第三話・同調圧力

3/6
前へ
/37ページ
次へ
 駅前広場で決意を固めたのち、僕は週明けから目的に向けた行動を起こした。  とはいえせいぜいできることと言えば、これまで同様ほかの水槽頭を観察することぐらいだった。ただし先週末に自分のアクリル板に穴が空いて以来、その観察の持つ重要性は増していた。  それまで自分以外の水槽頭は黒い何かで満たされて不明瞭だったのだが、僕の一部が割れて中身が流れ出た影響からか、彼らの思考、というより映像を読み取ることができるようになったのだ。  しかしこの能力とも言える特性は、同時に僕を疲弊させた。出歯亀じみた行為をしていることに良心の呵責を感じたというより、極彩色の感情が渦巻く坩堝に落ちていくような感覚にめまいをおぼえたのだ。  いっそ水槽頭という存在そのものが僕の抱くただの妄想であってくれれば、どれだけ気持ちが楽だろう。  だが一度そういう実感を受け入れてしまうと、たとえまやかしであっても振り払うことは難しく、自分の水槽頭をなぞった指先に伝わるアクリル板の滑らかな感触、空いた穴のふちのぎざぎざとした手触り、内側から流れ出すわずかな湿気を感じるたび、これこそが現実なのだと僕に突きつけてきた。  いっそ、ものは試しとゆきずりの水槽頭に僕らの姿がどう見えているのかを訊ねてみようか。  いつしか観察自体もおざなりになり、僕の胸の奥でそんな誘惑が頭をもたげはじめる。ほかの誰かが水槽頭という存在を自覚しているか否かがわかれば、少なくとも点のような認識を線へとつなぐことができる。  それでも僕が実際に行動を起こさなかったのは、この水槽頭という状態を認識しているのがもしも僕だけだと知った場合、自分が狂ってしまったという事実と孤独に圧し潰されてしまうことを恐れていたからだ。この臆病さは、クラスのいじめを見過ごしていた中学のときと何も変わらない。  それに、やはり自分が水槽頭であることを誰かに打ち明ける必要に迫られたとき、僕はその最初の相手に恋人を選ぶべきなのだ。生身の頭を持ったままの彼女であれば水槽頭のことに対しても客観的な助言をしてくれるはずだと信じられたし、何より僕がそうしたかった。  無論、そのあとも水槽頭に変わり果てた、あるいは変わり果てたと思いこんでいる僕を彼女が愛し続けてくれるかどうかはわからなかったし、その場で見限られてしまう可能性もゼロではなかった。  だが、どうせいつかはこの問題にけりをつけなくてはならないのなら、処断は恋人の手に委ねたかった。  陰気な覚悟に息苦しさを感じながら顔を上げると、中学生ぐらいの一団が目についた。この日会社を休んでいた僕はあまり熱心とは言えない観察をこなすため、昼過ぎから公園のベンチに腰かけていた。  そろいの制服を身に着け、同じ水槽頭をした彼らは公園の入り口で立ち止まると、車座となって何かを話しはじめた。  この位置からだと少年たちの声は不明瞭だったが、僕はその内容をつぶさに読み取ることができた。というのも、水槽頭の中身の映像があらましを語っていたからだ。  数分ほど言葉を交わしたあと、彼らの一人が公園に入ってきた。ほかの連中は笑い声をあげながらお互いを小突き合ってその場を去っていく。  一人残った少年の水槽頭の心の内は、僕でなくても読み取ることができた。肩を落としてとぼとぼと公園を歩く姿から、落ちこんでいるのはあきらかだったからだ。ただし、その感情の原因を正確に理解できたのはきっと僕だけなのだろう。  少年は僕の前を横切ると、隣に据えられたベンチに腰かけた。 「なんだよ?」僕の視線に気づき、少年が水槽頭の前面をこちらにむけてくる。 「ああ、ごめんね」  僕はそう言って、両膝の上に乗せた窮屈な姿勢のまま肩をすくめてみせる。  冷静さを装う仕草の裏で、僕の胸は高鳴っていた。不審者として通報されることを恐れていたのではなく、少年とはいえ初対面の水槽頭とじっくり話ができるかもしれない期待に、そしてそこからなにかしらの成果をあげられるかもしれない予感に鼓動が速まっていたのだ。  僕はそのいきおいが削がれないうちに、彼から目を逸らしたままこう続けた。脳裏ではずっと、中学時代にいじめを受けていたあの女子生徒の姿が浮かんでいた。もっとも、いくら振り返ってもその人間の頃の顔を思い出すことはできずにいたが。 「悩みがあるんじゃないかなって思ってね。友達……それともクラスメイトとのことかな?」  はじかれるように身を起こす少年を視界の端に捉えたが、僕は前を向き続けた。 「なんだよ、おっさん。危ないやつなのか? それとも俺のストーカー?」 「失礼だな」おっさん呼ばわりされたことにややショックを感じ、たまらず少年のほうを見て言う。「けど、たしかにいきなりこんなふうに声をかけられたら驚くよね。でも、見えたんだ」 「何を? どうやってだよ?」 「きみの悩みが。ええっと……超能力で、なのかな?」 「なんでこっちに訊くんだよ?」 「だよね。正直なところ、僕自身もよくわかってないや」 「なんだよ、口からでまかせってことか?」  僕は一呼吸置くと、「そういうわけでもないよ。その証拠に、きみが抱えている問題の根っこは……ありていに言えばいじめなんじゃないかな?」身を強張らせた少年の警戒心が深まるのを承知でこう続ける。「それもきみはいじめられてる側じゃない。さっきの子たちと一緒に、誰かをいじめてるんだろ?」
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加