第六話・空っぽな自分と世界。解放と再生、そして甘受。

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 けして余裕があったとは言えなかったが、ありがたいことに貯金が底をつく前に僕の再就職先が見つかった。過疎化が進んだ村に移住者として住み込み、野菜の栽培に携わることになったのだ。  農業の経験など皆無だったが、元々会社勤めではなくフットワークも軽い映子とこれを機に同棲へと踏み切ることになったのが最後のひと押しとなった。  当然と言うべきか、新天地となった田舎でも住人全員が水槽頭だった。期待していなかったと言えば嘘になるが、予想できていたことでもあった。それでも頭がアクリル板と黒い枠組みで構成されている以外は皆普通で、親切ですらあった。これまでの喧騒が嘘のように静かな環境に身を置くことで安らぐこともできた。  同棲してから半年後に僕と映子は結婚し、それから一年後には子供を授かった。妊娠中、彼女は携帯電話を欲しがった。これまでの生活では無縁の代物だったし、別段なくても困りはしなかったのだろうが、かといって僕には反対する理由もなかった。退屈な田舎で何もせず日がな一日ゆっくりと過ごすのは性に合わないのだろうし、そうした生活を送るなかで誰かとのかかわりや情報を得られる道具は、彼女にとって慰めになるはずだとも考えた。  出産予定日を控えて入院する頃、妻の頭が水槽に変わった。 「赤ちゃんとの思い出、いっぱい作りたいな」かつては僕の恋人であり、いまは僕の妻である水槽頭が言う。「せっかく携帯も買ったんだし、メモリーいっぱいまで記録しておきたいの」  きっと彼女は笑顔なのだろう。それは女性でも恋人でもなく、母としての慈愛があふれた表情だったが、僕がそれを本当の意味で見ることはできなかった。彼女も自分が水槽頭になったことには気づいていないのだろう。  もはや目の前にあるのはただの箱。僕の愛した、ただの喋る黒い箱だ。  それからさらに半年後、僕と妻の水槽頭の子供が生まれた。  僕は産着に包まれた子供の顔を見ることを躊躇した。恐怖していたと言ってもよかった。  自分が水槽頭になったことは受け入れられた。生身の頭でなくなっても、妻を変わらず愛し続けることができた。  だがもしも、生まれてきた子供の頭が水槽だったら……そればかりはとても受け入れることはできなかった。  僕の葛藤をよそに事態は進む。そうして産着の向こうからあらわれたのはしわくちゃの、しかし愛くるしい我が子の顔。生身のままの顔だった。  僕の子供は、吸いこんだ息をそのまま生命の発露へと変えた。もはや存在していない耳で僕は活力に満ちたその産声を聞き、もはや存在していない目から涙を流した。  退院後、妻が携帯電話を使う時間はさらに増えた。その小さな機械に取りつけられた小さなレンズは、いつだって我が子の姿を捉えていた。  そのうち彼女は、携帯電話を手にしなくなった。飽きたのではない、必要なくなったのだ。彼女は一センチ程度のレンズの代わりに、一辺三十センチ弱のアクリル板の前面を今日も我が子へ向けている。 「今日は初めてつかまり立ちができたのよ」妻の水槽頭は野良仕事から帰ってきたばかりの僕にそう言い、水槽頭を小刻みに揺らすように笑った。「早速記録しちゃった」  そう言って彼女が自分の水槽頭の両側を手で押さえると、それまで黒一色だったアクリル板の前面いっぱいに、食器棚のへりをつかむ我が子の姿が映った。その顔にはハートマークがかぶせられている。 「顔、隠してるの?」  妻の水槽頭は頷くと、「私たちのしあわせをみんなにお裾分けしたいけど、やっぱりいくら赤ん坊でも本当の顔をさらすのはね。だから安心して、パパ。この子の顔を知ってるのは私たちだけだよ」  僕はベビーベッドに横たわる我が子を見た。たしかに水槽頭ではなかったが、この異変が起きてからあらわれた多くの幼児と同様に、生身の頭はすでに失われていた。  柔らかい毛布の上で肉づきのいい手足をばたつかせているのは、ハートマークの頭をした僕らの子供だった。 《よう相棒。どうだ、案外早く再会できたんじゃないか?》  どこかでメメの声が聞こえた気がしたが、僕はこう思ってやりすごすことにした。  そういうものだ、と。
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