浦田愛子の実家

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浦田愛子の実家

天神地下街から地下駐車場に行ける道を戻るだけだったが、天神地下街は大きな通りの真ん中と左右に店舗が並んでいた。 人々の流れも自然と左右に分かれていた。 天地地下街は地上の渡辺通りよりも広く、道路の真下に位置していたため、戻る際には意識的に別のルートを通ってみた。 ここは福岡で最も活気のあるエリアであり、若い女性たちが最新の流行を楽しむ場所でもあった。 九州他県から遊びに来る若者たちも必ずこの地域に足を運んだ。 しかし、ここを離れて城南区、早良区、西区に移動すれば、まだ活気のある商店街も見られた。 福岡市はコンパクトな都市でありながら、周囲はそれほど都会ではなかったし、当時の日本経済も「昭和バブル」から「バブル崩壊」に変わり、経済は急速に冷え込み始めていた。 地下街の通路からさらに階段で地下に降りると、地下駐車場があった。 そこで二人は車に乗り込み、エンジンをかけてエアコンのスイッチも入れた。 頭を整理する目的で、暖房が効いてくるまではアイドリングしたまま、車内で話し合いを行った。 健児の考えでは、部屋に浦田愛子がいない可能性が高いため、警察の介入を提案した。 そのためには、実家の両親か兄弟に動いてもらい、行方不明もしくは何らかの事件・事故として被害届けを出す必要があると説明した。 その前段階で、実家に合鍵があれば直接浦田愛子の自宅に入って確認することもできるが、事件現場だった場合、無闇に踏み込むのは問題があるため、まずは警察に行くべきだと考えた。 優子もあの部屋に愛子がいないと確信していたので、健児の提案を支持した。 話を終えると、車は駐車場の出口に向かった。 料金を払い終え、スラローム状の道を登っていくと太陽の光がフロントガラスに差し込んだ。 ここから浦田愛子の自宅までは国体道路を早良区方面に向かう必要があった。 車は地下街から地上に出て、渡辺通り交差点を右折し、国体道路を早良区飯倉に向けて走った。 住宅地の多い田舎に向かう道は混んでいたが、健児は浦田愛子の実家での会話の主導権を持つ池上愛子に、どのような話をするのか尋ねた。 「近々会う約束をしていたが、たまたま健児を連れて天神に足を伸ばしたので、久しぶりに愛子の美容室に行ったところ、無断欠勤だと聞き心配になり自宅に向かうも連絡が取れなかったため、実家まで足を運んだ」というのが優子の考える建前だった。 健児はこの話を聞き、警察にも同じように説明するよう助言した。 問題は、愛子と連絡が取れないことで家族が動いてくれるかどうかだっが、優子は「おばさんなら動いてくれるから私に任せて」と自信ありげに言った。 それを聞いて健児は車のラジオを初めて聞き始めた。 当時の情報源は限られていたため、広域情報は地元中心のラジオが最も有益だった。 ラジオを聞きながら、二人の乗る車は浦田愛子の実家へと向かった。
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