第四話・増長する正義

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 この映像は終始主観だったため、放火犯二人の顔、もといその水槽頭は映っていなかった。  だが、僕はすぐにその正体へと行きつくことができた。というのも、こうした映像はほかでもない、すぐ隣にいる先輩の水槽頭の一つ、分かれたうちの背中側で延々と流れ続けていたからだ。  本人はばれていないつもりでも、僕にしてみれば自身の犯行を大声で吹聴しているのとかわりなかった。映像のなかで聞いた、というより読み取った声から、もう一人が後輩の水槽頭であるということもすぐにわかった。  彼らが水槽頭に流した映像は、さらに事の顛末まで僕に教えてくれた。  火事は偶然異変に気がついた近隣住民の通報によって消し止められたが、大量のごみに燃え移って家屋は全焼してしまった。老婆も一命こそとりとめたものの、背中にひどい火傷を負っていまも入院生活を余儀なくされている。 《ほんとにむかつくよな》背中側の水槽の中、僕にとっていまやすっかりお馴染みとなった暗闇に浮かぶ唇が言う。《俺たちは世直しのためにあれをやったんだ。あのままババアを野放しにしてたらほかの誰かに危害が及ぶかもしれないだろ。現に近所の人たちはみんな迷惑してたんだ。それを駆除してやろうと思って何が悪いんだ。なのにニュースじゃ俺たちのほうを犯罪者扱いしやがって》  この事実を前に、僕はまず悲しみをおぼえた。相席を快く迎え入れてくれた彼らは気のいい好漢とさえ言えたが、そのいっぽうでは無用な正義感で誰かの財産や命を奪うような行動を起こしていたのだ。  はたしてそのどちらが彼らの本当の姿なのかがわからず、僕はそのことがただ悲しかった。 「どうなんですか?」  突然そう声をかけられ、僕は我に帰った。 「すいません、なんですか?」思わず起きた手の震えを悟られないように、僕はジョッキの把手をぎゅっとつかんだ。 「景気のほうですよ。いまはどこもお寒い時代でしょう?」 「そうですね。ただ、僕としてはこれといってよくも悪くもありません。かわりばえのしない職場なもんですから」  舌先で紡いだような僕の答えに二人の水槽頭は頷いたが、そこに向上心を持たない者に対する密かな侮蔑がこめられているのがわかった。  それともこれは、僕の思いこみが見せたまやかしなのだろうか。 「そちらはどうですか?」背中側の水槽頭がまくしたてる老婆への批判を聞き流しながら、僕は話の接穂を探るように訊き返した。 「正直、いいとは言えませんね。でも景気が悪いのはどこも同じですし、そうしたなかでお客様の財産や身の安全を守るのが仕事ですから。ああ、俺ら警備会社なんですよ」 「ええ。先ほど名刺で拝見しました」 「まあ営業まわりなんですけどね。やりがいはあります」  そう言って、先輩の水槽頭がグラスを傾け、後輩もそれに倣う。その仕草が段々と下手な演技に見えてしまい、僕はこの二人に対して先ほど抱いた悲しみが怒りに変わっていくのを感じた。  彼らはあれだけのことをしでかしておきながら、罪の意識を微塵も感じていないどころか、正しい行いをしたと信じて疑っていない。自分たちを法や秩序を守る側の人間であると思いこみ、取り返しのつかないことをしたあとものうのうと暮らしている。  ジョッキの把手を握りしめた僕の手は、先ほどとは違う感情で震えていた。 「けど、普段のお仕事も何かと大変なんじゃないですか?」極度の緊張にさいなまれていたにもかかわらず、その言葉は僕の口から驚くほどすんなりと出てきた。「ストレスとかも溜まるでしょう?」 「ストレス? ええ、まあそれなりにね。けど、働いてれば大なり小なり嫌なこともありますから。お兄さんもそうなんじゃないんですか?」 「そうですね。何かいい解消方法とか、あったりしませんか?」 「そうだな……やっぱりこうやって仲のいいやつと飲みに行くことですかね。俺たち、付き合いも長いんですよ」 「学生時代からですよね? うらやましいな。こうして飲み会で愚痴を言い合うだけじゃなくて、それなりに秘密を共有したりもしてるんじゃないんですか?」 「秘密? さあね。愚痴もあんまり言いませんよ。生産性がないじゃないですか。それにこうやってたまにぱあっとやれば悩みも消えますって」 「そうですね。けど、羽目をはずしすぎるのも禁物でしょう」もってまわったようなこの言い方で場の空気がかたくなるのを感じたが、僕は怯むことなくこう続けた。「お酒が入りすぎて失敗することなんかもあるんじゃないですか? 取り返しのつかないようなことの一つや二つ、しでかしてるんでしょう?」 「やだな、そんなことないですよ」そうたしなめる後輩の水槽頭の声はいくらか震えており、アクリル板の前面を僕に先輩にと交互に向けていた。 「なんなんだよ、あんた?」先輩の水槽頭はふくらんでいく敵意をもはや隠そうともしなかった。「絡むならよそに行ってくれよ」 「すいません、言い過ぎましたね。誰だってお酒の上での失敗はあると思ったんで。ああ、けど……いくらなんでも人の家に火をつけたりなんかしないか」  その直後、先輩の水槽頭がテーブルに叩きつけるようにグラスを置いた。 「おい! 表出ろ!」  立ち上がった相手は僕よりも上背があった。隣で立ち上がった後輩の水槽頭も同じような体格で、もはやこの場をとりなそうという気はさらさらないようだった。
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