第三話・同調圧力

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 やはりそれが本音か。僕は思った。  いじめの構成要素は少数の加虐性と多数の恐怖だ。彼はいま、そのことを恐れている。そしてそれは過去の僕も……いや、いまの僕だって同じなのかもしれない。  グループの秩序を守るための措置と言えば聞こえはいいが、標的にされるほうはたまったものではない。誰もが集団という粘ついた存在の中でもがき、波風を立てないように溺れていく。 「たとえそうなったとしても、きみがとった行動をきみ自身が誇れるなら、その点について後悔はないんじゃないかな?」  祈るような思いで僕は説得を続けた。だが正直なところ、少年に対してあまり期待はしていなかった。僕の言葉は核心を突いているというにはあまりにも曖昧で、少年自身も他人の助言を素直に受け取るような性格をしているとは思えなかったからだ。  そして何より、いまは子供の大人に対する信頼が著しく損なわれている時代だという実感が、僕にそんな気持ちを抱かせていた。  雑踏に目を向ければ、自分の性的な価値を前面に押し出した少女の水槽頭と、それを相手に欲望を満たそうとする大人の水槽頭がいる。彼らはお互いの利害が一致するという理由のみにおいて、腕を組んで街を歩く。  金銭欲と性欲。子供を食い物にする大人と、そんな大人を利用する子供。そこに信頼関係が生まれるはずもない。  観察を続ける日々のなか、僕はそんな光景を幾度か目にした。そんな状況に対して漠然とした不満しか抱くことができない僕が……損得という自分なりの尺度で物事を伝えることに精一杯な僕が、どうして少年の心を動かして信頼を得られるというのか。ましてや僕には水槽頭の観察という利己的な目的がその根底にあるのだし、これが大人としての正しい対応だとはとても思えない。  それでも、反抗的とはいえ少年が事情を打ち明けてくれたのは素直に嬉しかったし、たとえ肩書のようなものにすぎないとしても、僕はそんな彼に大人として応えたいとも思っていた。  僕はいま、捨てられた動物が殺処分されることに思い悩んでいたあの女性と話したときと同じような心境を抱いていた。お節介でもいい。たとえうっとおしがられたとしても、背中に触れた手の温かさを相手に伝えたいと思っていた。  いまの世の中には、そうした行為に嫌悪や警戒心を抱く人間ばかりがひしめいていると承知しつつも。  僕一人にできることや持ち合わせられる気概では、あまりにも事足りないとわかっていても。 「結局、説教じゃねえか……」少年が言いながら立ち上がる。「けど、参考程度にはさせてもらうよ。いちおう、話も聞いてくれたし」 「それでもいいよ。いい結果になるといいね」  少年は何も言わずその場を立ち去っていった。その態度は最後までそっけないものだったが、僕はいつまでもその背中から目を離せずにいた。
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