第三話・同調圧力

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「俺は違う!」  少年が立ち上がる。動揺を怒りでごまかそうとしているのはあきらかだったし、その目論見は失敗していた。そうしたことが透けて見えるせいだろう。僕は彼のこうした無礼と言えるような態度も可愛げのあるものだと感じていた。  しかし僕には、少年の水槽頭の中で流れるこんな文字を読み取っていた。 《今度はどうする?》 《物隠したり小突いたりするのって、もうぬるいよな》 《下駄箱に生ごみ入れてやるのはどう?》 《えぐすぎるだろ! でも、採用!》  先ほどの少年たちとの会話の内容だろう。その無邪気な悪意に、僕はもう存在していない眉をひそめたくなった。あるいはそれは、中学時代の自分の姿と重なったからわきあがった感情なのかもしれない。 「そう、僕の見立ては正確じゃないかもしれないね」僕は続けた。「さっきの様子からしても、きみはほかのいじめっこたちと違って自分の行動が正しいものだとは思ってないんじゃないかな。むしろ、周囲と同調しなくてはいけないような状況に嫌気がさしてる。違うかな?」  この問いかけに、少年はふたたび隣のベンチにゆっくりと腰をおろした。僕はそれを肯定ととらえた。 「首を突っこむような真似をしてごめん」 「ほんとだよ。うぜえんだよ」 「そうだね。でも僕はいま、色んな水槽頭……じゃなくて、沢山の人とこうして話をしてみたいと思ってるんだ。きみはきみで、誰かに悩みを打ち明ければ、何か解決の糸口が見つけられるんじゃないかな」  どうだろう? 僕はもう存在していない両目で少年にそううったえかけてみた。こちらを向くことこそしなかったものの、彼が僕の言葉に耳を傾けているのがわかった。 「はじめはさ、空気読めねえなって話からだったんだ」 「それは、いじめられてる子のこと?」  少年は頷くと、「俺らのグループじゃねえのになれなれしくてさ。だからはぶろうぜってことになって。で、誰かが言ったんだ。どうせはぶるなら、一回わざと俺らのグループに入れたあとのほうが面白くないかって。俺は別になんでもよかったんだ。いつもの面子がいればさ。それで楽しかったし、邪魔するやつがいなけりゃそれでよかった」 「でも、ほかの子たちはそれで満足しなかった。だからますますエスカレートしていった?」  少年がこちらを向いたので、僕は頷いてみせた。アクリル板の中身を黙って読み取るのと本人のそうした仕草を見るのとでは、まったく重みが違った。 「あいつが離れていったら、今度はこっちからわからせてやろうぜってなって……休み時間に教室の隅で囲んで蹴りいれたり、肩にパンチいれたり」  それに、下駄箱に生ごみを入れたり。喉元まで出かかった言葉を僕は飲みこんだ。 「でさ、さっきあいつらが話してたんだ。今度は石を投げてつけてやろうぜって」 「そんなことを話し合ってたのか」言いながら、僕は笑って立ち去っていくいじめっこたちのことを思い返していた。「割れちゃったりしたらどうするんだ?」 「割れるって?」 「その……頭がだよ」僕はとりなすように言った。やはり僕以外は自分たちを水槽頭として認識していないのか。それともやはり、水槽頭という存在そのものが虚妄なのか。その判断はまだつかない。「怪我なんかしたら危ないじゃないか」 「そうだけどさ……」 「きみはその計画を聞いてどう思ったの?」 「正直、嫌だった。やりすぎだって思った。でもさ、だからって俺があいつのこと助けてなんになるんだよ? 得なんてないじゃんか」 「そうかもね。でも、じゃあほかの連中とこれまでどおり一緒にいたら得なの?」  少年は俯いて黙りこんだ。 「僕はそうは思わないな。それはただ損をしないための行動だよ。目先の得ばかりを追いかけてるだけなんだ。それに……そんなことをしてると、いつかもっと大きな損をするかもしれないよ」 「説教すんなよ」 「説教じゃないさ。僕はそんなことが言えるほど立派じゃないし、きみとはまだそこまで親しくなってないからね。ただ、このままじゃ大きな後悔が残るって予想ぐらいはできるよ」 「なんでだよ?」 「僕も子供の頃、きみと同じような立場にいたから、その経験からかな。だからきみがこのままいじめに加担し続ければ、その事実がこれからもずっときみにのしかかってくるっていうのもわかるよ。時間が経てば、忘れた気にはなれるかもしれない。けど、ふとした拍子でよみがえるたび、その記憶はきみに罪を意識させるんだ。そうなったときにはもう遅い。やりなおせるチャンスは、二度と巡ってこないんだ」 「それが損……ていうか、後悔ってこと?」  滑らかなアクリル板の表面では、先ほどから同じ会話のやりとりが映し出されていたが、少年がその向こうで僕の言ったような未来を、僕が説明した以上に具体的に思い描いているのが窺えた。 「そう。いまはいじめっ子とつるむことが得だと思えても、ずっとあとになって、いじめっ子の仲間だったことを後悔するかもしれないね」 「そうならないかもしれないだろ。それに……あいつらに逆らったら今度は俺が的にされるかもしれないじゃないか」
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