浦田愛子の実家

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天神から六本松、別府と抜けて荒江の交差点を過ぎた先にある原交番を過ぎた辺りからが飯倉になる。 この大通りは、地元の大企業である西鉄バスも走る福岡の交通の要所の一つでもあった。 大通りこそ開けているが、一歩そこから外れると田んぼや畑に囲まれた住宅地が立ち並んでいた。 そして今通り過ぎた原交番こそ、浦田愛子と池上優子が小学校の時に起こった誘拐未遂の際に逃げ込んだ交番でもあった。 健児は運転席側からその交番にちらっと視線を送り、すぐに視線を正面に戻した。 この辺りに駐車場はなかったが、浦田愛子の実家に着くと駐車スペースがあったので、まずは池上優子が車を降りて浦田愛子の実家に入っていった。 おそらく昔はこの辺りで農家を営んでいたのだろうが、バブル期に田畑を処分したのかもしれない。 この敷地の広さはその当時の名残なのかもしれなかった。 健児たちの子供の頃は、そのような家が普通で、今のマンションの方が珍しいくらいだった。 しばらくすると、優子が健児を手招きする姿が見えたので、健児は敷地に車を止めて、優子と共に浦田愛子の実家の玄関をくぐった。 優子が訪ねた時には、直ぐに彼女を理解できなかった浦田愛子の母親だったが、池上優子が「お久しぶりです、池上優子です」と挨拶をすると、目を大きく見開き、優子の訪問を大いに歓迎した。 「今日は人を連れてきているので、そこに車を止めてもいいですか?」と空いている場所を優子が指差すと、「どうぞ」と返事を返してくれた。 そして今、浦田愛子の母の前に二人で立ち、優子が健児を紹介すると、浦田愛子の母親は「立ち話も何だから」と家の中に通してくれた。 浦田愛子の母親は見た感じ60歳前後で健康そうだった。 シャキシャキとした受け答えで、健児と優子を客間に通し、エアコンのスイッチを入れると「すぐ温まるから」と言った矢先に「お茶をお持ちしますから、ちょっと待ってね」と言って家の奥に消えていった。 この人の良さそうな母親に浦田愛子の話をすることは二人とも心苦しかったが避けては通れなかった。 そのためにここに来たのだからだ。 実は5年前に、優子と浦田愛子が他県に旅行した後、ここで優子は一泊していた。 小学校の時の事件の際、優子の機転で娘が助かったこと、その後も娘から池上優子の不思議な話を何度も聞いていたので、浦田愛子の母親は交通事故で亡くなった夫がきちんと成仏できているかその時に聞いたことがあったのだ。 他人に対して優子の不思議な力はむやみに見せないようにしていたが、友達の愛子からも頼まれたので「やってみます」と霊視を行った。 何の事前準備もしていなかった優子は、小学校当時の自己流の霊視に密教の印を組み合わせた霊視に入った。 子供の頃から誰にも教わらずに、気づけば自然とその動作は出来ていたのである。 そして成人した優子は畳に正座して仏壇前で軽く頭を下げ、蝋燭に火をつけ、その火で線香に火を移し、左手でその火に風を当て火を鎮め和風の香炉に線香を立て、おりんを鳴らし再び畳に正座して両手で印を結び始めた。 両手の指で多様な形を作る印。 手で印を結び、口で真言を唱え、心に仏を思う。 その姿は漢字の「乙」の様であった。 優子の手が印を結び始めると、空気が一変し、静寂が部屋を包み込んだ。 まるで時間が止まったかのように、外の音すら聞こえなくなる。 彼女の周囲に淡い光が漂い始めた。 その光は浦田愛子の母親の目に確かに映っていた。 優子の口からは静かに真言が唱えられ、その声はまるで鈴の音のように清らかであった。 心に仏を思う瞬間なのか、その姿は神々しく、優子の霊視が本物であることを示していた。 浦田愛子の母親は、その光景に目を見開き、言葉を失った。 ただただ感謝の念を抱きながら、優子の力を信じることしかできなかった。
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