(全一話)夏の挽歌

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(全一話)夏の挽歌

  698df3c6-37cc-4a01-9f4c-97a18ccec6db  もうすぐ、僕らの夏も終わってしまう。大学のキャンパスに届く蝉の音にはツクツクボウシの叫びが混じり始め、少し先にある秋を感じたりもする。僕たちは、女の子にモテるために、サーフィンを始めたばかりの四人組の仲間だ。 「腹減ったぁ。櫂斗(かいと)、昼飯でも行こうぜ」 「ああ、賛成だね」と僕は微笑んで答えた。 「祐介よ、学食のカツカレーはもう売り切れたかな?」と僕が声を張り上げると、颯太(そうた)碧人(あおと)も同意するように頷いた。僕の心は、学食で提供される揚げたてのカツにルーがたくさん絡んだカレーのことでいっぱいだった。 「そうかもしれないな。ならば、喫茶店に行こうぜ」と祐介が提案した。  三限目の授業がようやく終わると、祐介がどこで知ったのか、こだわりハンバーグやカツカレーが美味しい評判になる「カフェ・ド・ミステリウ」へと僕たちを案内してくれた。  学生街の片隅でひっそりと佇むその喫茶店は、木立に囲まれた隠れ家のような場所で、以前は見過ごされがちだった。コーヒーハウスというよりは、むしろダイニングカフェを連想させる雰囲気が漂っている。  ✽  昼下がりにも関わらず、店内は食事をする大勢の学生たちで賑わっていた。幸いなことに、奥の方に空いている四人掛けのテーブル席を見つけることができた。   店のホールで働くスタッフの皆は、機敏に動き回る若々しく魅力的な女性ばかりだった。祐介がコーヒーや料理を運んでいるスタッフにタイミングを見計らって優しく声をかけた。 「あの……。オーダーをお願いします」 「少しだけ、お待ちくださいね」と、スタッフは忙しそうに答えてきた。  しかし、僕らの気持ちを察してくれたかのように、ポニーテールの黒髪を風になびかせる可愛らしい女性がどこからともなく現れた。彼女がそばに近づくと、晩夏の季節にそこはかとなく薫る、シナモンのような花の香りが届いた。 エプロンの胸には、帆夏 澪(ほのか みお)と書かれたネームプレートを付けている。 「申し訳ございません。私が承ります」  お盆に載せた四つのグラスに入った水は、帆夏さんの手により音を立てずにテーブルへと並べられた。彼女は、僕らのばらつきが見られる好き勝手な注文も、笑顔のままでひとつずつ確認してくれた。  そして、彼女は注文の品を手際よく書き留めると、風に舞うかげろうのように軽やかな身のこなしで厨房へと消えていった。 「櫂斗(かいと)、今の子、見たか?」 「ああ……。好感が持てる可愛い娘だよな」  僕は目を輝かせている祐介に、思わずそう返事をした。恥ずかしくて大きな声では言えないが、近ごろあまり見かけないほど、爽やかで責任感ある彼女に心を奪われていた。 「学生のアルバイトかも?」 「帆夏(ほのか)さん、いい名前だ」  颯太(そうた)碧人(あおと)も口をそろえて言葉にし、彼女の姿を目で追っていた。 「おい櫂斗、誘っちゃえよ」 「ダメダメ。祐介こそ二枚目なんだから」 「けど、連絡先だけでも知りたいね」  僕たち四人が考えていることは同じようなもので、それとなく学生らしいたわいないやり取りを続けていた。  暫くして帆夏さんが料理を運んでくると、祐介は意を決したように悪ふざけを始めた。大胆にも、僕らの前で直接に彼女の連絡先を聞いたのだ。残念ながら、彼の気持ちは届かず、彼女から「仕事中なので……」と体よく断られてしまった。  ✽  料理を食べ終わり、仲間同士で交わす話題も尽きると精算に向かった。千円札を手に、一人ひとりが並んでいると、店主らしい年配の男性が「今日はお待たせして申し訳ございませんでした」と丁重に謝ってきた。僕は「とんでもない。帆夏さんがすべて心地よく承ってくれたので」と返事をした。  しかし、僕の言葉に彼の顔が青ざめていることに気づいた。まるで、帆夏さんという名前を聞いて驚いたかのようだった。 「お客さま、今なんとお話されましたでしょうか?」 「だから、帆夏さんという女性が……」 「やはりそうでしたか。再び現れたんですね」 「えっ、何が?」  彼は涙をこらえるようにして、ゆっくりと話してくれた。六年ほど前に、帆夏という名の長い黒髪がよく似合う女子大生が、この店でリーダーとして働いていたという。  ちょうど、八月のお盆の頃に、喫茶店で働く友だちと湘南の海に遊びに行ったまま、帰らぬ人になったそうだ。突然に襲ってきた土用波から沖へと連れ去られたらしい。それからお盆になると、彼女の働く姿を店の周囲で見たと証言するスタッフが絶えなかったという。   彼の目には悲しみと愛おしさが混じった複雑な光が宿っていた。彼女の名前を口にするたびに、声が震え、目尻には涙が浮かんでいた。彼は、帆夏さんがこの店の一員だった頃の思い出を大切に抱きしめるように、ゆっくりと話を続けた。 「思い出せば、今日が彼女の命日だったね。明日、挨拶してくる」  そして、彼女が好きだった花を明日の墓参りに持っていくと告げたとき、その言葉には深い敬意と、失われた時間への切ない想いが込められていた。僕も目頭が熱くなり、黙ってはいられなかった。 「皆、聞いてくれ。来週、久しぶりに湘南の海に行こうぜ」 「ああ、いいね。今度はサーフィンをやりにではなく……」  祐介が真っ先に賛成の意を示し、それを見た他の仲間たちも、まるで僕たちの心情を察するかのように頷いてくれた。  ✽  週末が来ると、僕らは早咲きの彼岸花が赤い絨毯のように砂浜を埋め尽くす中で足跡を残していた。ひとりひとりが黙ったまま、波打ち際に近づき、一輪の花を静かに添え、手を合わせた。 「さよなら、帆夏さん。また来年、戻ってくるから待っていてね」  僕たちは、同じ想いに駆られていたのだろうか……。帆夏さんをいつまでも見守りながら、彼女に『届けたい願い』を心の中でそっと呟いた。その瞬間、僕たちはただ波の音に耳を傾けて立ち尽くした。  赤い彼岸花が徐々に白く色を変え、黄昏の海へと消えていくのを見守った。その美しさと切なさに心を打たれ、僕たちは涙を砂に落とした。  それは別れの涙ではなく、再会を誓う雫だった。僕たちそれぞれの心には、彼女の想いが永遠に消えることのないように深く刻まれた。  ✽.。.:*・゚ ✽.・゚ 〈おわり〉・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.
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