第一話・そういうものだ

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 僕を眠りから引きずりだしたのは、天井のどこからともなく鳴り響いたチャイム音だった。横になっていたベッドからむっくりと起き上がると、僕は玄関に向かった。 「やだ、スーツのまま寝てたの?」  ドアを開けるなりそう言ってきた訪問相手に対して、僕はすぐに何も答えられなかった。  相手もまた、爪先から頭のてっぺんまで僕を値踏みするように視線を送ってきた。 「ええと……その、聞いてる?」 「疲れてたみたい」質問を重ねる相手に対して、僕はようやくそれだけ言うことができた。 「そうみたいだね。仕事が忙しかったの?」 「そんなとこかな」 「でも今日は予定ないんでしょ。ねえ、どっかでかけようよ」 「ええっと……」 「決まり。待ってるから支度してね。あがらせてもらうよ」  そう言って学生時代から交際している恋人は僕の真横をすり抜けると、部屋へとあがっていった。僕が彼女を彼女だと認識できたのは、その声や嗅ぎ馴れた香水のにおいからではなかった。  僕の恋人の頭が水槽ではなく、生身のままだったからだ。
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