第三話・同調圧力

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 近頃よく思い出すのは頭が水槽になる前の頃、中学のときに起きた出来事だった。  当時の僕のクラスではいじめがあった。とある女子生徒が不細工だというレッテルを貼られ、周囲から排斥されたのだ。  僕としては彼女の容姿が特別醜いとは思わなかった。むしろ普通、というよりどちらかといえば好みの部類に入るとさえ言えた。  そもそも、なぜ彼女がいじめの標的にされたのかもわからなかった。クラスの一部のグループが突然彼女を槍玉にあげたことは覚えているが、なぜそうなったのかまではわからなかった。  なんとなく。場の空気で。  おそらくそうした理由とも言えない理由だったのだろう。水槽頭になってしまった事実さえも「そういうものだ」のひとことで片付けてしまう僕にとっても、そう考えるのがいちばん腑に落ちた。  いじめそのものには加担していなかったが、僕はそれに異を唱えたり、ましてや止めたりなどはしなかった。  不必要に目立たないことは僕の身を守る術だった。そうしていれば、無軌道で無思慮な悪意が自分に向けられることはないとわかっていたからだ。  標的となった女子生徒は登校拒否や転校こそしなかったものの、しばしば憂鬱な表情で窓の外を眺めたり、涙で目を腫らしながら教室を飛び出したりしていた。そんな彼女を見送るクラスメイトのうち、いじめグループは薄ら笑いを浮かべ、僕を含めた残りの傍観者たちは無表情で無関心だった。  僕はむしろ、いじめをしている張本人たちよりも、後者の存在のほうがよほどうすら寒いものに感じた。そして自分もそんな彼らと同類であることに怖気がたった。  ちくちくと針で刺すような罪の意識を僕が持て余しているうちに学期が終わり、迎えた長期休暇が明けると、いじめはぴたりと起きなくなっていた。クラスはふたたび正確に時を刻む時計の歯車のように粛々と回りはじめ、かつての犠牲者であった女子生徒は輪の中に迎え入れられ、彼女もまたそこに溶けこんでいった。  ただし完全にではなく、ほんのわずかなひずみを残して。もしかしたらそのひずみはいまも、彼女の胸の内に残っているのかもしれない。  本当に気遣うべき相手をないがしろにし、その場の雰囲気という曖昧な価値観を優先する。そうした存在は人間というより、むしろ蟻や蜂といったような真性社会性生物に近いと言えるのではないか。  そして水槽頭もまた、人間本来の姿からは遠いものに思えた。
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