浦田愛子の実家

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今から35年前の1959年8月1日。 その日は福岡市民が楽しみにしていた夏の風物詩「西日本大濠花火大会」が行われていた。 1979年の昭和54年までは西鉄福岡市内線が福岡県福岡市の市内を走っていた。 西日本鉄道の軌道路線、つまり路面電車が走っていた。 35年前の1959年8月1日も路面電車から降りてくる見物客や近くに住む住民などが、福岡市の大濠公園に集まってきていた。 全国的には博多山笠や博多どんたくが有名なのだろうが、地元の人間からすればこの花火大会は老若男女が訪れる夏の風物詩であった。 特に夏の夜の花火ということもあり若い男女がこぞってここに集まっていた。 大濠公園の中には色とりどりの屋台が所狭しと並び多くの福岡市民が夏の涼を楽しんでいたが、一度はぐれてしまうと人の波に押され見つけ出すのは困難でもあった。 何度か来て慣れてくれば、万が一の集合場所を決めているものだが、初めて友達と大濠公園に来た浦田愛子の母、田中幸子はその事を知らなかった。 女子供が夜遊びなどまだまだ偏見を持たれる時代であったが、20歳になったことでようやく父親の許可が降りた。 福岡市井尻の片田舎から西鉄電車に乗り天神からようやくこの西公園にたどり着いた田中幸子は少し興奮していた。 見るもの全てが新鮮で、昼間とは別の顔をのぞかせていたこの光景に舞い上がっていたのかも知れない。 気がつけば一緒に来た女友達とはぐれてしまい、人混みの中を歩いていたが花火は「ドン」と豪放を鳴らした。 見上げる夜空には、色とりどりの火花が広がり、その美しさは大きな音とともに高く舞い上がった。 まるで花びらのような美しさが夜空に咲き誇っていた。 その光景に見とれてしまう人で今まで流れていた人の流れが止まってしまった。 その時、田中幸子は前の人物とぶつかってしまった。 ぶつかられた人物が後ろを振り向くとふらつく浴衣姿の女性が見えた。 とっさに手を差し出し相手の手を握り引き寄せた。 これが田中幸子と後の夫となる浦田一郎の最初の出会いであった。 この後、引き寄せた女性の顔を見た浦田一郎は恋に落ちた。 浦田一郎は息が止まる思いだった。 「なんて綺麗な人なんだ」と彼女から目を離せなくなっていた。 しかし何を話せばよいか分からない浦田一郎だったが、何かを話さなければこの状況も長くは続かないと理解はしていた。 「大丈夫ですか?」と、まずは浦田一郎が声をかけた。 「も、もしかして、はぐれたたんですか?」と言葉をとにかく繋いだ。 田中幸子も自分がぶつかった手前、「すいませんでした」と頭を下げ、見知らぬ男性の問に答えていた。 友達と来ていてはぐれた事を理解した浦田一郎は近くにいた男友達を呼び止め「この人、友達とはぐれて困っているから何とかしてやろうや」と言い出した。 最初、田中幸子は見知らぬ男性ということもあり断っていたが、花火が始まると前に進む事が難しくなると説明され、改めて周りを見ると誰も動いていないことに気がついた。 そして「はぐれた時の待ち合わせ場所は決めてあるんか?」と聞かれたので「決めていないです」と答えていた。 浦田一郎に「電車で来たんか?」と言われ「はいと答える」と浦田一郎はある提案をした。 「電車で来たのなら友達も電車に乗って帰るだろうから、下手に動かず大濠公園前の出口辺りにいれば向こうから必ずやってくるくさ。それまで俺達が一緒にいれば怖いことないから任せとけ」と田中一郎があまりにも自信たっぷりにいうものだから、田中幸子は疑うことなく浦田一郎とその友達と一緒に花火を見ることになった。 その間は花火の轟音と歓声でほとんど話はできない時間が続いたが、時折、浦田一郎は田中幸子に話しかけていた。 「俺は浦田一郎って言います。あぁ二十歳です。」 先ほどと打って変わって恥ずかしげに話す彼に心を許し始めていた。 見ず知らずの人間の為に一緒にいてくれる事は、田中幸子にとっては心強いことであった。 最初は気が付かなかったが、花火の光に照らされる浦田一郎の顔は、笑うととてもかわいらしい表情を見せていた。 初めてあった人だけれど「トクン」と胸が鼓動を打つのを感じていた。 思い返さば会話のほとんどは浦田一郎が喋って、それを田中幸子が「はい」や「いいえ」で返すものだったし、いつの間にか自己紹介を始めている田中一郎だった。 その後、田中一郎の言うと通り花火が終わると、出口に人が流れ始め、その中に田中幸子の友人がいた。 二人は再会を喜ぶと、田中幸子は浦田一郎に助けられた経緯を友だちに話した。 普通ならここまでの話で終わったことだったかも知れないが、浦田一郎は「もう一度会って下さい」と公衆の面前で田中幸子に頭下げ頼んでいた。 その姿を見た田中幸子は「はい」と返事をして次に合う約束を二人で交わしていた。 そして毎年のようにこの花火大会に訪れては当時の思い出を思い出していた。 農家の長男であった浦田一郎は家業を継ぎ田中幸子と結婚して、愛子が生まれた。 しばらくは愛子を連れて花火大会に出かけていたが、愛子は高校生位になってからは友達と花火大会に行くようになっていた。 夫婦二人で行くことも出来たが、この飯倉にいても花火の豪放は鳴り響き、二人は自宅で若い時を思い出していた。 「あれがなければ今はなかったが、それ以外の人生も考えられない」と浦田一郎が昔話したことがあった。 結婚してもあの時の事を覚えてくれている夫と結婚して本当に良かったと幸子はずっと思っていた。 この事を知っているのは二人だけであるし。 愛子にもちゃんと話したことはなかった。 何故なら夫の一郎が恥ずかしがるからだった。 それだけに浦田愛子の母親である幸子の涙は止まらなかったのだ。 本当に結婚して良かったと思い涙していた。 側にいたのは愛子だったが一瞬夫の一郎が側にいた様に感じた。 初めて会ったあの花火大会のように今も側にいることを感じた一瞬であった。
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