第六話・空っぽな自分と世界。解放と再生、そして甘受。

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 これでもう何度目になるのだろう。暗闇にぽつんと置かれた水槽頭を見て僕はそう思った。もっともそのアクリル板はすべて粉々に砕け、黒い枠組みが子供の落書きのようにひしゃげ、もはや水槽の体を成していなかったが。  メメはいつものように膝を抱えた姿勢ではなく、そんな僕の水槽頭の残骸の傍らに立っていた。彼の首から上は存在していなかった。あるいは、背後に広がる深い闇と融け合っているのかもしれない。  ところで僕自身の頭はどうなっているのだろう。そんな疑問がよぎったが、身体の両脇にそろえた腕を持ち上げて確かめるだけの勇気はなかった。 「喜ばせてくれ」メメが言う。その声はこれまでのように水槽頭の中で響いているのではなく、闇のどこかから僕の耳へと届いてきた。僕に耳という肉体的な器官がよみがえっていれば、の話ではあるけれど。「なんてったって、やっとここからおさらばできるんだ」 「どこに行くの?」口の存在を確かめないまま僕は訊ねた。 「さあ? 少なくともここよりも広いどこかだろうな。けど、どこに行くにしたって、ここにはもう戻らないつもりだ」 「これからどうするの?」 「数を増やすのさ。俺自身を増やすって言ったほうが正確かもな。どっちでもいいが。生命が生命たる理由なんてそれだけだろ。与えられた生存圏だけでは飽き足らず、自己、あるいは自らの種を際限なく増殖させていくのが至上命題なんだ。まあ、上首尾に終わるかどうかは運次第だが。おまえらはそのあたりを忘れがちだよな。だからこの瞬間だけの薄っぺらな目標を追い求めて、誰かに着飾った自分を見せることしか考えられないのさ。まあ、そのおかげで俺たちはこうして生きて増えることができるから頭ごなしに否定はできんがね」 「今日はずいぶんお喋りだね」 「そうかい? 大体いつもこんな感じで接してきたつもりだけどな……知ってもらわなきゃはじまらない。知られることで、俺たちは初めて存在できるんだ」 「その俺たちって、僕らとは違うの?」 「違う……とも言い切れないし、そうだとも断言できないな。いずれにせよ、行きつく先はみんな一緒さ。おめでとう。俺たちもおまえらも、全員地獄行きだ」  僕は曖昧に頷いた。首から上がどうなっているのかがわからなかったが、少なくともそうしたつもりだった。  地獄行きだというメメの言葉を正面から否定するつもりはなかったし、むしろすとんと腑に落ちた。もっとも、一つ異を唱えさせてもらえば、僕たちもメメたちもすでに地獄にいるのかもしれない。誰かの価値観を誰かに押しつけ合う地獄に。 「さて、そろそろ時間だ。おまえもいい加減起きろよ」 「起きるって……僕はどうなったの? 生きてるの?」 「かもな。生きるっていうことをどう定義づけるかによるが。というより、本人でもないのに俺が知るもんか。それはおまえ自身のほうがよくわかってることだ。違うか?」 「また会える?」 「おまえのほうこそ今日はやけに質問が多いじゃないか。これが最後だって感傷的にでもなってるのか? 安心しな、また会えるさ。こんな地獄でもいいなら……おまえが、俺を見つけだしさえすればな」
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