二人の関係

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健児と優子は別れた訳ではなかったが、この事件で健児はプロポーズのタイミングを失い、探偵業を優先させる日々が続いていた。 優子も自分の霊視を信じた事がキッカケで、刑事を辞めてしまった健児に対して申し訳ない気持ちになっていた。 互いに分かってはいたが、健児の仕事が安定するまで、お互いの関係を一度見直そうと健児から申し出があった。 優子は「待て」と言ってくれればいつまで待つつもりでいたが、罪悪感は拭えず、健児の申し出を受け入れた。 それでも互いに連絡は取り合っていた。 優子は健児が気がかりであったが、仕事と以外での、健児との接触をあえて避けていた。 健児は一日でも早く探偵業を軌道に乗せて、優子にプロポーズするつもりだったが、気づけばお互い、いい年になってしまった。 それでも、互いを思い合う気持ちは変わらなかった。 そんな時に、優子が健児の事務所を訪れ、深刻な顔をしていたので、健児の内心は穏やかではなかった。 健児は優子の友達に愛子という女性が居るのは知っていたが、直接会ったことはなかった。 そして、優子の様子がただ事ではないことを察した健児は、優子の話を聞く事にためらいはなかった。 優子がここまで確証を持って、この事務所に訪れているのだから、少なくとも何らかの事件事故の可能性は高い。 健児の事務所は福岡市博多区のビルの一室にあった。 基本的に事務と受け付けをしてくれている、事務員と佐々木健児の二人で探偵業務を行っていた。 依頼内容によっては、健児のコネクションや、事務員の西島和子の知り合いなどにも協力してもらっていた。 特に浮気調査などの尾行調査は1人の方が怪しまれるので、臨時で尾行を手伝ってくれれば十分だった。 場合に寄っては、知り合いのカメラマンにも協力をしてもらう事もあるが、依頼者のニーズに寄っては、一人で全て行うこともある。 一定数の口コミから仕事も安定してきたが、大手ほどの人材を抱える事は、まだまだ無理である。 主な依頼は浮気調査であるが、健児の前職から特異な依頼も受ける点は、他の探偵業者と違い、その多くは口コミからの依頼者が多かった。 それ以外は電話帳の広告を見て電話してくることがほとんどで、そのためにアクセスしやすい博多に事務所を構えていた。 とりあえず健児は優子をソファに座らせると、昨日の新聞を新聞入れから取り出し、朝刊、夕刊に目を通した。 新聞の日付は平成6年の1994年3月1日火曜日。 3月1日は何処かの企業が吸収合併したとの記事が紙面を飾っていた。 その間、優子は事務員の西島和子の出したお茶を目の前にして、健児が新聞を読み終わるのを、静かに待っていた。 事務員の西島和子がお茶を出す際、互いに軽く会釈をしただけで言葉はなかったが、互いに相手の事はもう十分知っていた。 なぜなら健児の手伝いの殆どは優子が行っていたからだ。 世間体があるので、親の会社の手伝いをしていると、普段は言っているが、神社の朝のお勤め、社務所での仕事、金銭管理が普段の仕事であった。 ただ彼女の場合は、お祓いなど、父親では対処できない場合には、彼女が払いをすることもあった。 年頃になり、実家を出たが季節によっては自宅を手伝うことも多く、そこからの収入で生計は成り立っていたが時折、仕事として健児を手伝っていたのだ。 そんな関係の二人を知る、事務員の西島和子にしてみれば、「何故この二人は結婚しないのだろうか」と老婆心を持って見守っていた。
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