第三話・同調圧力

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 少年との出会いのあと、僕は中学校時代の記憶についてあることを思い出していた。  いじめられていた僕のクラスメイトの女子生徒。大人になった僕は、なんの前触れもなく彼女のいじめが終わったものだと思っていたのだが、そうではなかった。  実は彼女には、ずっとそばで支えてくれていた友人がいたのだ。その友人は人知れずいじめをしていた連中に立ち向かい、女子生徒に寄り添っていた。そうした姿を目にしていたことを、僕は今日まで忘れていたのだ。もしもあの友人がいなかったら、彼女の学生生活はさらに暗く沈んだものになっていたかもしれない。  あるいは、そのときの記憶が意識の深層から表層……水槽頭の水面へと浮かびあがったから、僕はあの少年のことが気にとまったのではないか。あのとき何もできなかったことへの罪滅ぼしのつもりで、僕は過去の自分と重なったあの少年に助言を口にしたのかもしれない。  いずれにせよ、身勝手な考えであることに違いはないが。  一週間ほど経ったあと、僕はふたたびあのときの公園のベンチに腰かけていた。水槽頭を観察するためというより、あの少年と再会することが目的だった。もちろんここにいればかならず会えるという保証もなかったが、たとえ中途半端であっても自分のした助言がどんな結果を招いたのかを見届けないうちは、ほかの水槽頭を観察する気にはなれなかった。  はたして、僕の短絡的な願いが通じたのだろう、あのときの少年が公園の出入口からこちらに向かって歩いてくるのが見えた。僕の前を素通りし、彼があの日と同じように隣のベンチに座る。  ただし今回は、もう一人別の少年と連れだっていた。 《今週はどうする?》 《ゲームとか動画見るのとかって、もう飽きてきたな》 《なら近所の裏山探検するのはどう?》 《野生児すぎるだろ! でも、採用!》  水槽頭に流れる会話のやりとりを見ながら何度か視線を送ったものの、少年がこちらを向くことはなかった。彼は隣に座った友人と学校での出来事や最近流行っている遊びなどについてひととおり話をすると、五分と経たないうちに立ち上がった。 「よし、休憩終わり」少年が言う。 「もう? なんだったんだよ、この時間?」 「だから休憩だってば。俺の家で遊ぼうぜ」  去り際、少年が釈然としない様子の友人の目を盗むようにしてこちらを見てくる。ほんの一秒ほどのことだったが、僕もまた彼に頷いてみせた。  それだけだった。言葉を交わすことはせず、僕は徐々に小さくなっていく二人の背中を黙って見送った。このあいだと違って、僕はもう不安を感じていなかった。  あの少年は後悔しないほうを選んだのだ。  僕の助言がその決断に大きな影響を与えたとは思わない。すべては少年たちがほんの少しの勇気を出した結果にすぎないからだ。  それでも、僕の言葉が彼らの友情を築く役に少しでも立てたのかもしれない。彼がこの公園を訪れたことが、僕にそう思わせてくれた。  水槽頭の中身が見えることもそう悪くない。僕は自分と世界に訪れたこの変化を、初めて前向きに捉えることができた。    ***  はずだった。  その数日後、僕の胸の内では公園で二人の少年を見たときとは正反対の感情が渦巻いていた。  僕は警察に連行される二人の大人の水槽頭を見ていた。そのうちの一人がじっと、アクリル板の前面を僕に向けていた。そこにはなんの映像も映されていなかったが、深い闇の奥で憎悪が宿っているのがわかった。  なぜなら僕もまた、相手に対して似たような感情を抱いていたからだ。
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