走るメロスのアリバイ

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メロス(2)    メロスは、妹の声で目を覚ました。   「お兄様、あなたに客人が来ていますよ」  「客人……? ……誰」  「セリヌンティウス様です。お兄様の竹馬の友ですよ」  「竹馬の友……? なんだっけ、それ……。え、セリヌンティウス⁉」  メロスは微睡みから一気に覚醒すると、体を起こし、妹に挨拶をして、玄関に駆けた。  玄関に立っていたのは、五日ぶりに会う旧友だった。  「久しぶり、というほどでもないな」セリヌンティウスは、疲れた顔を少し歪ませた。「少し用があって、来ることになった」  「今回の件は、本当にすまなかった。オレのせいでお前の命を危険にさらすことになった」メロスは、すぐに話題を変えた。「聞いたぞ。王が殺されたんだって? 大変だったな」  「おかげで、私もお前も、処刑を免れた。だが、私は別の理由で処刑されることになりそうだよ」  「え?」メロスは驚いた。「なんで?」  「それも含めて、外で説明させてくれ」  メロスは、セリヌンティウスに連れられて裏手の森まで歩いている間、頭が真っ白になっていた。  自分は、ディオニスを殺して自分と親友の命を救ったはずなのに。なぜ、彼は再び処刑されそうになっているのだ。  まさか、これも自分のせいか?  裏手の森に着くと、セリヌンティウスはため息交じりに、今までの経緯を語り始めた。  「……なるほどな。それで、お前に容疑がかけられているわけだ」  「初めに言っておくと、私はメロスがディオニスを殺したとは思いたくない。完璧なアリバイも持っているのだろう?」  「そうだね」  一昨日、メロスを睨みながら王の死を報告してきた兵士にも伝えたとおり、メロスはディオニスが殺された前夜、妹の結婚式を忘我の境で楽しんでいた。  宴が終わってから、わずか一晩で十里を往復するのは、どう考えても不可能なわけだ。  「なら、説明してもらおうか。なぜ現場に、お前の短剣が落ちていたのか」  セリヌンティウスは、メロスに挑戦的な視線を投げかけながら、そう訊いた。  現場に短剣を忘れてしまったのは、王城を出てすぐに気づいた。しかし、戻るのもリスクが高い気がして引き返さなかった。  それに、現場に自分の短剣があることによって、面白い状況に引き込めることに気づいたのも事実である。  「確かに、一昨日の朝からオレの短剣がなくなっているのは事実だ。でも、オレは殺していない。だから、誰か犯人がこっそり盗んだんだろう。オレに罪をかぶせたかったんじゃないかな」  「なぜわざわざ、遠く離れた場所にいるお前に罪をかぶせる必要があるんだ?」  「……」セリヌンティウスは鋭く切り込んだ。メロスは何も言えなくなる。「よく、この森で、二人でかくれんぼしたよね」  「話を逸らす気か?」  「だけど、親からは入るのを禁止されていた。『この森にはダザイオサムっていう恐ろしい怪物が住んでるぞ』って、脅されたよね」  「……懐かしいな」  「でも不思議なことに、この森にはだいだい誰も踏み入れたことがないらしいんだ。森に入ってはいけないのは、子供だからじゃない。入ること自体が〝禁忌〟だったんだ」  「それで、メロス。お前のアリバイのことなんだが」  セリヌンティウスは、話題をすぐに軌道修正させる。  「何だ、竹馬の友よ」  「お前は結婚式の間、一度もその場を離れなかったのか?」  「一、二回、厠に行っただけで、少なくともシラクスを往復できるほどの時間離席した覚えはない」  「……夜の間は?」  「ぐっすり寝ていたよ」  「朝は?」  「妹夫婦に挨拶をして、それからは村人たちとのんびり過ごしていた」  「……え? メロス、それはそれでおかしいぞ」  「ん?」  「お前、シラクスに向かう気はなかったのか?」  「……あ!」  「お前がその日の間にシラクスに来なければ、私は処刑されていたんだぞ」  「そ、それは——」  「いつもは約束を決して破らないはずのメロス、お前がなぜそこまで焦っていなかったのか」セリヌンティウスは、深いため息を吐いた。「やはり、考えが変わった。お前がディオニスを殺したのだ。ディオニスが殺され、私が処刑されないことを知っていたから、お前は焦らなかったのだろう」  「……やはり、セリヌンティウス、君は鋭いな」メロスは笑顔を浮かべて頷いた。「だが、オレには、鉄壁のアリバイがある。仮にオレが犯人だとして、どうやってディオニスを殺したというのだ?」  「それは……」  「まあ、そういうことだよ、セリヌンティウス君。もう用は済んだかい」  「お前、私が冤罪で処刑されてもいいのか?」  「確かに、オレのせいでお前が処刑されるのは罪悪感がある。だけど、今回お前に容疑がかけられているのは、オレのせいじゃない。お前が何とかするべき問題じゃないか」  「……は?」  自分のせいではない。  これは、自分のせいではない。  メロスは心の中で、そう自分に言い聞かせた。
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