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ふらつきながら家に帰ると、水槽頭に空いた穴がさらに大きくなっており、そのせいなのか、起きているにもかかわらず鏡の中からメメに話しかけられるようになっていた。
逃げ出すように洗面所をあとにした僕はいつの間にか眠りに落ちており、そこでもふたたびメメが話しかけてきた。
《まだ話は終わっちゃいないぜ》
もう話すことはないよ。
《その割には俺を呼んだじゃないか。まだそこにいるの? ってさ。それに、俺にはまだ話しておきたいことがあるぜ。あんたには染まってほしくないからな》
何に?
《いきすぎた正義ってやつにさ。『このなかで一度も罪を犯したことのない者が彼女に石を投げなさい』って言葉、知らないか?》
知らない。でも、もうわかったよ。充分すぎるほどに。
メメからの返事はもうなかった。だが、もうお説教は沢山だった。
そう、僕はわかっていた。いきすぎた正義はあの放火魔二人だけではない。僕もまた、彼らを断罪しようと躍起になった点で同罪だと言えた。
そして知ったのだ。正義を追い求めて行きつく先は善と悪ではなく、加害者と被害者にすぎないということに。
めまいをおぼえるような思考に溺れるように、僕はまどろみから今度こそ本当の眠りについた。
朝が訪れ、僕は家の中にいる人の気配に目を覚ました。
起き上がると、僕の恋人が台所を慌ただしく動きまわっていた。包丁で食材を切り、鍋を火にかけ、調味料を足して味を整えている。
「あ、起きた?」
振り返った彼女がまだ生身の頭を持っていることに、僕は心の底から安堵した。
「全然連絡くれないんだもん。心配で来ちゃった」
「どんな心配? 浮気してるんじゃないかとか?」
「それ笑えない。ねえ、ちゃんと食べれてる? このあいだより具合悪いんじゃない?」
「うん、ごめん……」
謝るなかで、僕の胸は悲しさと愛おしさで張り裂けそうになっていた。ここまで心配してくれる恋人に、これ以上隠し事をしたくはなかった。
こんなにも多くの悪意で取り囲まれた世界で彼女を失いたくはない。それが僕の望みだった。彼女に嘘をつき続けるのはもう沢山だ。それが僕の願いだった。
「あのさ……」
「何?」
振り返らずに訊ねる恋人に、僕は言った。
「おかしいんだ、僕。頭がさ……僕だけじゃないけど、みんな頭が水槽になっちゃったんだ」
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