走るメロスのアリバイ

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セリヌンティウス(3)  私、セリヌンティウスは激怒した。  十里先にある村を訪れて手に入れたものは、ディオニスを殺したのはメロスだ、という根拠のない確信だけだ。  しかもメロスは、思いやり一つもない利己主義な人間で、親友の命さえも顧みないとんでもないゲス野郎だった。  今まで彼が私との約束を一度たりとも反故にしなかったのは、私のことを思ってではなく、ただ約束を破ることに人としての良心の呵責を覚えていたからだろう。  だから今回も、彼はただ自分のことだけを考えてディオニスを暗殺したのだ。私のことなど、一切気にかけていないのだろう。  まあ、いい。私が、メロスの犯行を三日以内に証明して見せれば、すべてが解決するのだ。  太陽が沈み始める。  私は、シラクスへ戻る一本道の半ばで、腰を下ろして休んでいた。  私の頭の中は、事件のことでいっぱいだった。  どのようにして、メロスはディオニスを殺した?  十里も離れた道を、一晩で一往復? そんなことが、果たして可能なのか。  まるで五里霧中だった。  するとそこへ、一組の夫婦が道を歩いてくる。  「そういえば、峠から逸れた道をしばらく歩いたところにある崖から、女の人が転落して死んでいたらしいですよ」  「そうなのかい」  「しかもその女性、近所では有名な盲目の方だったんですって」  「……え?」  私は夫婦の会話に、思わず立ち上がった。  夫婦は私を訝し気に見つめる。  「どうしたのです?」  「あ、いや、何でもありません」  私は再び座り込んだ。二人は去っていく。  私は考える。  盲目の女性。私には思い当たる節があった。昨日、私に道を尋ねてきた老女だ。  そのとき私は、シラクスなら道をまっすぐ進めばいいと答えたはずなのだが、なぜ道を逸れた場所にある崖から……?  そのとき、雷に打たれたような衝撃を覚えた。  そうか、そういうことだったのか。  私は急いで、村へと戻った。      *  「おい、メロス。お前がどうやってディオニスを殺したのか、分かったぞ」  「そうなんだ」  メロスは村の牧場で、優雅に羊と戯れていた。  私のかたわらには、立て看板が立てられている。  『シラクス市まで、十里』  「ここからシラクスまでは、一本道。まっすぐ十里歩けば、シラクスにたどり着く。この説明には、間違いがあるんだ」  「間違い、か」  「真っすぐじゃないんだよ、シラクスまでの道は」  私は、その場にしゃがみこむと、手ごろな枝を拾い、土に簡単な絵を描いた。  「どういうことだ?」  「私たちはずっと、無意識にこんな道を想像していた」私は、枝で土にまっすぐな道を描く。スタートがこの村で、ゴールがシラクス。「だけど、もしそうじゃないとしたら?」  「ほう?」  「シラクスまでの道は、自分たちが歩いていて気づかない程度に、かすかに湾曲していたんだ。こんな風にね」  私は、真っすぐな道の絵の隣に、ゆっくりと弧を描き始めた。  私は、先ほど耳にした、崖から転落死した老女の話を思い出す。  私は彼女に、シラクスは〝真っすぐ〟進んだところにあると言った。でも実際、道は〝真っすぐ〟ではなかった。  だから、老女は言われた通り真っすぐ道を進んだ結果、徐々に本来の道から逸れていき、最終的に崖から転落してしまったのだ。  「道が曲がっていたからどうなんだ?」メロスは強気な姿勢で訊いた。「それが何と関係がある」  「ただ曲がっているだけじゃないさ。この道は、弧を描き、やがて円を描いたのだ。何が言いたいか分かるか? この村とシラクスは、のだよ。そして私たちはシラクスに向かうたびに、十里もある長い方の弧を歩いていたのだ」  「……」  「そして、お前が犯行の際に使った道は、短い弧の方だ。近道を使ったのだろう?」  「その近道とやらは、どこにあると思う?」  「お前との会話で思い出したよ。子供のころ、よくかくれんぼをしていた裏手の森。あそこは、立ち入りがかたく禁じられていた。その禁止令は、子供だけに命じられていたわけではなかったな。あの森は代々、みな立ち入ることが禁止されていた。まさに禁忌の場所だったのだよ。   その森が、お前の使った抜け道なのだろう? あの森こそが、この村と王城を繋げていたのだ」  「なるほどね」  ここの村人はかつて、王に反乱を起こした。反乱にかかわった者は処刑。残りの村人は王城から十里離れた場所まで追いやられた。  私たちは子供のころから、そう伝えられてきた。  しかし、その説明には語弊があった。  十里離れた場所まで、村が移されたわけではない。  。  王城、シラクスの街は、村のすぐ隣にそびえていたのである。  「お前は妹の結婚式が終わってから、寝るふりをしてすぐに裏手の森に回った。そして王城に侵入すると、ディオニスを殺害し、再び村に戻ってくる。一晩も要さないだろうな」  メロスは、羊にエサをやりながら、語り始めた。  「オレが最初に気づいたのは子供のころ、お前とかくれんぼをしていたときだ。森の奥に、いったい何があるのか、それが気になって、奥へと進んだ。一里ほど走って、ようやく見つけた。森を横切る巨大な城壁を——」  「そしてお前は、それを利用したのだな?」  「そうだよ。この近道の存在は、二つの理由で都合が良かったんだ。一つは、アリバイを作れること。そしてもう一つの理由、それは、アリバイを崩すには王側にとって不都合な事実を明るみにしなくてはならないことだ。  村と王城の間の十里の道は実は虚像で、本当は隣り合わせだった。オレの罪を立証するには、まずその事実を王側が認めなければいけなくなる。それよりも、オレを犯人とはせず、別の人に罪をかぶせる方が、彼らにとって安全なはずだ。短剣を現場に忘れてしまったのはミスだけど、犯人はメロスだが、メロスを犯人にするには王側が不利な情報を明かさなければいけない、という袋小路にさらに追いやることができた。面白かったよ」  「……お前は、邪知暴虐だな」  レオニダスは、メロスがどのようなトリックを用いたのか、おそらくは知っていたのだろう。  しかし、メロスを捕まえるには、村と王城が隣り合わせだという、王側がひた隠ししたい事実を明かさなければならない。  それをどうしても避けたかったレオニダスは、私にあらぬ疑いをかけて事件を無理やり解決しようとしたのだろう。  メロスの悪知恵に、私は感嘆した。  「あのディオニスと一緒にしないでもらえるかな。オレは、あの暴君を殺して、止まらない市民の処刑を止めたのだぞ? オレはシラクスの英雄さ」  「英雄なら、王城の混乱をお前が鎮めてくれないか」  「セリヌンティウス、お前がややこしくしたんだろう?」  「元はといえば、お前が始めた——」  「王側は、オレの犯行を絶対に認めないだろう。ならば、君がオレの犯行を証明したところで、君が処刑される未来は変わらないだろうね。なら別の犯人を仕立て上げる? オレはそれでもいいけど、だとすると、もうひとり無関係な犠牲者が増えることになるよ。なら選択肢はひとつ、君は諦めて逃げるしかない」  「でも、フィロストラトスが人質になっている」  私はメロスの目をじっと見た。  彼の目は羊を見ているようで、その奥には虚ろが広がっている。  「なら、お前もオレと同じ道を辿るしかないようだ」  「同じ道……?」  「。さすれば、処刑の話はご破算になるだろう」  「……」  「もちろん、完璧なアリバイを用意してね」  「しかし、それでは事態は一向に収束しなくなるだろう」  「それでいいんだよ。死にたくないのだろう? そして、弟子の命も助けたい。ならば、君に残された選択肢は、はじめから一つだ」  メロスの声が、頭の中に響いた。  選択肢はひとつ……。  そうか。そうなのか。  私はすでに、メロスの手中に落ちていた。 ————Melos end————
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