「それは、何とかして鍵を開けたんだろう。お前は石工だから、手先は器用なはずだ」  「ここの檻は、この私めが容易に出られる程の錠なのですか」  「そうだ」  「そうなの⁉」  「そう考えるしかないだろう。ということで、磔だ」レオニダスはあっさりと宣った。「お前ら、こいつを刑場に運べ」   兵士が機械仕掛けのように私に向かってくる。  「ちょっと待ってください!」私は兵士を手で制した。「三日間だけ、私に猶予をください。さすれば、この私が自らの潔白を証明し、事件を解決して見せます」  「ほう……? それを信用するに足る根拠がない」  「私には、フィロストラトスという弟子がおります。彼を人質として差し出しましょう。私が姿を晦ましたなら、彼を殺してかまいません」      *  フィロストラトスを説得して、半ば強引に人質として王城に差し出すと、一時的に自由の身になった私は、早速メロスたちの住む村へと急いだ。  村は、メロスの住処であると同時に、私の故郷でもあった。実に五年ぶりの帰郷を、まさかこんな形で迎えることになるとは夢にも思わなかった。  子供のころ親から聞いた話によれば、かつてこの村は、シラクスのすぐ隣にあったという。  ある日、王の悪政に反感を抱いた村人たちは、王城へ反乱を起こした。  王側はすぐに事態を鎮静化させ、反乱にかかわった村人を一人残らず処刑した。一方で残された女性や子供は、これ以上王城に近づかせないよう、十里ほども離れた僻地へと追いやったのだ。  それが今のメロスの住処であり、私の故郷である。 「急がなければ」  五里ほどを走り、目の前を横切る川に出くわした。  そこで一度足を止めると、私の視界に姿勢のいい老女が入ってきた。  「あのー、そこに誰かいらっしゃいますか」  老女は私に向かって歩いてくる。どうやら、盲目らしかった。  「どうかされましたか?」  「シラクス市へ行きたいのですが、道に迷ってしまったのです」  「ああ、シラクスなら、この道をまっすぐ進めば着きますよ」  経路が一本道のため、簡単に説明できた。  「そうですか、ありがとうございます」  老女は柔和な笑みを見せて、私の背後へ歩いていった。  彼女の行く末が少し心配だが、そんなことを気にしている暇はない。私は再び走り出した。  道中で旅人の金を強請る山賊たちに絡まれることもなく、無傷で私は村にたどり着いた。  しかしながら、あたりはすでに闇夜に包まれていて、今日のところは近場の宿で一泊することにした。
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