第一話・そういうものだ

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 帰り道での光景は僕が水槽頭となって過ごした日々のものとも一変していた。  終電間際の車両に座る水槽頭たちが、先ほど事故現場を見せてきた同僚よろしく色彩も豊かに様々な映像を流していたのだ。  可愛らしい動物の姿、美しく盛りつけられた料理やデザート。  表示された文字も、僕の水槽頭の中を漂っていたような意味のない羅列ではなく、きちんとした文脈を持っていた。水槽頭たちはそうした文字で会社での昇進や試験の合格といった成功譚を語っていた。  さらにそうした水槽頭たちの上部では、ハートや親指を立てたマークがシャボン玉のように浮かんでは消えていた。こうしたマークの密度に比例するように、水槽頭の表情も明るくきらびやかに見えた。  きっとこれらの浮かぶ数が多ければ多いほどしあわせなのだろう。  いっぽうで、けして前向きとは言えないような映像を流す水槽頭たちもいた。自分の裸、あるいは手首につけた傷をさらけ出す者。街角で誰かが誰かに罵詈雑言を浴びせる姿を捉えた隠し撮り。それらの水槽からも、あのハートや親指を立てたマークがシャボン玉のように漂ってははじけていた。  この場合でも、これらの浮かぶ数が多ければ多いほどしあわせだということなのだろう。  こうした光景は、僕のいまの体調や心理状態が見せているものではないとすぐに理解できた。というのも、今日はアルコールをほとんど口にしていなかったし、同僚たちの責めはいまいち心に響いていなかったからだ。  何より僕の水槽頭がほかのものと違ってしまったという実感を、僕自身が強く味わっていた。  きっとこの変化の原因は、水槽頭の一部が割れてしまったことにあるのだろう。同僚が流しこんできた黒い物体ごと、僕の水槽頭の中身は三センチにも満たない小さな穴からそっくり出ていってしまった。もしかしたらこうしてできた空白を満たすため、僕の水槽頭はほかの水槽頭の中身がなんなのかを読み取れるようになってしまったのかもしれない。  もっとも、かりに他人の中身を奪ったとしても、空いた穴を埋めないかぎりは僕の水槽頭が満たされることはないのだろうし、この穴を塞ぐ方法を僕は知らなかった。  家に帰ったときの習慣から電源をつけたテレビの中でも、変化は起きていた。  ニュース原稿を読み上げるキャスターや出演しているコメンテーター、それに街灯でインタビューを受けている水槽頭からも、その中身を読み取ることができたのだ。もっともこうした内容も、帰りの電車内で見たものと似たり寄ったりだったが。  しかし続けて目の当たりにした変化には、僕も少なからずショックを受けた。  水槽頭になってから数日、それまで生身の頭を持ち続けていたような新生児や高齢者たちも、その見た目が変わっていたのだ。ただし水槽頭に変貌した者はごく一部で、それ以外は星や、目がハートになった顔のイラストにすげかわっていた。  唯一犬や猫といった動物だけは、元の姿のままテレビ画面に登場していた。  きっともう、この世界に元のままの姿を保っている人間は存在しないのかもしれない。  そしてその変化に気づいているのも、世界中で僕だけなのかもしれない。  萎えた気力に日々の生活の疲れが重なり、僕はテレビをつけたまま眠りに落ちていった。夢に片脚を突っこんだような浅い睡眠だということはわかっていたが、身体が動かなかったし、また動かす気も起きなかった。
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