トラウマからオンナへ

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トラウマからオンナへ

 夏休み前にレポートを一つ提出しなければならなかった。これさえ片付ければ心残りなく「隠れ家」へ行ける。  朝9時。  午前中に仕上げてしまおう。  資料はすでに読み込んであったし、自分の意見もまとまっていたから、あとは文字を入力するだけだ。しかし、泉水は自分の部屋の机に向かいながらも集中できないでいた。  暑さのせいでもある。経済的余裕がないから備え付けのエアコンは使わない。前の住人が置いて行った扇風機だけで猛暑をしのぐ。  図書館に行けば全館冷房じゃないかといわれる。だが、あそこはこりごりだ。なぜって、美人で評判の泉水は男子学生の執拗な視線に悩まされるのだ。レポートに集中したいのに、同じ授業に出ているというよしみで、不躾に話しかけてくる男子もいる。トイレに立つと、必ず誰かがこっそりついてくる。帰りにコーヒーでも一杯、などと誘ってくる学生も一人や二人じゃない。東条先輩というカレシがいることは広く知られているにもかかわらずだ。  気が弱そうだからすぐナンパできるなんて思われているのかもしれない。そんな印象を周りにふりまいていしまっている自分が嫌になるときもある。でもそれは泉水が育った家庭環境のせいであって、彼女自身の責任ではない。  母子家庭で貧しかった。いい服を着せてもらったこともない。遠足で持っていくお弁当もお粗末だったから、小学校の時はいじめの対象にもなった。自分はダメなんだと思い込み、何事に対しても意欲が湧かなかった。  でも、中学では担任教師に恵まれた。泉水の才能はその教師により発見され、引っ張り出され、育てられたといっても過言ではない。勉強のコツがわかると学校生活が面白くなり、定期試験での学年順位は一桁をキープした。運動神経もよく、陸上部では地区大会で入賞したこともあった。朝礼で全校生徒の前で表彰されたこともあった。小学校の時泉水のことをばかにしていた同級生もいつの間にか彼女には一目置くようになった。クラスのカーストトップだった葉月とも仲良くなった。  このまま人生の表街道をまっしぐらに突き進むだろうと思われた。
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