第六話・空っぽな自分と世界。解放と再生、そして甘受。

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 映子とよりを戻してから数日後に僕は退院した。  空いていた穴が塞がったからか、それともメメが頭の中から去ったからなのか、僕はもうほかの水槽頭の中身を読み取ることができなくなっていた。  未練はなかった。他人の思考を一方的に頭の中へ流しこまれるくらいなら、ひしめく黒々とした立方体に囲まれたほうがはるかにましだ。  それでも、本人の意思次第ではあの同僚よろしく相手に自分の見聞きした情報を伝えることができるようで、ひさしぶりに目にした外の世界では、水槽頭同士がのべつまくなしにお互いの中身をお互いに注ぎあっていた。  まるで共喰いだ。僕は思った。あるいは、これが地獄というものなんだろうか。  メメならばこの結果を脳味噌が犯されるぐらいなら死んだほうがまし、とでも評するかもしれない。水槽頭と違ってあの奇妙な同居人だけは、最後までその存外が本物かどうかを確かめることができなかった。  けれど僕は幸運なことに、その正体に行きつくことができた。それは休日の重なった映子とでかけたときのこと。たまたま立ち寄った駅ビルの書店で適当な雑誌を手にとったときだった。  生身の頭と同じように、紙でできた書籍もいずれはほとんど失われていくのだろう。そんなことを考えながらページをめくっていると、ある記事が目に止まった。 『インターネット社会における流行の伝播と、それに伴う思想汚染の問題』というタイトルだった。  僕はそのなかの一文に釘付けになり、水槽頭の前面を逸らすことができなかった。 【……が提唱したミーム(Meme)という概念はネット社会を媒体に広く浸透し……】  思わず雑誌を握りしめ、ページをくしゃくしゃにしてしまう。  紙製の書籍がいずれはほとんど失われていくというのはとんだ思い違いだ。この媒体は、いずれすべて滅ぶ。  ほかの買い物から合流した映子にしがみつきたい衝動を、僕は必死で抑えなければならなかった。彼女に対する愛おしさではなく、水槽頭という異変に対する薄気味悪さを感じたからだ。  書店から離れていく途中、乱暴に入れたせいで棚から半分はみ出した状態の雑誌を何度も振り返った。  見えなくなるまでのあいだ、その雑誌のことを誰も気にかけなかった。
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