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6 碧に煌めく
「星越先生、ちょっといいですか?」
「ん? どうかした?」
僕にとっては、新たな環境で迎える初めての春。同じ学習塾であっても、やっぱり地域ごとのカラーがあるのだろう。その違いに戸惑うこともあるけれど、少しずつ慣れていけばいい。グラデーションを描きながら染まっていきたい。
「ここの記述、『~とゆう』って書いてるんですけど
……「い」じゃなくて「ゆ」だったら、やっぱダメですよね?」
年齢を重ねていくなかで、世代間ギャップを感じることも多くなっていくのだろう。「そういう時代じゃない」なんて言っている自分が、誰かに同じ言葉をかけられる日が来るのかもしれない。
「う〜ん……まぁ、話し言葉だからね」
「『~という』って書き言葉にするよう補足してもらって
……それで、誤字脱字の減点扱いにしてもらってもいい?」
例えば「いい」「よい」の違いみたいに、ルールを知っていると見せかけて、自分の感覚で処理してきた言葉がある。文語であれ口語であれ、あまり違和感を抱かないものも多くなってきたような気がするけれど……個人的に「とゆう」に対しての違和感は根強かった。
ほかにも「温かい」「暖かい」のように、自分のなかにあったルールが崩れそうになっている言葉もある。当たり前のように「温かい」を使っていたはずの場面で、「暖かい」を目にする機会も多くなっている気がしていた。
「まぁ、これも変わっていくのかな。
……そういう時代じゃないって言われる時が来るのかもね」
言葉は生きていて、絶えず変化していくものなのだろう。さすがに小論文で「話し言葉を使っていいよ」とは言えないけれど……それも認められる日が来るのかもしれない。句読点や改行なんかも含めて、本来のルールと時代のトレンドを照らし合わせながら、その意味を考えていきたい。
「そういえば、食べに行った? タッカンマリ」
「……いや、まだ行けてないんです」
言葉が生きているように、僕らだって生きている。言葉が絶えず変化しているように、僕らの生きる時代も絶えず変化を重ねている。変わらないものがある一方で、変わるものや変えられるものがあるはずだ。
恋愛的なニュアンスの有無によって、交わることのない「好き」があることは分かっている。ただ、それでも一緒にいたいと思えるのなら、交差させる必要はないよ。隣に寄り添って、2人で平行線を描くのも悪くない。その先に、まだ見ぬ景色があるかもしれないから。ずっと平行のままかもしれないけれど、いつか交わる日が来るかもしれないから。
「……来週の金曜とか、どうかなって話してて」
「そっかそっか」
今は少しでも長く一緒にいられる選択をしたい。いつか離れる日が来るかもしれないから、その日まで2人で自然な演技をしていきたい。だから、こうしてそばにいられる未来を選んだよ。
「あとで感想聞かせてね」
先生に教えてもらった韓国料理のお店。みんなで行こうという話になったけれど、あの日と同じように「2人で行ってきなよ」と返されてしまった。きっと、僕らのことを考えて気を遣ってくれたんだと思う。
お店を教えてもらったのに、すごく申し訳ない気がしたけれど……ここは素直に受け入れるべきなのかもしれない。気遣いがぶつかり合った時は、どちらかが甘えてもいいよっていう合図。その言葉を胸に、素敵な感想を持ち帰ろう。
「あっ、そうだ。
……この前の写真、後であげるからね」
ゴールデンウイークに3人で見た菜の花畑。あの日とは違うかもしれないけれど、青い空にはVの字を描く飛行機雲が煌めいていた。一煌が『青コン』のジャケットにしたいと話していた景色、それを先生のカメラにしっかりと収めてもらった。
「いい写真、いっぱい撮れたから」
おばあちゃんが亡くなり、先生が形見として譲り受けたという白いカメラ。『第九』の時にも首から下げていたし、この前出かけた時も大切に持っていた。花が好きだったというおばあちゃんに見せるために、休日は色んな花の写真を撮っているらしい。菜の花と飛行機雲も、きっと喜んでくれるだろうと話していた。
それぞれが色んな思いを引きずりながら生きている。大切な人を誰よりも近くに感じながら生きている。一度でも出逢ったら、ずっとずっと繋がっていくんだよ。
「……そういえば会えましたか? 親友に」
「うん、奇跡的に。お互いビックリだったけど」
菜の花畑を見に行った帰り道……3人でご飯を食べる予定をキャンセルし、僕らを家まで送り届けてくれた先生。「親友に会いたくなった」という言葉を残して、一か八かで県外の駅に向かったようだ。勤務時間か分からないし、駅にいるかも分からない。アポなしで行くから会えないかもしれないけれど、とにかく行ってみると。
連絡して確認すればいいような気がしたけれど、あえて何も言わずに行きたい気持ちはすごく分かる。サプライズでしか引き出すことのできない素のリアクションって、やっぱり特別だから。失敗に終わるリスクはあるけれど、成功した時の喜びは何物にも代えがたいものだから。一煌とご飯を食べながら、「今ごろ会えてるかな?」なんて話していたから、本当によかった。
「ところで来週の試験監督なんだけどさ。
……いっちゃんって、午後入れるか分かる?」
「……あぁ、帰ったら聞いてみます。
夜にスクーリングから帰ってくるので」
赤の他人だったはずの一煌は、いつしか青の他人になった。それが碧の他人に変わった今、次は「他人」という言葉を温めていきたい。「所詮、他人だから」という冷たい言葉にならないよう、一途に煌めかせていきたい。(了)
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